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コンビニで空回りする善意にモヤる

まずはネットでも意見が分かれていたコレ。


残念ながら溢れているのは愛ではなくて、外国人に対するプライバシー侵害と、ゼノフォービアの裏返しである差別行為。

祖国を離れて頑張って働いている人を応援したくなるのはわかる。特にコンビニの店員なんて、レジ打ち以外にもやらないといけないことがゴマンとあって、ハッキリ言って私は覚えきれる自信はない。それを外国語を喋らなければいけない環境でこなしているのは日本人がそれをやるよりスゴイ。コンビニでキレてるモンカス爺いなんて見かけた日にゃ、あたしゃ殺意を抱く自信ある。でもこれはアカン。

そんなにみんなコンビニの外国人店員さんとつながりたいんか?どこの国から来てるのか聞いたところで、その国を知ってたり、言葉をしゃべれたりするわけでもなかろうに。これがニューヨークだったら、みんな違う文化しょってるのが前提だから、たとえば店員さんとでも、あれ、もしかして今のロシア語訛り? あぁ、ウクライナの人なんだ〜。じゃカクジェラ?じゃなくてヤクスプラヴだね? Take it easy. Have a good one.とか言いながら、keep the changeとお釣りを受け取らずに帰るとかやってたけどね。

そんなタイミングで、知り合いがフェースブックでコンビニで奇声を発していたおばさんにいきなり腕掴まれてビックリして思わず笑っちゃったけど、コンビニ店員が声がけしてほしかった、お店の危機マニュアルで対応してほしいってのを見て、いやしかしそんなことまでコンビニ店員の仕事にしちゃうの危ないでしょ、ワンオペ深夜の女性店員にもマニュアルで声かけさせたらどうなっても知らんぞ?という気がしたんだが。

コンビニの店員さんにありがとうという気持ちがあるなら、個人情報の一覧表じゃなくて、まずは賃金値上げとか、外国人労働者の環境改善とか、そっちの方向に行くようにやってよ。

それか客の方からチップを渡すのが手っ取り早いんだが、日本だとそういう習慣がないから難しいんだよね。アメリカのスタバとかデリとか、カウンターサービスのお店では、チップを入れるためのコップが置いてあったりすることが多い。お金はあとで店員さんがみんなで分ける。どういう使い方をしているのかは知らないけど。

でも日本だと、ファストフードのレジに「海外の貧しい子どもたちの支援」みたいな透明の箱が置いてあるだけだし、たいていはバカみたいに一円玉しか入ってないのを見ると萎えるんだよな〜。あれ「一円玉は受け付けません」って書いといたらおもしろいだろうな。

でもチップ入れを置けとは言わない。日本のことだ、これを取り入れたとしても、絶対どっかから「無言でチップを置けと圧力をかけられているようで嫌だ」と文句つけてくるヤツがいるんだよ。あくまでも募金やチップなんてボランティアで出したい人が出すものなんだけどさ。

何しろ「ボランティア」って言葉が「自発的に」じゃなくて「タダ働き」って意味になってる国だからな。

とりあえず自分がやっていることを書いておくか。まぁ、他の人といるときにはやらないし(見られると色々と説明しなきゃいけなさそうだし、お前も出せみたいに受け取られてもイヤだし、とりあえず問答無用の辛口キャラで通ってるわけだしw)

出かける時は500円Quoカード数枚とポチ袋を持ち歩く。なぜそんなことを始めたかといえば、海外をベースにしていた時、日本でお店に入ったり、何かのサービスを受けようとするとしばしば「規格外日本人」になってしまって、他の人の対応よりちょっと手間がかかる、メンドこい客だった自覚があるからさ。これが相手が外国人なら「しょーがないな」って感じだろうけど、見た目は純ジャパだから、「あなたナニサマ?」「変なひと〜」になっちゃうわけ。

たとえば、国内の携帯電話番号がないので、お店を予約するのに電話番号お願いしますと言われて国外の番号しかないとか、国内の連絡先住所がないから「後で郵送します」ってのができないとか、郵便の料金がいくらなのかも知らないとか(この封書出すの、今いくらですか?って平気でタイムマシーンから出てきたようなことを言ってしまう)、先に席を確保してから注文するとか知らなくて「こんなものが座席に残されてました」と店員に届けてしまうとか、色々やらかしてたわけでして。

そういう時、優しく臨機応変に対応してもらうと、嬉しいし、相手には余計な労働をさせていることがわかるし、こんなオバチャンに笑顔でありがとう言われても腹の足しにはならねーだろーし、今度ニューヨーク来たら案内するから連絡してねって言ってもニューヨークなんか行く人あんまりいないだろうし、なんとかお礼できないものかとたどり着いたのがQuoカードだったのだ。

ポチ袋といっても、親戚の子たちにお年玉配った残りの袋の「おとしだま」のところに「ありがとう」シールを貼ったのとか、包装紙をリサイクルして自分で作ったヤツとか、何にも書いてない事務用の小さい封筒とかに、「もらってください」「これでコーヒーでも飲んで」「色々とありがとう」「お手数おかけしました」って書いて渡す。

だって、何かわからないものをいきなり受け取るのもイヤだろうし、ラブレターじゃねえから安心しなっていちいち言うのも辛いし、神対応だったらQuoカード増やせばいいし、カード切らした時は500円玉でもいいわけだし。

最近はようやく日本人っぽく振る舞えるようになってきたので、常に持ち歩くわけじゃないけど、これを機にまたお財布に入れておくようにしよう。これは自分はそうやってます、って例を挙げただけで、おまいらもやれとは言わないが、なんでもカネを出せばいいわけでもないし、ありがとうさえ言えばいいというものでもない気がしている。そもそもこの国はサービス業に対するリスペクトが足りない。サービスってのはカネを出してる神様に対してそれをもらう方がヘイコラすることじゃなくて、自分じゃできない/やらないことを他人にやってもらうための、お金を介した経済交換だから、どっちが偉いってもんでもない。

これからさらに高齢化少子化が進んで、介護だけじゃなくてもっともっと外国人による第3セクターのサービスを必要としていくのに、それを受ける資格というか、心構えができてない。隣国にヘイト飛ばしてる場合じゃない。


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