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兄弟げんかのいい話。

どうも、リキッドです。家メンのリキッドです。
僕は現在、32歳で2歳になったばかりの娘と、もうすぐ4歳になる息子の二人の子供がおります。それで、最近よく思うのですが、二人は本当によくケンカをするようになりました。というのも、今までは、下の娘は、まだ何もしゃべれなかったり、状況を理解できなかったりしたので、4歳の長男の言うなりでした。

例えば、自分が遊んでいたおもちゃを、長男に取られた場合。少し前だったら、何も言わずに、っというか、何が起こったか分からずにただ、ぼーっとしている状態でした。そして、また、次のおもちゃで遊びだす。こんな感じだったんです。
それで、現在がどうかというと、同じような状況で長男に自分が遊んでいたおもちゃを取られた場合、奇声を発して怒ります。そして長男のことを「エイっ!」という感じで叩くんですね。それで、長男とケンカになり泣かされるというお決まりのパターンになります。

僕は、少し前のnoteで書いたのですが、現在「ジャッジすること」をやめています。ですから、兄弟げんかに関しては、よっぽど、ケガをしそうな場合を除いては、静観しています。
「みぃ~てぇ~るぅ~だぁ~けぇぇぇ~!」
むかし、たかじんのそこまで言って委員会でおなじみ田島先生のCMでありましたね!ほんとに見てるだけです。ただ、逆に言うと、子供たちに対して「ちゃんと見ている」ということは伝わっていると思います。じぃ~っと見ていますからね。

兄弟げんかって、小さいうちは(大きくなってかもしれませんが)絶対に勃発するものだと思います。特にうちの場合は2歳しか年が離れていないためか、最近本当によくケンカするようになりました。それは裏を返せば、2歳の長女はケンカができるぐらいちゃんと物事を理解できて来ている。っていう風にも見ることができます。
まず、言葉を理解し、状況を理解しできないと、"ケンカ"すらも始まらないですからね。だから考えてみると、ケンカできるってすごいことだと思うんです。ケンカって成長しないとできないというか。

例えば、みなさん、英語ってしゃべれますか?僕はしゃべれません。ただ、しゃべろうとはしますが。それで、英語がしゃべれず、また相手の英語を聞き取れない状況で、アメリカ人が自分に対してまくしたてるように怒ってきたら?どうでしょうか?たぶん圧倒されるだけだと思うんです。

これが、自分もちゃんと英語をしゃべれて、また英語を聞き取れるとどうでしょう。この場合は相手の相手の言っていることをちゃんと理解して、自分の状況を判断し、相手に英語で言い返すこともできそうですね。
下の娘もこんな感じだと思うんです。今、娘は2歳になったばかりです。それで、ホントによくしゃべるんです。まだ、2歳なのでカタコトではあるんですが、「おにいちゃん、イタイイタイ、したぁ」(訳:長男に叩かれた) 「ゲゲゲ ろう」(訳:ゲゲゲの鬼太郎が面白いよ。) という感じでしゃべっています。ホントに、寝ている時と、食べているとき以外はしゃべっています。

それは、自分の感じたことを、カタコトの言葉にできるようになり、また、自分の状況もちゃんと理解できるようになったということでしょうね。
このまま成長したときに何歳まで「おとうちゃぁん!」って言ってくれるのでしょうか?妻には「あと2年やな。。。」って宣告されているのですが、そんなことないですよね?ないはずです。たぶんないはず。。。いやだ。。。

兄弟げんかができるってことは、ある意味で成長したあかしだと思うんです。子供は日々、成長するものなので、兄弟げんかっていうのは避けては通れない道ですね。
それで、最初にも書きましたが、僕は兄弟げんかが起きたときにジャッジをしません。つまりは、どちらが悪いかを僕が判断しないんです。
だから、「お兄ちゃんなんだからがまんしなさい!」とか「叩いたほうが悪い!」とか「ケンカ両成敗」など。両成敗は止まりませんからね。

じゃぁ、どうするのか?ですが僕の場合、二人のケンカがひと段落したらこう言います。「お父ちゃんは二人が仲良く遊んでくれたほうが嬉しいなぁ。」そして「どうしたら仲良く遊べそうかなぁ?」この2つの意思を伝えるようにしています。

この言い方だと、まず、誰が悪いかを僕は言っていません。ただ、仲よく遊んでほしいと伝えています。そして、そのためにどうしたらいいか?を子供たちで(場合によっては僕も参加します。)考えてもらうようにしています。

兄弟げんかって、考え方を変えれば、コミュニケーションを練習するいい機会だと思うんです。ただ単純に叩いたり、大きな声で怒ったりするということ、つまり、コミュニケーションの手段が間違っているだけで、ここを学んでいく一つのいいチャンスだと思うんです。

大きくなるにつれて自分の思ったように、物事は進んでくれません。そのときに、どうすれば自分を含め、みんなにとって状況がよくなるのか?ここを考えて、それを言葉で伝え、解決策を探していく。それが、円滑なコミュニケーションとなり、それこそがよりよい人生を形作っていくんだと思っています。兄弟げんかってこの事を学んでいく最初の第一歩である気がします。

昔の人って経験的にこれを感じ取っていたのではないでしょうか?「ケンカするほど仲がいい」って諺󠄀があります。これって、ケンカするってことは仲がいい証拠だ。という意味の他に、ケンカすることでよりよい人間関係を探っていくことができる!っていう意味もあるんではないでしょうか?
そういう意味で、兄弟げんかというのは悪いものではなく、円滑な人間関係を学んで行くためのいいチャンスだと思いました。

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