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チューリング論文読解2.1

チューリング論文読解1.2のつづきです


1.直訳

2.解釈


担当:さば

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1章 計算機械

我々は有限回数を行う手段によって計算される十進法数を「計算可能な数」と呼ぶ。
「計算可能な数」にはより明確な定義が必要である。9章にたどり着くまで与えられた定義を正しいとする方法は存在しないだろう

現代にとって、私は人間の記憶が必ず有限であるという事実にのみ正当性が存在するとだけ言っておこう。我々は「m数列」と呼ばれる状況q1.q2.q3.....qnの有限数という性能のみをもち、機械へ実数を数え上げる過程において、この正当性を比較する。
その機械は有限数を通じて機械を通じて働きかける(アナログの紙である)テープを供給され、それぞれの「シンボル」をもつようにそれぞれのセクションが分けられる。どんな時でも、機構であるシンボルG(γ)をもちながら、γ-thを表すある1つのスクエアが存在し、そのスクエアを我々は「スキャンスクエア」と呼ぼう。「スキャンスクエア」上の象徴は「スキャンシンボル」と呼ばれる。その「スキャンシンボル」はいわば、「直接的認識」である機械のたったひとつのものである。

しかしらそのm数列を変換することによって、スキャンされたと前もって見なされている(ようである)シンボルのいくつかを効率的に思い出すことが出来る。どんな時でも機械の計算可能性は「m数列qn」と「スキャンシンボルG(γ)」によって決定づけられるのだ。qnとG(n)の2つで「配列」と呼ばれている。従って、その配列が機械の計算可能性を決定づける。スキャンスクエアは空白である。つまり、何のシンボルも持たないという点でのいくつかの数列では、機械はスキャンされた新シンボルを書き起す。...(略)...書き起こされたいくつかのシンボルは計算された十進法数のまとまりを形作る。そのほかはまさに「記憶補助」へにとっての粗い覚え書きのようなものである。「記憶補助」は真っ先に消されがちであるただの粗い覚え書きである。それらの消去動作は計算可能な数字で使われているもの全てを含むというのが私の主張である。読者がこの機械論に精通している時、この主張の支持はより容易になるだろう。従って、論理の発展を進めて、「マシン」「テープ」「スキャン」、その他によって意味されていることを理解されたと私は確約する。


つづき→チューリング論文読解2.2

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