Radical Face『The Family Tree: The Branches』ライナーノーツ

アーティスト:Radical Face
タイトル:The Family Tree: The Branches
レーベル:Lirico / Nettwerk
品番:AMIP-0041
発売日:2013年11月3日

作品詳細:http://www.inpartmaint.com/site/7041/



 ジョン・ヘンリーがちいさな赤ちゃんだったとき、
 パパのひざに座っていた
 ハンマーと鋼鉄のたがねを手にとって言った
 「ぼくはこれに殺されるんだ」と
 「ぼくはこれに殺されるんだ」
 (アメリカ南部民謡「ジョン・ヘンリー」より) 


    
ラディカル・フェイスことベン・クーパーを一言で紹介するとしたら、「天才」こそがふさわしい。フロリダ州ジャクソンヴィルで生まれ育った1982年生まれの音楽家/小説家/画家/映像作家/プロデューサー・・・。その数々の肩書きが彼の天賦の才を端的に表していると言える。音楽家としてのキャリアはすでに10年を越えるが、メイン・プロジェクトであるラディカル・フェイスとしてはこのたびリリースするアルバムがようやく3作目となる。

ベン・クーパーという男の人となりやバイオグラフィー、その膨大なサイド・プロジェクトに関しては、2011年にLiricoよりリリースされた前作『The Family Tree: The Roots』の解説に事細かに記されているので、ここでは詳しい紹介は省きたい。元々、小説家を志していたものの、書き上げた小説をハードディスクのクラッシュで失い、新しいパソコンを購入するためにアルバイトをはじめたのはいまから10数年前、高校卒業後のこと。物書きに替わる新たな趣味を得ようとしたのが、彼が本格的に音楽を作りはじめたいきさつである。

当時、ベンがアルバムのプロデューサーを務めた、いまではアメリカでもっとも注目されるヒップホップ・アーティストとなったアストロノータリスことアンディ・ボスウェル(ふたりは高校の同級生)からベルギー人エレクトロニカ・アーティスト、スタイロフォームを通じ、ベルリンのモール・ミュージックへと彼の音楽が伝わり、ただちに契約へと至ったのが2005年ごろのこと。2006年のはじめにはベンの高校の後輩であるアレックス・ケインとのユニット、エレクトリック・プレジデントとしてのデビュー・アルバムがモール・ミュージックからリリースされた。当時、老舗エレクトロニカ・レーベルとして評価されていた、かのレーベルがポップ路線へと大きく方向転換を図った時期にあって、この作品は当時のモール・ミュージックでもっともヒットした作品となった。

ラディカル・フェイスとしてのデビューはエレクトリック・プレジデントのリリースからちょうど1年が経った2007年のこと。2003年ごろから構想されていたという、輝かしいデビュー作『Ghost』は「家」をテーマにした作品で、コンセプト・アルバムしか作らない完璧主義者のベン・クーパーが成し遂げた、はじめての理想的作品だった。エレクトリック・プレジデントのヒットが本家であるラディカル・フェイスにもたらした功罪はさまざまだが、重厚な物語性と高い作家性を持った『Ghost』はエレクトリック・プレジデントほどポップでわかりやすくはなかったため、期待されたほどの成果を得ることはなかった(後にキャノンのキャンペーンCMにシングル曲「Welcome Home」が使われたことでロングセラーとなったが)。

『Ghost』製作時から構想を練りはじめたという「家族/ファミリー」というテーマ。10人兄弟の長男として育ったベン・クーパーにとって、家族の存在が人格形成に与えた影響は計り知れない。親戚を合わせると何十人ものクーパー一族がジャクソンヴィル周辺で暮らし、時にベンの音楽活動を支えている。彼自身が中心となって作り上げた数々のミュージック・ヴィデオはいずれも仲間うちで手作りした低予算の映像だが、家族の助けは欠かせない。またベンは毎週土曜日には甥や姪たちのベビー・シッターを務めており、子どもたちからは「グリズリーおじさん」と慕われているらしい。

そんなベン・クーパーにとってライフ・テーマとも言うべき「家族」をテーマにした「The Family Tree」三部作。前作『The Family Tree: The Roots』はその三部作の1作目として2011年にリリースされた。この作品は1曲だけピアノで弟のエメラル・クーパーが参加している以外はすべてベンひとりだけで製作が行われた。彼の理想だったハード・カヴァー・ブック型のパッケージという形態(製造コストは通常のデジパックの約2倍!)でのリリースを突き詰めるべく、モール・ミュージックを離れ、自主レーベル、ベア・マシーン・レコーズ(名称はもちろん「ベア」という自身のニック・ネームから)を立ち上げ、そこからのセルフ・リリースという形で届けられた(なお、この自主レーベルの運営にはもちろんクーパー家の家族たちが深く携わっている)。

構想4年、ソング・ライティングに2年が費やされた「The Family Tree」シリーズは、1800年代からはじまり1950年代にいたるまでの架空の家系「ノースコート家」をモチーフとし、アメリカの歴史とクーパー家自身の家系、そして自身の経験を絡め合わせることで物語を形成している。三部作の1作目となる『The Family Tree: The Roots』では、1800年から1860年にかけてのノースコート家のふたつの世代が描かれている。物語に込められているのは「悲しみ」、そして「後悔」と「死」であり、それは三部作を通じて描き出されている。また『The Roots』において、使用する楽器にあえて制限を設けるという実験を行っている。使用楽器は、ピアノ、アコースティック・ギター、フロア・タム、そして声。その他の楽器に関しては、“楽曲が必要としたときのみ”使うことを許可するという制限。ミニマルな楽器編成をラディカル・フェイス特有のレイヤード・サウンドで補いながら、得意の多重録音コーラスを駆使し、壮大な世界観を伝え切ることに成功している。

そして、『The Roots』の最終曲「Mountains」において、「see you again」という言葉と、アルバム中もっとも華やかで重厚なフィナーレで第一部を終えてからちょうど2年。「The Family Tree」三部作の2作目『The Family Tree: The Branches』がついに届けられた。しかも世界的なレーベル、ネットワーク・レコーズと契約してのリリースとなる(以前からネッ
トワークのマネージメント部門とは契約していた)。当初の予定より1年遅れではあるものの、個人的には思っていたよりも早く聴けたな、という印象。この2作目では1860年から1910年にかけてのノースコート家を描いている。時は南北戦争が終わり、アメリカが工業的に、経済的に急速に大きな発展を遂げる数十年間。そして20世紀を迎え、第一次世界大戦を目前に控えた時代までが本作の時代背景だ。

サウンドに関してほとんどすべてをベンひとりで手がけているのは前作と変わらないが、物語内の時間が進むにつれて、前作で自ら課していた楽器の制限も解かれ、より様々な楽器が使用されている。特にフル・ドラム・セットとエレクトリック・ギターの使用が本作に多大なダイナミズムをもたらし、ストーリー・テリングを重視するために自制していたディストーションやノイズも導入し、サウンド・プロダクションの面において大きな発展を遂げている。

リリック面でも変化がみられる。前作が「物語の口承/伝承」をそのコンセプトにしていたのに対し、本作は「手紙」をコンセプトにしている。ほとんどの曲が、ある人物と別のだれかとの往復書簡という形態をとっているのだ。登場人物に固有名がないのと、一人称と二人称を中心に語られているのは前作と同様で、『The Roots』の次の世代の家族を描いている。前作に比べると上述したような時代背景をより織り込んでいる印象を受ける。1869年、最初の大陸横断鉄道が開通し、19世紀末にかけて鉄道の発展とともに加速度的な工業化・産業化が進んでいく。それに伴い商業が勃興し、農業国から工業国へと急速な変貌を遂げ、都市化も進んでいった。そんな時代にあって、『The Branches』の中心となるキャラクターは、おそらくは当時続々と生まれていった巨大企業の工場で奴隷のように働く労働者階級の男。日々、死んだように働きながらいつか安らぎの場所を見つけることを願う男(M2「Holy Branches」)。その便りへの返事と思しきM3「The Mute」は、家族への謝罪の歌を頭のなかで歌う弟が家を出るという内容。この曲は2012年の来日公演において一度だけ演奏されたので覚えている方もおそらくいるだろう。子どものころの兄弟でのある夏の冒険を回想するM5「Summer Skeletons」と、血のつながらない兄と弟の往復書簡と思しきM6「The Crooked Kind」。戦争(1898年の米西戦争か?)で重傷を負った息子からの母への手紙(M8「Letters Home」)。そして、工場での過酷な労働でついに精神を病んでしまった男(M11「The Gilded Hand」)と、その男による遺書ともとれる内容の手紙(M12「We All Go the Same」)でアルバムは幕を閉じる。国家と企業という巨大な組織の犠牲者(かたや戦争の、かたや労働の)として描かれている、本作での登場人物たちがそれぞれに抱えた「悲しみ」と「後悔」。『The Roots』の家族には少ないながら救いも用意されていたと思えるが、『The Branches』の家族には救いは一切用意されていない。「「家」という概念とその意味、それに自分の家族が常にもっとも美しいものでありながら、時に醜い瞬間を孕んでいるということについてもよく思いを巡らせて、曲を書いた」とは前作リリース時のインタヴューにおけるベンの発言だが、もしかしたら「美しさばかりではない」という家族に対する彼のネガティヴな感情が本作のリリックには現れているのかもしれない。

さらにベンはちいさなアイデアを細部に潜ませている。たとえば「The     Gilded    Hand」というタイトルは、南北戦争後の好況時代を指す「金ぴか時代(Gilded Age)」(マーク・トウェインとチャールズ・ウォーナーによる小説に由来)から取られているのは明らかだろう。また、この曲は1870年代に活躍したとされる黒人の鉄道工夫のヒーロー、ジョン・ヘン
リーを歌ったアメリカに伝わる数々の民謡に対する返歌のようにも聞こえる。ハンマーの名手ジョン・ヘンリーは蒸気ドリルに勝負を挑み、勝利するものの、疲労で死んでしまう。ジョン・ヘンリーのバラードが機械文明に対する誇りを歌ったものであるのに対し、「The Gilded Hand」は機械文明に立ち向かえず、平伏しなければいけない運命を歌っているようにも思える。そして、M10「Southern    Snow」は、降雪がほとんどないフロリダ州において1889年に吹雪が吹き荒れ、歴史上、唯一0°F(-18℃)を下回った出来事をモチーフにしていると推測される(南部=フロリダ州であると仮定するのは容易だろう)。

また、三部作の各章をつなぐために、彼は細やかな仕掛けを施している。前作の曲で用いたメロディーやコード進行を本作の曲でも引用するという試みだ。たとえば前作の「The Dead Waltz」のメロディーとコード進行が本作の「Southern Snow」でも使用されている。ベンの説明によると、「The Dead Waltz」で描かれた女性の孫にあたるのが、「Southern Snow」で行方知らずになった姉だと言う(ちなみに実際にベンは姉を亡くしているそうだが、その経験を反映しているのだろう)。さらに前作のなかの双子の兄弟の死を歌った「Severus and Stone」と、本作のなかの血のつながらない兄弟を歌った「The Crooked Kind」もまた共通のメロディーを持っている。

本作では前作に引き続き、弟のエメラル・クーパーがピアノで参加(「Southern Snow」)している以外に、友人のジョシュ・リーがヴィオラ・ダ・ガンバで参加(「Summer Skeletons」と「The Crooked Kind」)し、アンソニー・アナプカがファゴット(バスーン)で参加(「From the Mouth of An Injured Head」)しており、それ以外の楽器はすべてベン自身による演奏である。わざわざ彼が他人(しかもクーパー血族以外)の力を借りるからには、楽器の選択も含めて意味があるに違いない。たとえばヴィオラ・ダ・ガンバは16世紀から18世紀にヨーロッパの宮廷で用いられたヴィオール属の楽器(いわゆるヴィオラはヴァイオリン属で別系統の楽器)だが、確かにいずれの曲でも印象的に使用されているが、この楽器でなければいけなかった理由について考察しておこう。ヴィオラ・ダ・ガンバは18世紀後半に一度完全に廃れてしまったが、19世紀末(つまり『The Branches』で描かれた時代)の古楽復興運動で復活を遂げたというバックグラウンドから使用したことが推測されるし、また「Summer Skeletons」の現在から美しい過去を回想する視点はある意味ではこの楽器の歴史にもフィットすると言えるだろう。いずれにせよ、こうした妄想や深読みをリスナーに強いるのも、彼の才能だと言えるし、ベン・クーパーの音楽が強くひとを惹き付けてやまない理由のひとつだろう。

ベン・クーパーが仕込んださまざまな仕掛けは、リスナーが気づく、気づかないに関わらず、すべてはストーリー・テリングのためのものだ。三部作の最終作においてはきっと3作が複雑に絡み合ったものになるだろう。彼の頭のなかではすでに物語は完成しており、あとはそれを具現化するばかりだ。『The Roots』だけでは気づけなかったことがある。『The Branches』を聴いて、この「The    Family    Tree」三部作が想像以上に壮大なスケールで描かれているということ。ベン・クーパーは時間芸術である音楽と物語の強さによって、時間の流れ(歴史と言い換えてもいい)すらを操ろうと試みているようにすら思える。生があって、死がある。最後に「いつかみんな死ぬ」と歌いながらも、まだ血が途絶えることはない。ストーリーはつづく。三部作の最終作『The Family Tree: The Relatives』の完成までおそらくあと数年はかかるだろうが、辛抱強く待ちつづけよう。できればそれまでにもう一度、ツアー嫌いのベン・クーパーがまた日本を訪れてくれることも期待しつつ。

2013年10月 大崎晋作    (Lirico)


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