ストレイテナーという呪縛
2月12日、かれこれ15年間、人生の半分ずっと愛聴しているストレイテナーのワンマンに行ってきました。
30年の人生で最高の記憶は2013年2月、武道館のアリーナ5列目で観た彼らのメジャーデビュー10周年です。
ファンのマニア心が反映された投票ランキングに忠実に組まれた31曲のセットリスト、結成当初のホリエ・ナカヤマの2人編成→ひなっち加入後の3人編成→OJ加入の最終形態、それぞれを再現した粋な演出、個性際立つリズム隊の刻む骨太なゴリゴリの音、それに彩を添える温かくも激しいOJのギター、そしてエモく儚くも、最後はまさしくリスナーの心をstraightenさせてくれるホリエの唯一無二の歌声、何もかもに打ち震えました。
最高以外の言葉が見つからなかった、そしてその後数日は魂が抜けたように生きていました。
20歳の自分にとって、あのテナーの武道館は良くも悪くも強烈すぎた。
そして、そのライブで発表された全国ツアーの発売日、大学の図書館のPCと手元のWi-FiをつなげたiPodのダブル体制で私は先行予約の機会を虎視眈々と狙いました。
しかし、何度「渋谷クラブクアトロ公演」をクリックしようとするも、どうしても最後の1クリックが押せませんでした。
「あの時の感動が薄れてしまうのではないか」
「このままだとテナーの武道館が人生のピークになってしまう。そんな人生、あまりにも残念過ぎないか?客として金を払ってする経験が人生のピークで良いのか?」
そんな余計な事を考えてしまったのです。
結局その後も曲が出るたびにフォローし、彼らの音に酔いしれ、何ならホリエソロには足繁く出向くも、あの4人の音は二度と聴かないまま社会人になりました。
時は流れ、2021年、私は人生の全てに躓き、多磨のマンスリーマンションでフリーターをやっていました。
アルバムApplauseを引っ提げたツアーのファイナル。まさかの追加販売の案内が届きました。場所は、いつのまにか建て替わって、昭和の面影をなくしていた渋谷公会堂もといラインキューブ渋谷。
結局、テナーにその後行こうが行くまいが、何も成さないどころか人並みにもなれない惨めな人生に嫌気がさしていた私は、遂に彼らの音の力を借りることにし、会場へ出向きました。
当日、私は、何もかもを忘れて8年ぶりに堪能する彼らの音に酔いしれました。
「straightener=真っすぐにするもの」なんですけど、彼らの作り出す空間は決して歯の強制器具やヘアアイロンのように何か圧力を加えてくるものではなく、歪んでぐちゃぐちゃの自分を肯定して包み込んでくれるような、温かくも優しい空間でした。
あの日の音は、確かにその後の現実を生きる活力をくれました。
「二度と行かない」と決めて遠ざけたはずのテナーに救われたのです。
そしてさらに時は流れ、2024年2月。
その後も泥まみれクソまみれになりながらも、少しずつ色々な歯車がかみ合い始め、仕事も人生もわずかながら好転してきたタイミングで、三たび縁がありました。
一時帰国のタイミングで、彼らは結成25周年のツアーを行っていたのです。
私はパレスチナからの帰国便よりも先に、地元・福岡でのチケットを購入しました。
全てに圧倒され、反動で意気消沈した武道館。
藁にもすがる思いで、救いを求めて逃げ込んだ渋谷公会堂。
高校以来のZepp福岡は、その過去2回のいずれとも異なる想いが去来していました。
会場へ向かう西鉄バスから望む博多湾があんなに輝いて見えた事はありませんでした。
ホリエの「福岡のお客さんはエモいからね。もううんざりするぐらいエモいセトリを組みました」の言葉通り、ネクサス、Birthday、泳ぐ鳥、プレアデス、Eternal、Toneless Twilightと、バラエティー豊かな彼らの音楽性の中でもとりわけエモーショナルな選りすぐりのナンバーを各アルバムからチョイスした渾身のセットリスト。そしてとどめは、あの武道館で2人編成を再現して演奏してくれたデビュー前の知る人ぞ知る名曲、Silver Star。
最早反則、オーバーキルと言わざるを得ない狂気の布陣でした。
一度は遠ざけ、やむにやまれず逃げ込み、そして再びのめり込んでしまったテナーのライブ沼。
あの20歳の幼稚で浅はかな覚悟は正しかったのか。
結局私は、ライブという所詮は他人の仕事にこうして一喜一憂して、現実逃避する事を選んでしまった。
このザマで人生を好転させることは出来るんだろうか。
結局、テナーの有無にかかわらず、淡々と今までの延長線上の未来を生きるしかないのか。
その答えは、終演後に飲んだ缶ビールのほんのり苦い後味にあったような気がします。
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