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Noveljam2018【イカれギャルは次のステージに往く】

世の中にはいろんな作家がいる。

自称、作家。または、わたしのように普段はライティングの仕事をしながら夜な夜な公募賞や文芸誌にひそませてもらえるかもしれない原稿を書き溜める兼業作家。または、もう新人賞を獲っているがその先を見据える作家。デビューしたが、商業ではないところで個人で創作の道を極める作家。そして現在進行形で連載を持っている作家。などなど。

誤解のないようにはじめに申し上げると、どんな作家もわたしは好きだ。作家である、志しているというだけで、魂を感じる。そしてそれなりの覚悟をお持ちだろうからだ。

そして、現在はそうではないが、わたしの目指したい立ち位置は、商業で食っていける専業作家である。「読まれなきゃゴミ」だという価値観はずっとある。尊敬する岡崎京子、松尾スズキ、本谷有希子(町田康、中上健次やブコウスキー、セリーヌ、マンスフィールド、テネシー・ウィリアムズ.e.t.cもわたしの文章に影響を及ぼしているがさておき)は、やはり「もっと多くの人に届け」と奮闘してきた人だからだ。そして、本屋に並べられ、その文章にわたしは助けられてきた。

そして、彼、彼女らは「圧倒的」だったからこそ支持されたのだ。読むものを引きずりこむ魔力。パワー。「いま」を反映している。文章の端々にひとは「自分」を見たからこそ、彼、彼女らの名前はブランドとなったのだと思う。

高校生のとき、松尾スズキの演出した『欲望という名の電車』を学校の帰り道ひとりで観に行った。二時間後、わたしは隣の人が引くぐらい咽び泣いており、アンケートの裏の最後までびっしりと感想を書き込んだ。スタッフの人が呼びに来るまで感想を書いていた。松尾スズキなら松尾流の「欲望という名の電車」を演ると思ったのだ。違った。松尾スズキはそのまま、戯曲を変えることなく、演ったのだ。それは、高校生のときのわたしには「ものすごい真摯な愛」と思われた。直球ストレート。ああ。そして、ブランチはわたしだ。

精神論や根性論については様々な意見があると思うのだが、個人的には自分を安全な場所に置いている作家の書くものは面白くないのではないか、常に自分を裁きの場所に置き続けることで、文章に凄みが出るのではないか。と思っている。

Noveljamは去年から参加している。自分をズタボロに奮い立たせてまで「面白いものを書きたい」と願う書き手たちの集まるコンテストだ。参加しないわけがない。そして今年も高倍率の中から著者枠で参加することができた。現在、見つけてもらうことはとても難しい。だから、常に「見つけてくれ光線」を出し続けていることは大事だ。そしてその文脈はいくつもあったほうがいい。自分は圧倒的に無価値だと思っているから、余計にドマゾな場所に行ったほうがいい。なんだかものすごく当たり前のことを偉そうに書いているけど、ま、いっか。

Noveljam参加が決まって、Twitter上でひそかなマウンティングが行われていた。やはりコンテストとなったからには皆、敵である。名前は出さないが、「おおーー。すごい人だ……」とくじけそうになったりもした。

運命の男、ハギヨシ

会場に行ったら行ったで皆、当たり前に殺気立っている。

すると、なんと著者が編集者を選ぶというではないか。逆ではないのだな。ほう。ここに来る書き手なぞ「自分をいたぶってナンボ」の精神を持つ人々であろうから、大手出版社の現役書籍編集者に多くの票が集まった。そして同じくわたしも。だがじゃんけんに負けたわたしは『ほしのこえ』プロデューサーというこちらもものすごい経歴の編集の人に担当してもらうことになった。

ひたすらに癒される古海さん

まず、デザイナー古海さんの名刺をいただいて、印刷されていた絵を見て「勝ったぜ」と思ったのは事実である。何を書いても、おそらく暗黒地獄絵図にしかならないわたしの原稿に、この繊細で可愛らしい絵はよいギャップでしかないからだ。

正体不明の年下、アンジェロ

Noveljamはチーム制だ。なので、著者2人に対して1人の編集、1人のデザイナーがつく。わたしの1つ下のアンジェロ氏はにへらにへらしていた。「外人ですか?」「いや、日本人です」「……アンジェロなのに?」にへらにへら。もちろんアンジェロも敵だ。わたしの頭にはチームプレイという言葉はなく、年下といって容赦はせぬとなんとなくプロットを考えはじめた。そしてテーマ、出た。はい。「平成」。ッシャ。もうね、岡崎京子の「平坦な戦場」をどう超えるかしかないなこれは。うん。っつーことで鈍い眼光でアンジェロを睨みつけながら、わたしは書き始めた。アンジェロ、ごめんね。無駄に睨んだかも。

ダイエット垢や整形垢があふれるTwitter

岡崎京子が『ヘルタースケルター』を描いたとき、まだそこには「醜いわたし」と「美しいわたし」が存在しており、それをひっくるめて「整形」だったと思う。ただ、今のTwitterには整形垢なるものが溢れており、その多くは、どの病院がどうだったとか何㎝エラを削りましたなどの情報からなる。しかし、そこからは、その整形垢を運営している「醜いわたし」は消去され、たまに出て来る写真もアプリで加工されている。うーん、かつての「整形」の重みはないな。だって「醜いわたし」はどこにもいないんだもの。「整形」はもはやぺらりぺらりとした情報の積み重ねでしかなくなっている。でも、余計、闇は深い。同じくダイエット垢もそうだ。ここを使うしかない。そこで、『ユキとナギの冒険』の主人公であるユキは「リスカのレタッチ」というこれまたぺらりぺらりとした情報でしかなくなっている、かつての重みを失ったリスカに従事する職業を与えられることになる。

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