傾聴ボランティア

人の話を聴くって難しいですよね?
僕も、苦手でした。
正確には、苦手だったんです。

僕が傾聴ボランティアと出会ったのは
「傾聴ボランティア入門講座」
というチラシをたまたま手に取ったことに始まります。
もともと、何かボランティアをしたい!という気持ちはあったんです。
ですが手段がわからない。

何かしたくても、できない自分がいる。
もどかしい気持ちがありました。

だから、たくさんのチラシの中からこのチラシが
僕の目に一瞬で飛び込んできました。

そして、思い立ったら吉日。
傾聴について学んでいくことにしました。

ところで、傾聴って何でしょう?
人の話を聴くってどういうことでしょう?

現在、僕は31歳です。
人の話を聞くより、話す方が好きでした。
誰かに聞いてもらいたい。
自分の考えを聴いてもらいたい。

そういう気持ちが強かったんですね。

「傾聴」は漢字の通り
”聴く”ということに全身全霊を”傾け”ます。
つまりは、ただ、音として話を聴くのではなく
相手と向きあい、その人の表情や息遣い、全身から感じる雰囲気などを察し
相手の価値観に寄り添っていく。

そして、共感する。

共感する上で大切なのは
「それが正しいかどうか?という自分自身の価値観はいったん置いておく」
ということです。

僕自身、正論が好きです。

この考えは正しい!ということを人に聞いてもらうのが好きです。

ですが、傾聴の勉強をしていくうちに
この考えは正さなければならないということに気づきました。

たとえば、リンゴがあるとしましょう。
リンゴって皆さん何色に見えますか?

だいたいの人は赤に見えるのではないでしょうか?

その中で、リンゴが茶色に見える!といった人がいたとしましょう。

どうされますか?

今までの僕なら、「何を言ってるん?リンゴは赤でしょうッ!」

と、正論という剣を振りかざし、これは誰がどう見ても赤色だということを
突きつけ、相手の胸に刺す。

正論を突き付けられた相手というのは、傷つきますね。ぐうの音も出ません。

そう考えると、僕は今まで
知らず知らずのうちに人を傷つけてきたのかもしれません。

ですが、今の僕はチョット違います。

まず、「この人はリンゴが茶色に見える」ということを受け入れます。

大半の人と同じように
自分も赤色に見えるという事実はいったん横に置きます。

そして、リンゴという果物を
その人と同じ方向から眺めるようにしてみます。

ちょうど、学校で美術の時間に被写体を取り囲んで絵を描いた
あんな感じです。

見る人の角度によって、同じものを描いても違った形や色になりますよね?

同じようにその人側からリンゴを見ると
少し痛んで茶色く見えていたのかもしれません。

それを、頭ごなしに、リンゴ=赤 と決めつけないで

なぜ?この人はリンゴが茶色に見えたのか?
この点を、その人と同じ目線で探っていく。

こういう態度が傾聴です。

そうするとね、一つ自分の中で変わった点があったんですね。

それは、ほかの人に関心が出てきたということです。

今まで、ほかの人に関心がなかったわけではないのですが
それほど、興味もありませんでした。

しかし、傾聴は
自分とは違った価値観や考えの人に対して
その人の側から一緒になって考え共感していく。

という態度です。

ということは、「あぁ、こういう考えや感じ方もあったのか?」と

自分自身をアップデートすることができるんですね!

このように書くと、やっぱり自分にしか興味がないのか?
と思われますね。

しかし、自分の顔は自分では見ることができません。

他の誰かとのコミュニケーションを通して
自分のポジションを確認していく必要があります。

また、そうすることで、自分の間違えに気づくことができると思います。

それは、社会にとってとても有用なことなのではないでしょうか?

まだまだ、傾聴ボランティアはスタートしたばかりです。

もし、何かで悩んだり、ただただ、話したいという方は

相談に乗りますよ。

ただ、聴く。それだけです。

問題に対して解決策を出したり、自分だったらこうする。というようなことは
極力いたしません。(ドクターX風)

というか、できません。

答えはいつだってあなたの中にあるんですから。

もし、話を聴くことで誰かの役に立てるなら

それが僕のボランティア活動に望む唯一の答えです。

メールでも、電話でも、コメントでも。。。

僕は、ボクにできることから始めますね。








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