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「ゆとり」と呼ばれた世代の僕に、今必要だと思うこと

こんばんは。
苦手な寒さと日々戦っている師子若丸です。

僕の所属する創価学会では今、青年を中心とした取り組みについてよく語られるようになりました。

次の2月の座談会を前に「今、青年世代が何を感じているか教えて欲しい」と、地域の壮年からも声をかけていただきました。
本当に嬉しい、その気持ちがありがたい、正直いくらでも喋りたい笑。

でもちょっと待てよ、と。
そもそも青年って一括りにするけど、色々な人がいます。ZとかY世代とか、ゆとりとかさとりとか、色々呼び名もあるけど、多様な価値観を「青年の声」でひとまとめにはできないな、とも。

それでまずは、自分の考えていることを整理するためにnoteを書いてみようと思いました。

ここから書くのは、あくまで私個人、僕自身の一価値観と、その変遷過程です。

「ゆとり」と呼ばれて育った世代

Z世代の台頭でめっきり聞かなくなった気もしますが、僕たちの世代はよく「ゆとり」世代と呼ばれました。

幼い時に、国の偉い大人たちが決めた「ゆとり教育」を受けただけなのに、学生時代も社会人時代も「これだから、ゆとり世代は」と揶揄されながら育った世代。

「ゆとり」以上に個性豊かで、多様性の尊重が当たり前となった「Z世代」が登場するまで、ゆとり、さとり、色々な言葉で括られてきたように思います。

たとえば僕が生まれた平成という時代を振り返ってみると、「バブルの崩壊」にはじまり、「ゆとりある教育」のもとに小中学校時代を過ごしました。

高校時代には「リーマン・ショック」に端を発する世界恐慌を横目に、当時の僕は何が起きているのかも理解しないまま受験勉強や部活動に勤しんでいた。

少し上の「就職氷河期」世代の悲しいニュースを耳にしながらも、憧れていた大学生活。
そんな時に「東日本大震災」という未曾有の災害を経験したのでした。

特に、東日本大震災は当時学生だった僕の価値観を大きく揺さぶった。
しかも政権交代後の民主党政権、政界もまた混乱が続いていた。

今思えば、世界はなんとなくどんよりと暗く沈んだ色をしていたように思う。

でも、そうした環境を不幸だと思うこともなかった。
最初からバブル景気も経験してないし、少子化だって生まれる前からずっと続いてた。比較対象がないので、これが「当たり前」の世界。

希望あふれる社会を夢見る代わりに、自分自身を鍛えたり手の届く範囲での幸福を追求し、時には震災復興のボランティア活動に参加したりしていた。

スーパーカーも豪邸もいらないけど、自分の時間や身近な人を大切にする。
自分を含め、今ある条件の中で豊かに生きようとする力、したたかさを持ち合わせている人が多いというのが、(僕の勝手な)印象でした。

世代の評価


話は戻りますが、たとえば「ゆとり世代」はこんなふうに批評されました。

・競争意識が低い
・叱られ慣れていない
・言われたことしかやらない
・失敗を恐れ、チャレンジしない
・自分自身が成長したいという気持ちは強い

ある企業の社員研修で紹介されたゆとりの特徴

・問題を人や社会のせいにしがち
・物事はうまくいって当たり前だと考える
・このダメな状況を一気に解決するに夢のような方法がどこかにあると考える

内閣の教育再生会議委員を歴任したある教育者のまとめ

ググれば他にもいくらでも出てくると思いますが、基本はマイナスな世代評価だったと記憶しています。

今ではそうしたゆとり世代の特性をプラスの要素として捉え直すような言説も増えたけど、当時はとにかく「これだから、ゆとりは」と冗談交じりに揶揄された。

こうした“イメージ教育”と、その“対策と傾向”が、「ゆとり世代」を受け入れるべき世代に対して浸透していきました。

教育方針も、社会の変節も、何一つも自分たちで選んだわけじゃないのに、まるで自分たちが最悪の世代かのような言われ方をしながら社会に出る羽目をなったゆとり世代。
自分たちが“最悪の世代”だなんて、ONE PIECEの世界以外じゃ誰も喜んだりしない。

えー、これがまあ『問題を人や社会のせいにしがち』という特徴ですね。笑

これじゃあまりに自分がかわいそうなので最後に、ゆとり世代の良い部分も書いておきます。

・素直で真面目
・合理的かつ効率的な思考を持つ
・ITを使った情報収集能力が高い
・創造力が豊か

出典:ミイダスbyパーソル

うんうん、その通り。そう思います。笑

色々ちょっとずつ大げさに誇張して書きましたが、こんな感じでしょうか。

「ゆとり」と呼ばれた僕が、勝手に必要だと思っていること


さて、ここまで色々書いてみたわけですけど、一つ誤解して欲しくないのは、僕自身は「社会を恨んでいるわけではない」し「年の離れた先輩世代を嫌っているわけでもない」ということです。
むしろ羨ましいとも思うし、パワフルで魅力的だと本気で感じています。

でもそれは、どちらの世代の方が優れているとか、どちらの方が幸福かとか、そんな議論をするためではなくて、こうした「価値観や考え方に違いがあること、それ自体が価値あること」なんじゃないかと思っています。

もう少し正確に言えば、「価値観が違うこと、それ自体を価値だと認識して、お互いを尊敬できるかどうか」が、それぞれの世代を相互理解する上で、一番重要なことじゃないかと考えています。

先日の本部幹部会で原田会長が、青年を大切にする創価学会のあり方について、池田先生のご指導を紹介されていました。

「時代は、どんどん変わっていく。信心という根本は、決して変わってはいけないが、運営の仕方や、感覚というものは、時代とともに変わるものだ。学会は、その時代感覚を、青年から吸収し、先取りして、新しい前進の活力を得てきた」

「社会の流れや時代感覚は、青年に学んでいく以外にない。その意味からも、男子部や女子部が、壮年や婦人にも、どんどん意見を言える学会でなくてはならない」

新・人間革命24巻「人間教育」の章

この先生のご指導を聞いたとき、ご指導を紹介してくださったことも含めて、本当に青年を大事にして頂いてありがたいなという感謝が込み上げてきました。

その反面、この言葉に甘える青年じゃいけないとも思いました。

経験も人数も、信仰の深さも年輪も、あらゆる点で勝っている信心の先輩世代と対等に言葉を交わすには、青年世代、何より自分自身が今より「10倍」考え、「10倍」アウトプットしなきゃいけない。

壮年・女性部が「青年に学ぶ」ためには、その「青年が学び続ける」姿勢、「挑戦し続ける姿勢」が必要だと痛感しました。

大切にされているはずの青年に「先輩世代の考えを尊重し尊敬する姿勢」がなければ、理解は再び一方通行になり、世代間に分断が生まれてしまう。

だからこそ、今の僕自身にあらためて必要なのは、青年世代を大切にし、青年の話を聞こうとしてくれる「先輩世代を同じように尊敬し、大切にする」ことなんじゃないかと再確認しています。

ゆとり、さとりと揶揄された僕たちだけど、今こそ本当の意味で自分たちを理解し、「必要だ」と思ってもらえるいい機会なんじゃないかとも感じます。

みなさんの考えを教えてください

抽象論ばかり書いてきたので、
「そうはいっても青年世代の考えてることがわからない」とならないように、昨日の地区協議会で具体的に感じたことを書いて終わりたいと思います。

今度の座談会では、未来部世代に質問会をしたらどうか、その質問に担当幹部が答えるようにしたらどうか、と提案がありました。
僕もその提案には賛成ですが、「もっともっと未来部世代の考えを聞いてみたい」とも感じました。

僕らの考えが及ばない世代に対して、僕ら世代の考え方を一方的に伝えたり教えたりするだけでなく、僕ら自身がそこからもっともっと学びを得られるような企画にしたいと提案しました。

もし先輩が回答をするとしてもそれは、一問一答のような「答え」としてではなく、考え方や選択肢自体を示してあげることも素敵な「答え」だと思います。

今後も試行錯誤の中で、地域の方々と語り合い意見を出し合い、より良い座談会にしていきたいと思っています。

他にも思うことがあったらまた投稿しようと思いますが、ぜひ皆さんそれぞれの「自分はこう思う」「ほかの人はどう思っているのか気になる」などの考えも聞いてみたいです。

最近、地域の20代メンバーや未来部員から、意識的にいろいろな話を聞くようになり、学びが増えた一方で不思議なことに、先輩世代の確信あふれる体験や、一本筋の通った話にもいっそう感動を覚えるようになりました。

あらためて今、これだけ色々な世代の価値観と触れ合える学会のコミュニティが好きになったし、こんな自分を受け入れてくれた創価学会の地域の父母の存在に感謝しています。

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