ニニ八の記録(Twitterから加筆転載)

父方の祖母の父、私から見た曽祖父は、台中南部で15代以上続く名家の長男で、日本統治時代は東京の日本大学法学部に留学し、卒業後は共同通信社で記者をしていました。

情報が早かったせいか国民党が台湾に来てからは、曾祖父のような日本の大学で教育を受けた新聞記者も知識階級とされて危なかったのですが、政治関係では大人しくしておりました。それでも一度家に取り調べが入り、慌てて以前日本人に贈られた日本刀を隠したそうです。もしその日本刀が見つかっていれば恐らく連れて行かれて帰ってこれなかっただろうと言っていました。

その後、4年ほど不安定な期間を経て(その時のことは語らず終いでした)法学部とは全く関係ない数学教師となりましたが、曽祖父以外の教員は日本時代からの教師1名を除きすべて外省人だったそうです。

曾て台中南部の大地主だった曽祖父達の土地は国民党に接収されたため、父方の親戚は基本的に国民党嫌いですが、公務員など仕事の関係で入党書にサインした人もいます。しかし頑固な大叔父などは當兵(徴兵訓練)の際に彼だけ入党書にサインしなかったせいで、雑用を押し付けられたり休暇をもらえなかったりしたそうです。

そんな家庭環境の影響で父は深緑、自家用車に緑の台湾国旗を掲げるほどの台湾独立派ですが、母は嘉義で銃殺刑をされた人々をみた祖母から政治には絶対関わるなと厳しく教えられたため、基本的には政治の話はしません。

私も日本にいたころは、政治家が多くて政策もややこしくて、政治に無関心でしたが、台湾の大学で太陽花学運(中国大陸とのサービス貿易協定に反対する運動)を経験してから、政治が遠い世界の話ではなく、身近に存在していることを知りました。

そして太陽花のあと、無党派の柯文哲が市長になり、その後民進党(本土派)の蔡英文が総統になってから、幼い頃みた台湾の印象が大きく変わっていることをこの目で見て、政治が変われば生活が変わることを知りました。

これからどうなるかはわかりませんが、いままさに変化のときを迎えている台湾を出来れば現地でリアルタイムで見ていきたいです。

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