いつもの風景を
マラケシュに住んでいると、当たり前だが日々いつも通りという訳にはいかない。
ここは海外ということもあるけれど、毎日何が起こるか予測不能なのだ。大袈裟でなく。
例えば、日本の生活でいう、コンビニで買い物して家に帰るということが、マラケシュではスムーズにいかないことがある。
それは、お目当ての買いたいジュースやお菓子が品切れだったり、道中に思わぬトラブルに巻き込まれることだってある。
お菓子などは常に同じ種類の物が当たり前のように切らさないよう、ストックされている日本とは違って、何もかもがその時々ある時ない時がある。それが当然であり、見つけた時に買わないと翌日は売り切れということが普通。
あとはマラケシュの場合だけど、決まった場所に決まった露店が出ていて、決まった道の角に物乞いのおばちゃんがいて。。などそんな何気ない光景が日常の風景の一部であってつい、そのいつもの風景を目撃しては安堵してしまう自分がいる。
逆にその風景が見られない時は少し考えてしまう。。今日はいつもの露店屋さん病気で休みなのかな?とか、こういうことは気にならなければどうでも良いことかもしれないけれど。
ただ歩いているだけで、目に飛び込んでくる光景はもちろん、飛び交う声、動物の鳴き声の音、露店の肉の焼ける匂い、スパイス屋の前を過ぎればエキゾチックな香りに包まれ、あぁここは異国なんだなと思う。
これがいつもの風景。
いつもの風景を見て感じられた時はなぜか安心する。人によっては騒がしくて、ハラハラするだろうけれど、慣れると心地よくなってくるもの。
次第にその喧騒が愛おしくなってきたりするから不思議。その土地土地との相性があるとすれば、良いんじゃないかなと思う。
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