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カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#48 片岡易之編

片岡 易之/治大(かたおか・やすゆき)

内野手 右投げ・右打ち 1983年2月17日生まれ
ライオンズ在籍:2005~13年
通算成績:1208試合 4413打数 1174安打 打率.266
     66本塁打 389打点 320盗塁
背番号:7(05~13年)

当日所属:TEAM LIONS

出身は千葉県だが、ふたりの兄が進んでいた宇都宮学園高(現・文星芸大付高)に“野球留学”。高3夏の栃木大会決勝では、延長13回裏にサヨナラヒットを打って、甲子園キップをつかみとる。だが、県大会では治まっていた背中の痛みが、甲子園では限界を超えてしまう。原因は疲労骨折。2回戦の松商学園高(長野)との試合中、3回が終わったところで、交代を申し出る。試合も敗れて、最後の夏には悔いが残った。

卒業後に進んだ東京ガスの同期には、のちに再びチームメイトになる内海哲也がいた。また入社3年目には、ライオンズ石井貴の兄である、石井章夫が監督に就く奇縁もあった。ただ、左手首の靭帯断裂、肋骨の骨折など、次々とケガをして、本人によると「東京ガス時代、年間を通してプレーできたのは最後の1年だけ」。登録名を本名の「保幸」から「易之」に変更したのも、あまりのケガの多さからだったという。

04年にNTT東日本の補強選手として、都市対抗に初めて出場するなど、その素質が開花すると、ライオンズがドラフト3巡目で指名。いきなりMLBニューヨーク・メッツに移籍したばかりの松井稼頭央の背番号「7」を与えるほどの評価だった。

それに応えるように、1年目の開幕戦からベンチ入り。いきなりオリックスバファローズ戦の8回裏に、貝塚政秀の代打で送り出される。だが、ここで投手も左腕の山本省吾から右の吉川勝成にスイッチ。これを受け、伊東勤監督が“代打の代打”柴田博之を告げたことで、片岡の打席は幻となった。

このため記録上、片岡は05年3月26日オリックスバファローズ1回戦に、代打でプロ初出場をしているのだが、プロ初打席は3日後の北海道日本ハムファイターズ2回戦となっている。 

この年5月の試合中、中島裕之(現・宏之)が顔面に打球を当てて、右ほおを骨折。空いたショートのポジションに起用されるチャンスもあったのだが、6月には片岡が右肩を亜脱臼。81試合の出場にとどまり、背中の「7」が重荷に感じたこともあった。

1年目のオフから、陸上競技経験のあるトレーナーと個人契約を結んでトレーニング。迎えた2年目の開幕6試合目、3月31日千葉ロッテマリーンズ戦に9番セカンドで起用されると、3安打3盗塁。翌日は逆転の2点タイムリー三塁打と結果を残す。これを機に、高木浩之、石井義人らとのセカンドの定位置争いを制すると、シーズン115試合に出場。規定打席に到達して打率.292、リーグ2位の28盗塁をマークする。 

続く07年には38盗塁で、初のタイトルを獲得。「僕は特別に足が速いわけではない。重要なのは思い切り」と迷いなくスタートを切り、ここから4年連続の盗塁王に輝く。これは松井稼頭央の3年連続(97~99年)を上回るライオンズの最長記録、4度の盗塁王も球団最多記録となる。

ライオンズ 盗塁王回数(2回以上)

08年には、栗山巧との1・2番コンビでそろってシーズン167安打。最多安打のタイトルを分けあった。レオのリードオフマンとして、ときにヒーローインタビューでスパイダーマンに扮して、西武ドームを疾走した。

「これぞ片岡」の名場面と言えば、やはり08年読売ジャイアンツとの日本シリーズ、両チーム王手で迎えた第7戦。1点を追いかける8回表の先頭で打席に入ると、左腕にデットボール。「よっしゃ」とばかりに手を叩いて出塁する。次の栗山の初球にノーサインで盗塁成功、送りバントで3塁に進む。

3番中島の当たりはサードゴロだったが、バットにボールが当たる寸前にスタートを切っていた。打球の行方は関係ない。前進守備の小笠原道大のバックホームよりも遥かに速く、トップスピードでホームイン。この間わずか4球の同点劇だった。片岡の足でもぎ取った1点が、ライオンズの日本一への道筋を切り拓いた。

この走塁に惚れ込んだ原辰徳監督が、翌09年の第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)侍ジャパンに片岡を選出。大会では4盗塁を成功させて、世界一メンバーの一員となる。

10年からは、右足ふくらはぎの負傷、右肩亜脱臼、左肩の手術、右手首を手術と、相次ぐケガで出場試合が減っていく。13年からは登録名を「易之」から「治大」に変えて、悪い流れを断ち切ろうとしたが、左ヒザ裏の腱の炎症で約3ヶ月間戦線離脱。1番打者には、秋山翔吾やエステバン・ヘルマンが起用された。

シーズン終了後、ライオンズとの交渉がまとまらず。仁志敏久が退団してから正二塁手が不在だったジャイアンツにFA移籍する。ただ、ジャイアンツでも度重なるケガによって、規定打席に到達したのは移籍1年目の14年シーズンだけ。17年には右ヒザの故障により、1試合も1軍出場がなかった。

このシーズン限りで現役引退。18年から21年まで、2軍の内野守備・走塁コーチなどを担当した。今年から新設された「ジャイアンツU15ジュニアユース」の初代監督を務めることになった。

片岡 易之(治大) 年度別成績

主なタイトルなど
 盗塁王4回(07~10年)
 最多安打(08年)
 ベストナイン(08年)
 オールスター出場 2回(08、10年)
 
「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」
3月16日(土)12:00開場/14:00試合開始
会場:ベルーナドーム
配信:パーソル パ・リーグTV
放送:BS朝日(翌日録画放送)

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