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【成人向け】【再発掘・雑誌が伝える意外な人間模様⑥】奈良時代から血族婚が続いている「Y県N部落」古来秘伝の産児制限法(後編)【18歳未満閲覧禁止】

こんにちは、ゆかりんこと、篠原由佳です。

昔の雑誌に掲載されている面白い話題や、気になった話題を
皆様にご紹介する読み物です。

いまやネットで検索すれば、大抵の情報が入ってくる時代ですが、
検索しても「出てこない」とか、「詳細が分からない」とか、
活字でしか残っていないような貴重なお話を深掘りしつつ、

皆様と共有できればというシリーズです。

今回は、前回の続き「Y県N部落」の40代続く血族結婚についてです
(前編はこちら)

常食はアワやキビでご馳走は生肉


前編でも紹介したように、
N部落では「血族結婚」が継承されていました。

ところが戦後になると、N部落の若者の間でも、
「親に結婚相手を決められるのが嫌だ」
と考える風潮が高まります。

とはいえ、そうは言っていられない事情がありました。


アワ、ヒエを常食とした、しかも町村から遠く離れたこの辺地に、米のメシで育った娘は、なかなか嫁にこないだろう。だから、家を継ぐ長男の嫁は部落内からさがさなければならなかった。(略)
そしてこれが部落が生存して行くための当然の手段として維持されていたものであった。
(『週刊読売』1956.9.30号)

山間にあるN部落には田んぼは1枚もなく、
昔から貧しく暮らしてきた部落だったのです。

アワ、ヒエで育ち、米の味を知らない古老たちは、
配給で米が手に入るようになっても、
「米はまずい」と口にしなかったそうです。

そんな部落の人たちのご馳走は、山で獲れるケモノの生肉でした。


ご馳走は、山のケモノの肉料理だが、これがすべてサシミ料理。部落民は十一月一日(狩猟解禁日)を心待ちにする。冬になると、深山へ入り、クマ、カモシカ、イノシシ、山ウサギなどをとってくる。この生肉のサシミの味は、里へ下りたら味わえない美味であるという。
(『週刊漫画サンデー』1963.12.11号)

いわゆる新鮮な“ジビエ”のユッケ(肉の刺身)であり、
ある種の贅沢のようにも感じられますが、
原始時代さながらの貧しい生活ぶりです。

産児制限の秘法は〇〇での〇〇〇〇


彼らが貧困生活を強いられていたことは、
徹底した「産児制限」からも窺い知れます。

“貧乏子沢山”を警戒し、1組の夫婦に子どもは3人まで。
何百年も前から秘伝の方法で産児制限をしていたそうです。

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