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どこで買うかは別の話だけど村上春樹著『職業としての小説家』に縦クビぶんぶん

ちょいと出遅れたけど、今(本の内容と関係ない流通の部分で)話題になっている村上春樹の『職業としての小説家』を読了、忘れないうちに感想を書いておこうかと。昔から、彼の書くフィクションよりノンフィクションの方がグッとくるんだけど、この11章目「海外へ出て行く。新しいフロンティア」にはもうワンセンテンスごとにクビ縦にぶんぶん振って、「だよねぇ!」「さっすが、わかってらっしゃる!」と独り言ちてしまった。考えてみれば私がKI/KAにいた時期や、ランダムハウス/クノップフ時代も重なってるし。とりあえず、物書きを志す人にはゼヒ全編読んでいただきたい内容だし。

そもそもこの本が出る前から思ってたんだけど、日本人てばどいつもこいつも村上春樹を語りすぎでしょ。「あやかり」商売っての?他人のフンドシっての? 某大型書店にいったら彼が書いた本よりも彼について書かれた本のほうが多くて笑っちゃった。でも村上さんはウェブで悩み相談室やったりしてたし、近年はちゃんと自分の読者や、小説家を目指している人に向けて心を尽くしたメッセージを届けてるな、偉いなと思う。まぁそれをon his own terms、つまり日本のマスコミを通してやらないから、やっかまれるんだろうけどね。

講談社がニューヨークで現地法人オフィスを持っていた時、違う部署だったけど、たまに見かける村上さんはひとりオフィスで黙々と自著にサインをしていて、彼の大ファンである従兄弟のために後で1冊いただいたこともあったっけ。そんなに長い時間、オフィスにいたことはなかっただろうけど、その洞察力というか、雰囲気はバッチリ語られている通りだと思う。「のびのびした社風」「雰囲気はアメリカの会社」ってのはまさに。

これって重要。日本の企業が駐在事務所や現地法人作ると、どうしても日本式の経営しか知らない人がトップになって「日本語がわかるから」という理由で現地の人を雇いがち。結果、日本の企業文化を熟知はしているが、上司におもねることだけ上手だけど能力の低い人が集まってしまう。あのオフィスでは編集トップとマーケティングのトップが声の限りに怒鳴り合ってたり、金曜は4時以降波が引いたようにみんなさっさと帰ってたりしたけど、みんな仕事はちゃんとこなしてたよな。

残念ながらアメリカの書籍流通システムでは、出版社の規模や知名度よりも、「本を売ってきた実績」がモノを言う。書店で平積みにされている本にはすべて「コアップ」というお金が動いていることはあまり知られていない。そしてそのコアップにかけられるマーケティング費、つまり平積みの棚においてもらえるかどうかは前年度の売上げ額で決まるから新参者にはちと厳しい。(流通の仕組みや日本の取次との違いは、そのうちちゃんとまとめるつもり。今の日本の出版業界にとって参考になる情報だと思うから。)

ホールセラーに対しても営業をかけて、本をとってもらわないといけないので日本の取次とはだいぶ違う。私のいた頃のKAは、歌舞伎とか古典文学とか、日本語レッスンとか折り紙の折り方とか、日本関連トピックの本に関しては実績はあったけれど、現代文学の作家に関してはノウハウもあまりなかったし。

その当時、日本の経済は絶好調でバブルの真っ最中。でも、だって1ドル80円って時代だよw でも海外で認知されていたのは自動車と家電製品だけ。つまりハードは出てても、ソフトはサッパリだったわけ。「羊」「ダンス」あたりは立派なハードカバーになってたけど、売れてる、とまでは言えなかった。

「ニューヨーカー」誌と村上さんの関係についてはよく知らないというのが正直なところ。私の周りでは、いわゆる純文学に関わる編集者や、エージェントはやっぱり毎号読み込んでいて、日本では常盤新平や青山南らによって、もうお腹いっぱいというほど神格化されて紹介されているので、個人的にはこのプレスティージに乗っかかったり、惑わされたくない、という気持ちもあるけどね。フィクション以外では「え〜、なんでアイツが〜」みたいなレポーターもいるしなw

今ニューヨーカー誌でフィクションを担当している、デボラ・トリースマンは昨年、日本を訪れてかなり興味をもった様子。だから次の新しいライターを売り込むなら今だ〜と思っているのだが、なかなか彼女の好みにドンズバってものがまだない。でも日本発の作品も候補として読んでもらえるのも村上さんのおかげだと思ってる。

「アメリカで作家として成功しようと思ったら〜」のあたりから欧米におけるリテラリー・エージェントの重要性が語られている。「ビンキー・アーバン、サニー・メータ、ゲイリー・フィスケットジョン」の超重鎮トリオに出会えたこと、私はこれまでマグナカルタ誌の「新・日本人論」などに寄稿した文章などで「なぜ村上春樹の本が海外で売れるのか?」を説明するときに(別に「論じている」つもりはないのだけれど)「幸運」という書き方をしてしまったことを謝りたい。降って湧いたような棚ボタのluckじゃなくて、彼が一生懸命自分の力で手繰り寄せた「縁」なんだってことがよくわかりました。っていうか私が舌っ足らずだった。まさか村上さんがこれを読むこともないと思うけど、すみませんでした。

ちなみに私はビンキーのこと、前々から怖そうな人だなぁと思っていて、一度オフィスで話をした時も自分の「小娘」ぶりが情けなくて泣きたかったよw サニーは優しく接してくれたけど、相手にされてない優しさって感じだったしね。ゲイリーは私がRHにいた頃は既にテネシーに引っ込んでいて、オフィスのロビーをカウボーイブーツで闊歩してる後ろ姿ぐらいしか知らないw それとフランクフルト・ホフで彼の周りにできていくサロン風の集まりを遠巻きに拝んでる感じw

そして村上さんが海外で認められたもうひとつの要因、つまりいったん自らをスタートラインに立った「アメリカでの新人」として、現地のルールに沿って勝負に出たというくだりと、その世界の「本好きな出版人」の人たちの世界、まさにその通りすぎて…こちらから補足することはなにもありませーんw

この後にも「(バックリストの本で)時間をかけてラインナップが整備されていく」ことや、「ニューヨークを海外出版のハブ(中軸)に置いたことが、どうやらヨーロッパでの売り上げの伸びに繋がった」などの部分は、欧米でコンテンツが売れていくためのツボだと、私も同じように捉えているので、海外を視野に入れている著者や版元さんにはぜひ読んでもらいたいし、もう少し突っ込んで説明できる機会があればやりたいなと思っている。

この後、歴史のうねりと物語のリアリティーの関係だとか、アジアのランドスライドとの時差だとか、もうこれは小説を書く、という個人的で孤独な営みを通して世界を俯瞰できるほんの一握りの人にしか言えないことなんだろうなぁと思いました。(で、イスラム文化圏と欧米の俯瞰ができているという点で私はラシュディー好きなんですが、この2人、対談してくれないかなぁ、いつかどこかで。できるならNYでw)

まもなくボイジャーから出る講演録「作家よ、世界に羽ばたけ!」でも「誰もが村上さんみたいにできるわけじゃない。一方で日本でこれほどの人でもアメリカでは他の作家がやるようにあたりまえに朗読会やサイン会をこなしている」ってなことも言ったっけ。

で、これからの私にできることがあるとすれば、この章を読んで「よし、我も」と思う人がいるのならば、そのお手伝いさせていただきますよ、ってことかなぁ。ちょっとその辺を他の人たちに担がれるように準備してますんで、その時はよろしく。

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