「シェアハウスノススメ」始まりは突然に(1)(現在全文無料公開中)

母がガンで死んでから3年半たっても、家の片づけは終わらなかった。

母の遺言により、家と土地は私のものになった。父は三十年ほど前に他界している。また、私以外の兄弟はそれぞれがそれぞれの家庭を持っている。家と土地、そして家の中に残されたさまざまなもの(それはほとんどが捨てなければならない雑多な夾雑物なのだが)を受け継いだ私は家を片付けなければならなかった。

家族で住んでいた家なのでそれなりの大きさ、広さがある。家には母のもの、そして兄弟たちが残していったもの、または段ボール箱に入れて「実家へ送りつけてきたもの」などが雑多に置かれたり、しまわれたりしていた。

最初の1年はまず衣類や本、雑誌といった捨てやすいものから片付けていった。母の衣類だけでも500枚ほどあった。それを10枚ずつ畳んではひもでくくり、ごみの集積所まで運ぶという作業を何度も繰り返した。本や雑誌は重いので、自分で運べる分だけひもでくくり、その束を玄関ホールへ並べ、玄関ホールがいっぱいになったら、うちへ入る私道の入り口まで運ぶということを繰り返した。

捨てなければならないもののほとんどは家の2階にあったので、衣類や本を運ぶのに何回も階段を上り下りした。1日に片付けられる量は、私の体力がもつ分までだった。

衣類とめぼしい本や雑誌が終わったら、次に壊れた家電や使わない家具などの、燃えないゴミや粗大ごみに手をつけた。しかし、ごみを捨てるといってもお金がかかる。私の住む市ではごみの収集袋は有料だし、粗大ごみはそれぞれ1点500円、1000円というように金額が決まっている。ごみを捨てるのにはお金がかかるのに、笑えるほどに金目のものは出てこない。千円札1枚たりとも出てこない。あったのは何年も前に交換したであろう100円の記念硬貨や外国の小銭ばかりだった。

家や建物は受け継いだけれども、現金をもらったわけではない。ゴミを捨てるのにかけるお金は1か月五千円までと決めて、自分で2階からおろせるゴミを捨てていった。

会う人に家の片付けが大変だという話をすると、多くの人から業者に依頼すればいいと言われた。たぶん私の家のレベルだと五十万円はくだらないだろう。それ以上かかるかもしれない。お金に余裕があるのならそれもありだと思う。しかしそのときの私にはそんな余裕はなかった。特に母親の看護と介護期間はたくさん働くことができなかったので、経済的に余裕があったわけではなかった。

またある人は、家を売ればいいと言った。家を売れば解決すると。しかしそれも現実的な話ではなかった。母が死んだ時点で、家にはラブラドール犬1匹と猫5匹がおり、簡単に移動できるわけではなかったし、その前に私の家の土地は簡単に売れるような土地ではなかった。というのも家は私道の奥の旗竿地に建っており、しかもその私道はうちのものではないので、売るためには新たにその私道を買い取らなければならなかったし、売ったとしても価値は低くなることは火を見るよりも明らかだった。

しかし何よりも私はここでの生活を気に入っていた。海は見えないけれども、湘南の端であり、気晴らしに江の島まですぐに出られるだけではなく、行こうと思えば簡単に都心まで行ける。市民センターや郵便局、病院などすべて歩いていけるので、車の運転をしない私にとっては、生活環境として申し分ない。

最も大きいのは近くにオーガニックの野菜と果物を作る農家があることだ。そこでほとんどの野菜と果物を買っているので、ここから離れることができない。毎日、食べる野菜と果物のほとんどをオーガニックにすることができるということは生きる上で非常に大きな意味を持つ。この安心感は何物にも代えがたい。

そんなこともあって、私は家も土地も売らず、業者に依頼もせずに、一人でこつこつと家の片付けを続けていたわけだが、これが一向に終わらなかった。

家の片付けが終わらないのにはいろいろな理由がある。まず一つは、私の体力の問題だ。実際のところ、私には人並みの体力がない。自宅で仕事をするのがやっとの体力で毎日生きている。食べ物に気を付けるのも、気功をやったり、ヨガをしたりしていたのもすべてこの人並み以下の体力のせいだ。

そしてもう一つの大きな理由は、片付けるべきモノは単なるモノではないということだ。それはひとつずつに思い出と感情が張り付いている。家族以外の人が見ればなんてことはない1枚のワンピースにも記憶のファイルが付随している。そのファイルを開けてみれば、さまざまなシーンとともに、音声が再現され、ありとあらゆる感情を呼び覚ます。さわってしまったら、ファイルは開いてしまうが、ふれることなしに片付けをすることはできない。

すべてのファイルが幸せな思い出や感情を呼び覚ますものではない。中には耐えがたいもの、過去の傷口にふれてしまうものもある。片付けがなかなか進まないのは、そのふさがらない傷の痛みに耐えられないからだ。

体力がもつ限り、そして傷の痛みに耐えられる限りしか、片付けは進まない。そうして3年半が経過した。私の感じでは、あと4分の1片付けるものが残っている。アドバイスする人は片付けを手伝ってくれる人ではない。どうしたらいいか考えてみたが、いい方法は何も思いつかなかった。

今年じゅうになんとか片付けを終わらせたいと思っていた9月のある日のことだった。その年の夏、体調はあまりよくなく、9月になっても顔色は悪いままだった。

その日の午後、ぼんやりとソファに座って、人がが来るのを待っていた。なんの期待もなしに、いつものスタンスで、自分の体調の悪さを感じながら、どこか浮遊するような感覚で、何も考えずに。

ドアフォンが鳴ったので、私は立ち上がり、玄関まで行ってドアを開けた。私と違って元気そうなカオリが笑顔が立っていた。私は思いつきでこう言った。

「ねえ、一緒に住まない?家賃いらないから、家の片付け手伝って」

(つづく)

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