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吉岡勇紀をご存知か?

今でこそ、多くの若手に支えられているDRAGON GATE(以下ドラゲー)だが、前体制の時はまだ土井吉CIMAキッドに代表される闘龍門勢や、YAMATO鷹木ハルク等の現世代勢の力が強く、下の世代が台頭しにくい状態が続いていた。
2018年に団体が新体制になり、CIMA、T-Hawk、エル・リンダマン、山村武寛の現#STRONGHEARTS勢の離脱が起こり……今思うと、これが現在の離脱者続きのドラゲーの序章だったのだが、客入りはともかくとしてリング上の盛り上がりという意味では、最初の#STRONGHEARTS勢の離脱がドラゲーマットに与えた打撃が最も大きかった。
その後の後楽園で行われたKOGの散漫だった空気は今でも忘れられない。

前置きが長くなったが、そんな空気の中、7月の後楽園で若手達が行動を起こした。
シュン・スカイウォーカーワタナベヒョウ(現H・Y・O)吉岡勇紀の2016年デビュー組がユニット結成を直訴し、後に望月成晃(現マサアキ)を師範として迎えた望月道場というユニット(厳密に言うとユニットではなく集まり)が結成された。
若手が育っていないと言われていたドラゲーで同期3人の自己主張はとても新鮮に感じられた。
その中でも、抜群の身体能力とマスクマンという個性を備えたシュン、レオパード柄のコスチュームを身に纏い身軽だったヒョウに比べると、吉岡は容姿もキャラもファイトスタイルも一際地味な存在だった。
因みに、彼の同期には2人以外にもBen-Kがおり、彼らに比べて吉岡が地味に見えるのは仕方ないのかもしれない。

望月道場は出入りもあったが、2020年に闘龍門世代DRAGONGATE世代R・E・D三軍抗争に突入した為に解散。吉岡もDRAGON GATE世代に加わるが、そこで今の彼の唯一無二のパートナーであるドラゴン・ダイヤを意識し始める。
コツコツと成長してきた吉岡と違い、ダイヤはドラゴン・キッドの弟子という鳴り物入りのマスクマンとしてデビュー。団体の期待を背負った彼は、地味な吉岡とは真逆の存在と言えた。
調子の良いダイヤに嫉妬した吉岡は2月の後楽園でシングルを申し出るが、コロナ禍等が重なり中途半端なまま3月には海外武者修行に出発。
ダイヤとは遺恨が残った。

そして同年10月7日の後楽園で吉岡は謎のマスクマン、ダイヤ・インフェルノとして現れダイヤを襲撃。そのままヒールユニットであるR・E・Dに加入、ダイヤとの1年以上に渡る抗争が始まる。
ここで吉岡にとって少し不幸だったのが、遠征前のダイヤとの遺恨作りが不十分で、観客の記憶に2人の因縁があまり残っていなかった事と、抗争自体もコロナ禍で手探り状態の興行の中で行われた為に、ゆるく冗長なものになってしまった事だ。
キッドの弟子であるダイヤと、その名前に負のイメージをつけたマスクマンとの抗争は観客にとっては当然、ドラゲーのライバルストーリーの代名詞でもあるドラゴン・キッドVSダークネス・ドラゴンを彷彿とさせる要素で、彼らのゆるい抗争は目の肥えた客を満足させたとは言い難かった。
更に、ダイヤの怪我での欠場もあり、吉岡は試合用とも思えない強固なマスクで表情も一切見えない、喋れないという状態が1年以上も続いた。
本来ならもう少し早く正体を明かせたのではないか……と思うのだが、それは団体しか知り得ない話だろう。

そんなちょっとした不運に見舞われた抗争だったが、翌年の12月1日の後楽園で遂に終わりを向かえる。
ダイヤの所属するMASQUERADEとR・E・Dの抗争が激化し、シュン、ダイヤVSディアマンテ、インフェルノのマスカラ・コントラ・マスカラ戦が行われる事になったからだ。
大概のファンはインフェルノの正体に気付いており、直接フォールをとられた者のみがマスクを失うというルール上、マスクを奪われるのはインフェルノであろうと予想していた。
しかし、マスカラ戦はシュンを守ろうとディアマンテの前に立ちはだかったダイヤをシュンが突き飛ばして生贄にするという誰もが予測し得なかった展開となり、結果的にキッドの弟子という盤石な地位を獲得していた筈のダイヤが涙ながらにマスクを失う事態となった。
悔しさで涙を流すダイヤを茶化すSB KENToを見たインフェルノは1年以上ぶりに言葉を紡いだ。
「お前(ダイヤ)を倒す為に俺は現れたが、お前がマスクを失った今、ダイヤ・インフェルノの役目は今日で終わりだ」
インフェルノが吉岡勇紀に戻った瞬間だった。

そして翌月1月12日の後楽園ホールで素顔になったダイヤ VS SBKのブレイブ戦に吉岡はインフェルノの姿で登場、セコンドのH・Y・Oに粉をぶっかけダイヤの勝利をアシスト、2人は熱い抱擁を交わした。吉岡はMASQUERADEを脱けたダイヤと2人でタッグを結成し、翌日の後楽園大会でツインゲートも奪取した。
遠征前は細身でパンタロンスタイルだった吉岡は、ビルドアップした肉体をショートタイツで見せつけ、レスラーとして大きな武器となる強靭な背筋を手に入れていた。
更に、マスクを脱いだ明るく表情豊かなダイヤと物静かな吉岡の並びはまるで漫画や映画のバディかのような見映えの良さで、2人が唯一無二のパートナーであると視覚的にも印象付けた。
ダイヤとインフェルノの抗争は不運が重なったところもあったが、マスカラ戦の衝撃の先には多幸感溢れるビッグエモーションが待ち構えていたのだった。
この2人は後に菊田円も加えたD'Courageというユニット名で活動していく事になる。

吉岡のその後の快進撃は団体の後押しによるところも大きい。
というのも、ドラゲーは吉岡の同期であるBen-Kとシュン・スカイウォーカーをYAMATOや土井吉に次ぐ象徴的なスターとして育てようとし、断念していたからだ。
2人のレスラーとしての実力はバケモノ並だったが、様々な意味でバケモノ過ぎて正統派としてトップに据えるにはやや危うかった。
その2人は今は個性を生かし、それぞれチキチキBen-Kとサイコパスヒールとして適材適所活躍中である。
一方の吉岡はその2人がドリームゲート王者に君臨している頃、インフェルノ時代も挟んでまだ王者には程遠い存在だった。
しかし、前述の通りの大確変とビルドアップ、相性の良いパートナーに恵まれた吉岡はその勢いのまま2022年のKOGで優勝を果たし、神戸ワールドでKAIからドリームゲート王座を奪取した。
翌日の防衛戦でも、彼をライバルだと意識する箕浦の挑戦を退けて防衛に成功。
同期に遅れをとっていた吉岡は団体を背負う正統派王者としての道を歩き始めた。
しかし、ここからが茨の道だった。

吉岡の次の防衛戦の相手はEita
彼は前哨戦で圧倒的な力量差を見せつけ、吉岡をギブアップさせた。Eitaは「客席が埋まらないのはDRAGON GATEがつまらないから、お前がチャンピオンだからだ」と王者にぶつける。
Eitaのこの言葉で、ドラゲーの現状に対する責任が吉岡の肩に重くのしかかった。
また、Eitaの方が客席支持率を獲得していた事もあり、吉岡にとっては辛い現実を突きつけられた形だったろう。
ドラゲーの客を取り戻す事を誓った吉岡は9月の大田区ビッグマッチでEitaを撃破し防衛に成功。
そして、ドラゲーの過去に挑戦するとぶち上げた吉岡の次の防衛戦の相手は、団体の象徴として君臨するYAMATOだった。

YAMATOはEitaに続き吉岡に「YAMATOに勝っただけでは超えたとはならない」「団体を背負うとはどういう事か」という問いを投げかけた。
吉岡は勝利以上の何かを提示する必要があった。
11月の大阪ビッグマッチ、吉岡はこの試合でYAMATOのお株を奪う掟破りムーブを使い、物静かで真面目なイメージからほんの少し成長した姿を見せ、勝利した。
試合後の吉岡はこの試合を向かえるに当たって辛かった事を隠さず吐露し、体力面以上に精神的に抱えるものが大きかったであろう事を伺わせた。

そして、次の防衛戦は望月道場時代の師範である望月マサアキ
望月はEitaやYAMATOのように吉岡に難題を突きつけはしなかった。
12月の後楽園大会で防衛戦を行い、吉岡は防衛に成功。
試合後望月は「お前は真面目すぎる。自分の立場が悪くなったら辞めていった連中がいるだろう、そいつらに負けないためにももうちょいバカになれ」と彼に伝えた。
ここまでの防衛戦は先輩達から“奥義を授かる”儀式であり、Ben-K、シュンと同期から遅れをとり地味な存在だった吉岡がチャンピオンとして成長する姿を観客はリアルタイムで目撃する事になった。

そして、望月戦の後に金の薔薇をリングに届けるという粋なやり方で挑戦表明をしたのは、吉岡が超えなくてはならないバケモノ同期の1人、Ben-Kだった。
2人の防衛戦は年内最後のビッグマッチである福岡国際センターで行われた。
吉岡はBen-Kの得意技である掟破りのスピアーで流れを変え勝利し防衛に成功。
彼は先輩達との試合で授かった奥義を着実に強さに変えていた。
更に、同期対決の余韻もそこそこに挑戦表明をしに来たのは、こちらもバケモノ同期の1人のシュン・スカイウォーカーだった。
団体の象徴を期待されながらも独自の道へ進んだBen-Kとシュン、2人に遅れをとりながらもチャンピオンとして一歩ずつ成長をしてきた吉岡。
やっと対等になった同期3人がビッグマッチの最後に同じ空間に並び立った光景は、最高にエモーショナルだった。

吉岡を最初に観た時、地味で物静かで細身で同期の影に隠れていた彼が、団体を背負う選手の筆頭になろうとは思いもよらなかった。
Ben-Kやシュンの飛躍を横目で見ていたであろう彼が、最高のパートナーと輝きを手に入れて強くカッコ良く成長していく姿を目撃できた事は最高のプロレス体験の1つで、今後も進化を見守りたい。

最後に断言できるのは、吉岡勇紀はどこに出しても恥ずかしくないDRAGON GATEのトップ選手である事だ。

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