【再発掘・雑誌が伝える意外な人間模様⑬】銀幕の大スター日本の女優第一号50年後の消息は、生活保護の木造アパート独居老人
こんにちは、ゆかりんこと、篠原由佳です。
昔の雑誌に掲載されている面白い話題や、気になった話題を
皆様にご紹介する読み物です。
いまやネットで検索すれば、大抵の情報が入ってくる時代ですが、
検索しても「出てこない」とか、「詳細が分からない」とか、
活字でしか残っていないような貴重なお話を深掘りしつつ、
皆様と共有できればというシリーズ。
今回は、セレブで華やかな日本初の銀幕大スターが、
晩年、生活保護を受けながら、
かつての栄華な日々の思いでを胸に
ひっそりと一人で亡くなっていたとい事実を
ご紹介したいと思います。
大正時代のトップ女優「環歌子」
1923(大正12)年まで、時代劇に登場する女性は、
歌舞伎と同じように女形が演じていました。
その流れは変わったのは、
同年8月に公開された『加賀の若殿』から。
「環歌子」という時代劇女優第1号が登場したのです。
環歌子の本名は河野千代(旧姓:青木)。
1901年10月生まれの彼女は当時21才でした。
環歌子は爆発的な人気を誇り、
彼女に憧れた中学生が自殺する事件が起きたほど。
ところが引退後、晩年は生活保護を受けていました。
その彼女の晩年の生活ぶりが、『女性自身』の
名物連載「シリーズ人間」に載っていました。
そこで今回は、環歌子の人気ぶりとともに、
引退後の“老いらくの恋”、生活保護での生活ぶり、
そして晩年の哀愁漂う日々をご紹介します。
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