あさにっき

朝日記を取ることにした
人は(いや人でなくともそうなのか?)、寝ている時にその日起きた出来事、記憶などを脳内で整理するらしい。
ということは、寝て起きた後に日記を書いたほうが理路整然とするのかもしれない。
いや日記なんて理路整然としなくてもいいじゃんと言われれば、まぁ、それはそうなのだが。

昨日は疲れた。実際の活動時間は(移動込みで)8時間くらいになるが、かなり神経を使うことをしたのでかなり疲れた。
事前の準備を詰め詰めにして、本番は更に詰め詰めにする。
年がら年中詰め詰めだ。

基本的に、根本的に、自分には「年がら年中」「気を詰めて」「プレッシャーに耐え」「複数の作業をこなし」「やっていく」のがかなり難しいと思っているわけだ。

需要と供給という言葉があるが
需要=キツイ・精神力の要る仕事 
では必ずしもないと考えていて、あくまでそれらは需要の一部に組み込まれたものであり、まぁこれは当たり前なのだが
需要=欲しいもの、欲しいこと
であるからして、まぁ、要するに、キツくて精神力の要る仕事でないと儲からないシステム自体がなんか幸福度減っておかしくない?という話になる。

例外はあるし、その例外に当て込まれた人や、特に気にもしてない人たちは、いわゆる「勝ち組」なのかもしれない。

なまじ中途半端に知恵を持ちつつ、かといって「勝てる」事もない人類が一番心に傷を負うことになる。

中途半端人類がシャーペンという剣と消しゴムという盾を持ち、勇敢にも勉学、試験へと立ち向かっていった最中、未成年飲酒、未成年喫煙をやり、気付いたら子供を作ってたような人達は、そもそも「世の中こんなもんだろう」「というか世の中って何」という認識レベルなので、不幸を感じようがない。

井の中の蛙大海を知らず、とあるが、蛙は大海を知らない方が幸せなのかもしれない。

精神的に向上心の無い者は馬鹿だ、とエライ人の書いた本に書いてあったが、まぁまさにその通りで、ただ、私はその馬鹿が時々、かなり羨ましくなる。

蛙は(種にもよるが)海の中に入ると「浸透圧で身体から水分が抜けて死ぬ」。

大海を知るのはよいが、大海に挑む前に、自分という存在がどういった存在なのかを省みよう。

P.S. 全く理路整然としていないし日記じゃなくなってしまった

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