見出し画像

写真のあなたに生かされている

好奇心が強く、衝動的とも取れる行動力を持ちながら、飽きっぽい。
どうしようもないな、という気持ちも込めつつ、はっきりと自覚している性格である。

そんなわたしが唯一続いているのが写真がだった。
はじめて本格的なカメラを手にしてから9回目の夏がやってくる。

わたしにとって日常とは、ふいに訪れては過ぎ去っていく騒々しいものに感じていた。
そんな中で写真を撮っているときや見ているときは穏やかな時間だった。

本来、写真とはコンマ数秒の光の情報である。

ただそれだけなのに、いろんなものが閉じ込められていた。
突き刺さる眩しい陽射し、海からの湿った風、ただようバターの香り、新しいサンダルの感触、ふわふわの毛並み、なんだかちょっといつもよりやさしい笑顔、チョコレートを見つめる真剣な瞳。

わたしが宝物を詰め込んでいた。だからずっと写真が好きだった。
これはとても嬉しい発見である。

・・・

「なにを撮るんですか?」と聞かれたら、まっさきに答えるのがポートレートと呼ばれる人物撮影だ。

でもときどき気恥ずかしさが顔を出し、消極的な写真になってしまうことがある。
この人のことが好きだな、いいなあと思うとそんな風になる。

とりわけ気に入った写真があれば、じんわりとしあわせな気持ちに包まれていた。
あんまりじーっと見ると新鮮味が消えてしまうから、大切なおやつのように少しずつ味わっていく。

笑いすぎてぶれていたり、会話の途中で見せたしかめっ面だったり。
「あ、撮ってしまった。」という切ない表情など。

作品としての完成度よりも、人となりが垣間見れた瞬間に惹かれてしまう。

同時に悔しくもある。

もっと表情を鋭く狙いたい、もう少しだけ右に寄せたかったなど、次こそは…と誓いを立てる。
写真のこと以外に対して悔しいと思うことはほとんどなかった。

・・・

悲しいことも、悩むこともあるかもしれない。
そんなとき、わたしはあの日のあなたに生かされている。

写真に写っていることがすべてではないけれど、それでも一緒に笑いあえた瞬間は確かに存在していた。
どこまでも頼りない自分を、いまだってほんの少しだけ強くしてくれる。

またあの人が撮りたいと思う。
秋が来る前に何回シャッターを切れるだろうか。
どのくらい同じ景色を見られるだろうか。



#写真 #日記 #エッセイ #カメラ #写真日記
#ポートレート

いつもお読みいただきましてありがとうございます。