動けば、動けることに気づく

生きてるうちにしたい10のこと。
8個目ぐらいから、朝早く起きるとか書いてる。
そう言うことじゃない。

不調と怠惰の自己弁明

近頃ますます、外出することが億劫になっている。
休日は午前中や夕刻に家事や家族に頼まれた用事をこなすぐらいで、日中は外出もせず、だらだらと過ごすことが多くなった。

かと言って、棚の本をひとつつかみ読もうとするも雑念が沸き順を追って文字面を追うのも苦労する。
ならば、雑念にある断片たちの輪郭が早々に薄れていく前にとPCに向かい雑然とした頭ん中に浮かびぼんやりとしたものの中から明らかになりそうなのをつまみ出し、整理整頓しつつnoteに書き連ねるうちに何かしらにならぬかと書き残そうとする。
なにを書いても「呑みながら」なような蛇足多くムカデのように引っ掛かりのあるフォルムの助長的な文がつらつらと、書き綴られ、下書きられ、活きどころなき下書きが量産されていく。

弁膜症による心不全のせいか、軽い高山病のような体調の毎日が続いている。いわゆる気象病のように気圧にも敏感に頭痛や倦怠感に襲われる。自律神経は失調し…睡眠時は中途覚醒に悩まされている…。

積極的な選択

休日の前半は消極的に過ごすことの勿体なさで焦燥感があるも、やがて、明日からの仕事に備えて休養を。と億劫のまんまを受け入れて、だらだらと過ごす。「のんびりと」過ごすと言う積極的選択だと思ったりもしている。

でも、動けば意外と動けることを実感することがある。
夏の暑さでぐったりの日は、空調の効かない部屋で過ごすよりも、えいやっと外に出るほうが装備や移動の工夫とエリア次第で快適に過ごせたりすることに気づく。
歩けば血行も良くなるのか手足の末端の痛みや気だるさがましになってくる。
そして一日の充実感と疲れで夜は寝付きがよい。
休日は、だるかろうが、動けばきっと良い気分につながると信じて、騙されようができるだけ動いてみようとふと、思っている。