それ性格が原因じゃないですよ②

前回の記事において、性格や人格が原因として扱われる諸問題についての根本問題の提言をしました。

もうすこし掘り下げるというか整理して記事をかいてみます。

根本問題を整理して切り出すと以下のようになります。

1.短絡的に原因は性格にあるとしてしまう風潮や体質(社会と当事者双方において)
2.性格は環境要因でほぼほぼ決まるとする見方
3.性格は不変のもので変わりようがないとする感覚

すこし説明します。

1については社会で醸し出される空気感といっていいとおもいます。
社会不安症や対人恐怖の当事者においては、ネガティブ思考とか自己肯定感の無さというキーワードで自己をはかるようになります。社会側の振る舞いとしては「性格の問題は見てみぬふりするのがベター」であるとして強い問題意識に到達するまえにそこから離脱してしまう人が多いと思います。結果的に当事者に適切に接する身近なひとは減っていきます。当事者は必然的に孤立(自分の世界にこもる)するかネットに向かうか当事者同士のコミュニティーに閉じていきます。僕はそういった当事者が選択する居場所は当事者に正と負の影響を等しく与えるものだと見ています。ただし、どの状況にあろうとも当事者が採択した居場所に絶対的に不足しているのはそこから脱した人=そのコミュニティーにいない人の生きたノウハウです。一般論として導き出されたもの、科学的、宗教的、スピリチュアル的な専門家たちが導出したセオリーはおそらく間違ったことは何一ついないと思います(ちゃんと情報を読んだことがないので推測ですが)。ですが当事者感覚としてはそういったセオリーに対して「それが実行できれば苦労はしない。」「あるいはそれをやってやや気分が楽になったけど不安感は依然としてある」というような感触だとおもいます。そこに必要なのは問題から脱した人のノウハウです。その場所(コミュニティー)にもはやいなくなってしまった人の体感をもとにしたノウハウです。さらに言えば、その生きたノウハウを抽象化して受容して、具体的な内容は自分で決める。これがすごく重要です。たとえば、ウォーキングがすごくよく作用したというアドバイスがあったら、ウォーキングを運動や有酸素運動というところまで一旦抽象化して把握する。そのうえで自分のできる範囲で具体化(水泳なり、登山なり、散歩なり)して実行する。なるべくなら長く続ける(半年ぐらい)ことも重要です。睡眠の質を高めろとか半身浴がよかったという話をきいたら、それは身体と脳をリラックスさせることなんだなと抽象化して自分が一番リラックスできるポイントを探して実行する。周囲や社会がみとめる癒やしとかリラックス効果は極力参考にとどめて自分にとってのリラックスをみつけることが重要です。

2については、性格の成り立ちが家族環境で決まるという言説の功罪をいっています。たとえば、AC(アドルトチルドレン)理論みたいに機能不全家族によって説明可能なケースはいっぱいあります。しかし、それは性格問題や心の問題の一面をAC理論などで説明可能であるということに過ぎないわけです。おそらく、AC理論等の枠組みなかに自己の性格をプロットしたとしてもなにも解決しないし、問題の複雑化と他者への増悪みたいなものが際限なく広がっていくだけだと思います。ただ、AC理論で自分の立場を他者に説明したり、共有する上では合理性があるので、その点では有効なケースもあるかもしれません。

3については僕が一番深刻に感じる話です。もうこれはほんとそのままで、あらゆる人を抑圧しているのは「人の性格は変わり様のないものだ」という感覚です。これは知識やロジックでいくらアプローチしても解消されない感覚のことです。癒やしの言葉にしろ罵倒の言葉にしろ全く受け付けない、意識レベルでは改変するがものすごく困難な領域の話で、おそらく無意識とか潜在意識とかの問題です。科学の範疇であれば、メタ認知とかが大きく関わってくる領域だとおもうし、宗教とか神秘性が関わる領域では内観とか客観視みたいな話になっているんじゃなかろうかとざっくり把握しています。この話に関連して僕が言えることは、多くの人が不変の性格としているものは、本来のその人の性格とは質としてはまったく無縁であるロジックと知識と暗示のないまぜになったもので、性格として扱うべきじゃないものだということです。もちろん、このことを理解した上で困っている方やその解消法に当たりをつけて情報発信している方もたくさんいるとおもいますが、僕の感触ではこの手の話は科学領域においても、非科学領域においても、胡散臭いものとして手を伸ばす人がいないのではないかという認識です。そこを念頭に置いているのか、いないのかは定かではありませんが、この手の話をする方々はみなさん慎重になった上で、スピリチュアル系に身を寄せたり、科学系や学術系の権威を根拠にしたアプローチがほとんどのような印象をうけます。僕も慎重に色々考えて情報を発信しようとしてきましたが、もう自分のありのままでライブ感覚ではなします。だから、論理的整合性やら情報の正確性や厳密性はあまりなくなるかもしれませんが、僕が絶対的に信じているのは自分の体感と感覚でそれ以外はリファレンスでしかないです。人に伝える上で〇〇の概念に近いものだよねとかはいいます。けど、基本自分に中にある言葉だけで話します。冷蔵庫にあるもので最高に美味しいものをつくればいいという僕のスタンスをnoteにも反映します。

話がとっちらかりましたが、とりえあず終わります。

ここまで読んでくれた方ありがとうございます^_^


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こんにちは。長いこと人生に『強い緊張』を覚えて過ごしてきました。その『緊張』がある朝、唐突に消えました。この不可思議な現象にまつわる話を書いていくつもりです。よろしくおねがいします。

『脱緊張』α版 ~緊張している全人類に捧ぐ~

2019年4月16日の朝、目覚めると何故か『根源的な緊張から解放されていた』話を訥々と語るものです。僕の『脱緊張』は如何にしておこったのか検証していく過程。文章などで綴っていきます。
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