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「普通」という言葉について考える朝。の話

ふと、普通という言葉について考えてみました。

みなさんも、よく「普通」っていう言葉を使いますか?

例えば、「普通に○○しています。」とか「○○するのが普通でしょう。」などです。

しかし、考えてみると「普通」というのは、その人にとっては普通のことであり、別の人にとっては普通じゃない場合があるんです。

そういうことをふと思ったのは、今朝、駅でアナウンスを聞いていた時のことです。

『普通列車~○○行が入ります。』

よくありますね。

この時に思ったんです。

普通列車ってなんだろう?と。

というのは、僕が乗っているのは快速電車なんですね。

しかし、その電車に乗って毎日通勤しているので、僕にとってはそれが普通なんです。

しかし、通常、快速列車を普通列車とは言わないですよね。

それで、普通列車というのは、鉄道会社が普通列車と決めているわけです。

普通列車というのは、すべての駅でくまなく停車する。という列車だと思うのです。

無人駅もすべて泊まる列車です。

昔は、すべての駅で停車する電車が“普通”だったんですね。

それと比べて、駅を飛ばして、早く目的地に着こうとする列車を快速列車なんかと呼んだりするわけです。

しかし、それは鉄道会社側の価値観で、利用者にとっては自分が毎日乗る電車が“普通”となるわけですね。

つまるところ、『普通』というのは

それを言う本人が、これまでどのような価値観で生きてきたのか?

そのうえで、何を適切な価値観として選んで生きているのか?というバロメーターだと思ったんです。

だから、一口に『普通』といっても、十人十色、人それぞれの『普通』があると思います。

それでいて、どれが正しいということではなく、“どれも正しい”ということなんです。

ただ、問題なのは

自分の『普通』が唯一正しくて

他人の『普通』は間違っている

と思っている人ですね。

そんなことを思いました。

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