大人の、爆発的知性

チューリング論文読解が進まない。

とにかく、浪人生のやることの多さを見くびっていた。

1行ずつでもいいから、少しずつ進めていこうと思う。


さて、今回僕がこのノートで主張したいことは「大人の知性」ということについてである。

よく言われることだが、子供はみんな天才である。稽古事をさせると呑み込みがはやい。記憶力がすごい。集中力がある。心が純真である。可能性に満ち溢れている。

僕はいま18才であり、大学に向けての受験生である。そろそろ、子供ではない。

「子供ではない」というのは人間としての成熟度、お金まわりの独立についてももちろんではあるが、「知性」についてもまた言えることなのではないだろうか。


僕は中学受験をした。多少美化しているかもしれないが、小学6年生の僕の勉強に対する集中力はなかなか爆発的だったと思う。

問題をとくのが楽しかったし、自分が頭が良くなっていっていると感じていたし、とにかく元気だった。

いまも勉強すること自体は楽しいが、小学生の頃のようではない。小学生の頃と、違っているのは物の見え方である。

シンプルにいうと、小学生の頃僕は「自分を追い込めば追い込むほど高い能力を発揮できた」。

ほんまです。

困ったら追い込んでいた。そしたらなんとかなった。

今考えればアホだ。「いや、そりゃうまくいくかもしれんけど。」


今は違う。

なぜなら、18才の僕には心とか情緒みたいなものがあるからだと思う。

小学生と違って、自分の知性と自分の心のコネクションがとても強くなっている。

心を無視していては、知性が振り向いてくれないのである。


僕は、子供が天才たる所以は、「無限の集中力」だと思う。換言すれば、いくらでも自分を追い込めることである。追い込んで、集中したら、知性という名前の幽霊に出会うことができる。

一方で大人の天才性は、「心が豊かである」ということである。嘘みたいだけど、世の中に、心の豊かな大人のなんと少ないことか!大人は心を丁寧に扱うことで幽霊に出会う。


子供も大人も、アクセスしたいのは同じ「知性」なのだが、大人は子供と同じ方法ではいけない。なんだか、うまくいかないのだ。

ところがそれは、いずれ気づくことであったのだが「大人は子供の能力を失った」ということではない。

大人は、子供の集中力も、心の豊かさも、どっちも持っている。たんに選択肢が増えているということだ。選択肢の多さが、大人の知性を爆発的にする。


せっかく大人になったのに、子供の選択肢ばっかり選ぶのは、貧乏くさいと思わないですか?


今日は、早く寝よう。

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