『ウクライナ語辞典』,ベスト社(2012)
ベスト社『ウクライナ語辞典』を紹介する。
いつもの注意書き:私はウクライナ語の初心者なので,何か間違ったことを書くかもしれない。また,本辞典の語釈などの正確さや収録語の選定の妥当性などは素人の私には分からない。
基本情報
書誌情報
本書には奥付が無く,本そのものからは発行年も分からないので,本に書かれている情報を国立国会図書館データベースの書誌情報で補うと以下のようになる。ISBN は無い。
書名:『ウクライナ語辞典』
発行所:ベスト社
編者:ユーラシアセンター
監修者:ビェリコフ オレクサンドル セルギョヴィチ
発行年:2012 年
判型:A5 判
造本:上製本,糸かがり,ホローバック
語数と構成
見出し語数は約 5 万。ページ構成は以下のとおり:
「まえがき」
「西欧とウクライナの地図」
「使用上の注意」(p. 5〜8,いわゆる凡例)
「アルファベット」(p. 9〜10)
本文(p. 11〜1038)
「ウクライナ語小文法」(p. 1039〜1076)
編者・監修者ほか
編者のユーラシアセンターについて,ネット上では詳しいことが分からない。ウェブサイト には
とあるので,発行元と編纂主体とで名前を分けているだけなのかもしれない。
ユーラシア研究センター(奈良県立大大学)や スラヴ・ユーラシア研究センター(北海道大学)などと混同されぬよう。
監修者のビェリコフ氏の所属は「まえがき」によれば「キエフ東洋語ギムナジウム学長」である。お名前の原綴は Бєліков Олександр Сергійович。
この学校は外務省の以下のサイトでは「キエフ第一東洋言語専門ギムナジウム」となっている。「日本語の専門コースがあるウクライナで唯一の国立学校」とのこと。原語名称は Київська гімназія східних мов № 1。
ウクライナの学制は全く知らないが,гімназія は中等教育機関(日本では中学校・高校)なのだろう。
「まえがき」の署名者として,ビェリコフ氏とユーラシアセンターの他に,以下のお二人の名がある。
参考文献
参考文献として以下の 3 点の辞書が挙げられている。
Беликий українсько-англійський словник, Попов Є.Ф., Балла М.І., Київ, 2006
Новітній українсько-російський словник, Енгельса, Україна, 2006
Ukrainian-English Dictionary, Andrusyshen, C.H., Canada, 1955
「Беликий」は「Великий」の誤植だろう。
まえがきに
とあるが,これはこのリストの 1 番目のもの,もしくは 1 番目と 2 番目のものを指しているのだろう。
用語
格の名称と順序は,主格・生格・与格・対格・呼格・造格・前置格となっている。
ウクライナ語の多くの教材はこれと同じ名称を使っているが,呼格の位置だけは違う。しかし,辞典本文で格の順序を意識することはないだろう。
なお『ニューエクスプレス+ ウクライナ語』では,生格・造格・前置格をそれぞれ属格・具格・所格と呼んでいるので,注意されたい。例えば на の項に
とあるが,この「前置格」は「所格」のことだ。
同様に для の項に
とあるのは,для が属格(=生格)を取ることを意味する。
本文
辞典の本文部分,つまり,前付けや後付けなどを除いた本体について。
レイアウト
爪インデックス(小口に黒い矩形と共に先頭文字を記したもの)は無い。
柱インデックス(ページ上部にページ内の最初と最後の語を記したもの)はある。
アルファベットの順序が頭に入っていないと素早く引けないが,爪インデックスがあれば少し楽になったのにとは思う。
(主観的な表現だが)文字サイズは小さすぎず,行間は狭すぎず,目の弱くなった私にも苦痛なく使える。
学習人口の少ない言語の辞典だとレイアウトの良くないものが珍しくないが,本辞典の本文のレイアウトは問題ないと思う。
語義がいくつかに分かれる場合,たとえば
のように番号付きで示されている。
しかし,番号が本文中に埋もれて,語義の切れ目が非常に分かりづらい。例文中にも数字は出てきうるので,数字だけを追っていくのも容易ではない。前置詞の на などは 16 個も語義があり,知りたいものがどれに当たるのかを探すのが大変だ。
ここは番号を❸とか③といった形で表すべきだったと思う。なお Unicode では❸のような黒丸数字は⓴まで,③のような丸付き数字は㊿まで定義されている。ボールド(太字)数字でも現状よりは良い。
発音
見出し語にアクセント記号が付されている。
そんなの当たり前と思われるかもしれないが,Collins Ukrainian Dictionary のようにアクセント表記の無いウクライナ語辞典も存在するので要チェックだ。
アクセントに揺れがある語では,ありうる箇所それぞれにアクセント記号が付されている。
例えば та́ко́ж とあれば,та́кож と тако́ж のアクセントが可能,ということになる。
見出し語だけでなく例句・例文も(1 音節語を除き)全語にアクセント記号が付されている。編集は面倒だったと思うが,これは非常にありがたい。
そうでないと,例文の単語を一つ一つまた辞書で確認することになる。
発音記号による発音表記は無い。
ウクライナ語はロシア語と違ってかなり発音に則した正書法を採用しているので発音表記は無くてもあまり困らない。とはいえ,ウクライナ語でも無声子音字を有声で発音するケースがあるし,в の発音は(私のような)初心者には悩ましい。
変化型
動詞の変化型は,「第一変化(є 変化)」「第二変化(и 変化)」といった表示ではなく,一人称単数現在と二人称単数現在の語尾を( )内に記載する形で示している。
つまり,слухати であれば,見出し語に続けて
のようにして表示されている。語尾にアクセントがある場合は,そこにもアクセント記号が付されている。
робити のような不規則な動詞は
のように,語尾でなく全体が示されるようになっている。
名詞の変化型についても,見出し語に続けて( )内に単数生格(属格)を表示することで示している。例えば рибак(漁師)であれば
となっており,単数生格が рибака́ であることが分かる。
例句・例文・慣用句など
辞典が単語集と違うポイントの一つは例文や慣用句などの存在だろう。
これ無しでは,作文はもちろん,読解にも差し障りがある。
私がこの辞典を買う前に一番気にしていた点がこれ。学習者の少ない言語だと『〇〇語辞典』という書名でも,例文などがほとんど無いものがあったりするからだ。
実際はどうか。
例えば місце という単語では,語義が 1「場所,席」など,2「職,ポスト,地位」など,3「(荷物の)個口」の三つに分かれている。
(місце を例にとったのはテキトウ。深い意味はない)
そして,1 なら
⁓ наро́дження 出生地
буди́нок стої́ть на чудо́вому ⁓і 家は見晴らしのよい所に建っている
на ва́шому ⁓і あなたの代わりに
といったものが 20 ほど,2 なら
займа́ти ду́же скро́мне ⁓ 地味な仕事につく
шука́ти ⁓ 職をさがす
が掲載されている。
最後に「成句・ことわざ」として
слабке́ ⁓ 弱点,急所
зна́ти своє́ ⁓ 身のほどを知る
в і́ншому ⁓і 他の所で
といったものが十余り掲載されている。
例句・例文・慣用句などの量は単語によってさまざまだが,ともかく全体として期待以上だった。
小文法
巻末の「ウクライナ語小文法」に 38 ページを割いている。ここは文字が小さく行間も狭いレイアウトで読みづらい。
発音についての音声学的にいくぶん突っ込んだ説明に始まり,文法の基本的なことが一通りコンパクトにまとまっているのかなと思う(素人なので,書かなかった事項は何か,などは分からない)。
初級教科書では触れられない文法事項もいくらか書いてあるようなので,教科書と併読するといいかもしれない。
造本
私は組版・編集の実務経験があり,印刷の専門知識も多少はあるが,用紙と製本については全く専門外で,間違ったことを書いてたらすみません。
本文用紙はいわゆる辞書用紙(非常に薄く,そのわりに透き通しが小さい)ではない。そのため,千ページを超える本書は束(表紙を除いた厚み)が 49 mm ほどもある。
透き通し(裏面の印刷が透けて見えること)は十分小さく,気にならない。めくりやすさも問題ない。
※参考までに,『ジーニアス英和辞典』はこれとほぼ同じ束だが,2200 ページ以上あるようだ。つまり用紙の厚みが倍くらい違う。
質量は約 1.4 kg だった。
製本はいわゆる本製本(上製本)。糸かがりで,中身をそれより少し大きな表紙でくるんでいる。
背はいわゆる「ホローバック」,つまり,中身の背の部分と表紙の背がくっついていない。
したがって,非常に開きがよく,見やすい。ノド(ページの四辺のうち,背にあたる辺)の余白が 16 mm ほどあるが,もう少し狭くても大丈夫なほどだ。
最初のページから最後のページまで,押さえてなくても開いたままにできる。ノートや電子機器などと一緒に使うとき,この特長はありがたい。
ただ,強度にいくぶん不安がある。本製本では中身と表紙は「見返し」という用紙で繋がっているだけなので,これだけの重量があるとちょっと怖い。
そのせいなのか,見返しのノド部分と表紙の溝部分のそれぞれが幅広の透明テープで補強されていた。製本でこんなことはしないと思うので,使用中に表紙がちぎれる事故でも起こって納品後に貼ったのだろうか。
辞書は引いてナンボなので破壊はあまり恐れぬのがよいと思うが,表紙が取れると不恰好なだけでなく扱いにくくなるので丁寧に引きまくろう。
縦置きすると負担がかかるので,平置きにするのがよいかもしれない。
購入
定価は本体価格 20,000 円。
出版元(ベスト社)に直接注文すれば半額で購入できる(2023 年 6 月 20 日時点)。注文方法は下記の同社ウェブサイトをご覧ください:
http://www13.plala.or.jp/current/index2.html
私はメールで注文した。メールの返事はもらえなかったが一週間くらいで無事入手できた。
【2023 年 8 月 13 日 注記】現在上記 URL は閲覧不能。何があったのか分からない。
所感
税込 11,000 円は私にとって気軽に買える価格ではなかったが,買って良かった。
私のウクライナ語はまだ入門レベル。辞書を片手にニュースや文学に挑戦する段階に達していない。それでも,SNS で目に入った単語を引いてみたり,何気にでたらめなページをパカっと開いて読んでみるのも楽しい。
また,とっくに覚えた基本単語でも,改めて引いてみると知らなかった語義や興味深い慣用句に出会えて学ぶことが多い。
英語のような,学習者,研究者・教育者が多くいて辞書編纂の歴史も長い言語であれば,もっと情報量の多い,レイアウトの凝った辞典がもっと安く買える。
しかし,日本における学習者が非常に少ないウクライナ語で,これだけの内容の辞典がこの価格で買えるのは思いもかけぬ幸運だ。本書に貢献された全ての方に感謝したい。
願わくは大いに売れて改訂がなされんことを。
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