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ストライプ柄はお好きですか?

19世紀のロンドンには女性向けのテーラーが出現しました。ハリーポッターの制服をイメージするような、どこかかっちりとしたスタイルが流行。これはパリにコンプレックスを刺激されたロンドンでは「慎ましい美しさ」が求められたから。つまり同時期のパリの流行はこの逆だったことがわかります。

ルイーザ(演:夢白あや)のストライプが鮮やかなピンクのウールドレスは流行に敏感な様子が見てとれてとても素敵。化学染料が発明されたためド派手な生地が大量生産できるようになったのです。ただ青色の染料といえば高価なイメージが定着していたのもあり、ピンク地に青のラインのストライプにはまさにこの時期のブリティッシュ・ファッションの精神がよく表れていると思います。

今回の題材は特濃のファンを多く抱える作品ということで、ただ舞台となるヴィクトリア朝が好きなだけの自分が今さら深掘りして解説するなんて畏れ多くてできません。そのため章を分ける形で19世紀のロンドンを紹介しながら作者であるドイル氏の生涯を中心にふれていこうと思います。

※すべてを読んだらわかるのですがドイル氏の生涯はシリアス寄りに解説する必要があります。このため全力でコメディを楽しみたい方、難しいことを考えたくない方、観劇直前で混乱したくない方が読むのにはあまり適していません。

※今回はいつも以上に時代背景の解説が中心になっています。一部ネタバレになってしまうかもしれない内容を含むためご注意ください。

※画像を用意する余裕がなかったのでオールテキストによる解説です。

※途中休憩を挟む場合は「19世紀の心霊学者」まで読んでからにするとキリがいいです。

それではまずアーサー・コナン・ドイル(演:彩風咲奈)の前半生をざっくり確認してみることにしましょう。


名前の由来

アーサー・コナン・ドイル。この名探偵の生みの親の名前のうち、コナンは大叔父からもらった姓です。ではアーサーはどうでしょうか?名づけの理由については特別明らかにはされていないと思うのですが、生まれがスコットランドのエディンバラというのもあって紹介したい話があります。

ケルトの英雄

遥か昔はイギリスも大陸と繋がっていました。これは日本と同じ。その後島国となった当地に鉄を持ちこんで住みついたのがケルトの人々。グレートブリテン島の先住民は彼らだったというわけですね。

やがてこの島にもローマの支配がおよび、それがなくなってようやくケルト民族が再興するかと思いきや今度はアングロサクソン人に制圧されます。このアングロサクソン人に対抗しようとしたケルト民族の英雄がアーサー王。

その後グレートブリテン島の中南部ではケルト民族とアングロサクソン人の同化が進んだ結果としてイングランドが、北部ではアイルランドから移住してきたケルト系の民族によるスコットランドが成立します。

イングランドはケルト民族を同化していったとはいえあの強国・ローマを制したアングロサクソン人の国。以後もイギリスの歴史といえばイングランドの歴史を指したりして島国内での影響力を強めることになります。

一方スコットランドはあくまでもケルト民族の国として出発。1859年に首都・エディンバラに生まれた男の子は英雄・アーサーの名をもらいました。

父・チャールズの都落ち

さて、ドイル氏の生い立ちを解説する前にその父・チャールズ(演:奏乃はると)の半生を確認しておきたいと思います。簡単に言えば酒癖の悪い親父(だから配役が出る前からにわさんだろうなと思っていた)なのですが、そんな彼にはあるコンプレックスがあったのです。

華々しく栄える都心・イングランドに対し、スコットランドといえばどこか素朴な田舎をイメージします。ドイルの父・チャールズはイングランドで生まれたものの、職を得るためにスコットランドへ移らなければならなくなったのです。

元々芸術一家に育ったチャールズでしたが、早くから成功をおさめた兄たちとは異なり生前にその才能が認められることはついにありませんでした。なんとか公務員として測量の仕事を見つけた彼はドイルの母・メアリ(演:妃華ゆきの)と結婚します。

母・メアリの奮闘

今回ドイル氏の家族として登場するのは父・チャールズ、母・メアリ、そして妹であるロティ(演:野々花ひまり)とコニー(演:華純沙那)だけです。しかしドイル氏には本来もっとたくさんのきょうだいがいて、ドイル家の家計は常に逼迫していました。

ドイル氏が生まれ育った街は産業も乏しく、貧しい労働者たちは夜になると酒を飲んでは鬱憤や不安を忘れようとしました。父・チャールズも例外ではなく、アルコール依存症になり精神を病んでしまいます。

そんな中母・メアリは子どもたちに不自由な思いをさせまいと奮闘します。教育にも熱心だった彼女により本を惜しみなく与えられたアーサー少年は自力で空想力や表現力を磨いていきました。

支援者・ブライアン

父・チャールズが精神病院に入って以降、姉たちは家庭教師として働き、ドイル氏も続こうとします。彼が選んだ職業は医師でした。そのきっかけをつくったのが後に母・メアリと親密な関係となるブライアン・チャールズ・ウォーラー(演:桜路薫)です。

彼も医師でありドイル家が家計の足しにと迎えた下宿人でもありました。そしてチャールズが精神病院に入っている間にメアリとブライアンの心が通じてしまいます。大前提としてドイル家は敬虔なカトリックでしたし、この当時はたとえ廃人となった伴侶であっても妻側の意思では離婚できません。つまりふたりは不倫の関係にあったのです。

ようやく出た相関図を見るとメアリとチャールズの間のピンクのラインは途切れているのに対し、ブライアンとのラインはしっかり結ばれています。彼がキャスティングされた時点でコメディとはいえしっかり取り上げるのかとびっくりしましたが、そこそこ重要なエピソードになりそうですね。メアリとブライアンの両者は自身の血統を誇る(ドイル氏もメアリも元をたどれば王朝に繋がる家系とされる)傾向があったことでも仲間でした。

ドイル氏が母親の不倫をどう思っていたかというと、有名な説によればホームズの作品群の中にたびたび登場するメアリと名づけられた人物はいずれも手厳しい扱いを受けているため嫌悪感を抱いていたのではないか、という話です。しかしそれにしては手紙のやりとりは晩年まで頻繁にしていたりするし、なんやかんやと交流はあった様子なので表向きは距離をとっていた程度なのかもしれません。

一方ドイル氏とブライアンとの関係を見てみるとこちらも一筋縄ではいかない様子。支援者というだけあって金銭的にも精神的にも助けられていたのは間違いありません。医師になると決めたのも下宿生だったブライアンにすすめられたからなのです。

親子は似るというけれど

ここまではギリギリネタバレにならない範囲だと思います。問題はこの後。何か不穏だなと思った方はグレーのテキストを読み飛ばしてしまってください。

実はドイル氏自身も母と同じ道を歩み、不倫を犯してしまいます。ただ男女の立場の違いなのか、ドイル氏がルイーザと死別するまではプラトニックを貫いたからなのか、(ルイーザ以外の)家族はどちらかというと受け入れていた様子。ルイーザ自身もすでに病床末期にいましたから知ってか知らずかといった感じです。それでも本人としては確かにひっかかるものがあったと見え、悩んでいる期間中に執筆された作品には不倫の描写がなかったりします。

19世紀の医師

それでは気を取り直して最初に解説するのはドイル氏自身の本来の職業であった医師について。それにしても雪組は医師役経験者が多いですね。ドイル氏が生きた時代の直前期にあったのがゲルハルト、その彼が生まれるかどうかという時期に処刑されてしまったのがストルーエンセです。

当時の医師像

ここで問題です。当時の医学生はどんなことを大学で習っていたでしょうか。言いかえれば、当時の医師が行う治療とはどんな内容だったのでしょう。

18世紀までの医師の診療行為といえば問診くらいしかなかったといいます。もちろんすでに各種の薬草や瀉血など、具体的な治療は行われていましたがまだまだ未熟な段階にあったのです。

これが19世紀に入ると病理学が急発達を見せました。一方で対話によって人を診ていた医師は検査結果や自分の目で発見できた症状だけを診るようになったと揶揄されてしまうこともあり、何だか現代の医師と患者の関係に少しずつ近づいてきたような気がします。

ちなみにイギリスの人々は自分の体を医師にさらして診察してもらうことに強い抵抗を持つ傾向があったのでこの近代的な診察を嫌う人が多かったそうです。聴診器で胸の音を聞くことさえ嫌がられた模様。あのヴィクトリア女王に長年仕えた侍医もまともに診察できず、死後になってようやく女王の体に子宮脱の症状があったことが知られました。

追いかける立場のイギリス

世界史に出てくる名門医学校といえばまずイタリアのサレルノを思い浮かべます。ヨーロッパ最古の医学校とされるこの学校ですがドイル氏の時代には惜しくも閉校してしまっていたので今回は割愛。

そうなると次点にくるのはやはりフランスのモンペリエでしょう。さらにその下となるとストルーエンセが卒業したドイツのハレもいろんな意味で有名。オランダも医学界では早くから名を馳せていた国のひとつで、日本に蘭方医学を持ちこみました。

イタリアとフランスの2トップを追いかける形でドイツやオランダが続いた近世の医学界。残念ながらイギリスのオックスフォードやケンブリッジはなかなか肩を並べることができないでいました。というのも、18世紀までのイギリスで名医とされた医師はそろって国外の名門校出身者であり、そもそも大学教育を受けていない「目で技術を盗んだだけの医術職人」ばかりだったからです。

転機がやってきたのが産業革命。19世紀に入ると他の分野ではぶっちぎりで先頭をひた走り始めたイギリスは急ピッチで医療改革を進めようとしました。ところがその動きの妨げになったのが旧来の保守層が支持する診療体制だったのです。

医師の分類

この時期のイギリスの医師は顧問医と一般開業医の2種類のタイプに分けられました。元々医学の発展の歴史を見ると内科医の下位に位置づけられ、その指示のもとに治療や調剤を行うとされた外科医と薬剤師(当時は医師の一種とされていた)でしたが、それぞれに管理団体が存在し医師免許を発行していました。

18世紀に入ると薬剤師の地位が向上し単独での診療が認められたことで三者の関係が崩壊します。これに代わって成立した医師の分類が顧問医と一般開業医です。医師免許を得て各個人で開業するという基本はどちらも同じ。 

旧体制の内科医のほとんど(アカデミックな教育を受けていた)と外科専門医(研究熱が高かった)は専攻特化型のスペシャリストな顧問医に、残りの複数他科の看板をかかげていた外科医と薬剤師の両方の免許を所持する医師は幅広く診療を行うジェネラリストな一般開業医と呼ばれるようになったのですが、違ったのはその社会的な役割でした。

顧問医

18世紀以降のヨーロッパ諸国では急速に進む近代化と都市化の影響により大量に発生した貧民対策として各地に大きな篤志病院が次々と建てられていきました。イメージ的には公設私営の株式病院といったところで、出資者が運営方針や人事、患者の受け入れの可否まで意見するような病院でした。当然病院理事会には資本家や貴族、有力地主などが名を連ねていたのでそのような階級にある人々の交流の場でもあったのです。

顧問医とはこの篤志病院の役職を持つ医師のことを指します。名誉職なのもあり篤志病院で働く分に関しては無給でしたが、名前を売る場所としてはてっとり早かったそう。自分を売りこみたい医師にとっては有力支配層とのコネクション作りに奔走する場だったのですね。顧問医は併設の医学校では教える側にもまわり、そのポジションを得ることが医師としての成功を目指す第一歩でもありました。

注意しておきたいのが、貧しい人々のためにつくられたからといって低いレベルの医療ばかりを提供する病院だったわけではなく、たとえばホームズとワトスンの出会いの場所となった聖バーソロミュー病院は数々の医学研究に貢献してきた歴史があります。現代日本で生活困窮者に対して無料低額診療を実施している済生会グループと、国内最先端の研究をリードする立場の東大医学部といった双方の理念を合わせもった病院とイメージすると理解しやすいかもしれません。

一般開業医

それでは一般開業医はどんな様子だったかというとなかなかの辛苦を味わっていたようです。有力なコネクションなどないので診療する対象はこちらも貧しい労働者階級が中心。お金のない労働者から直接診療費をもらうというより、彼らが属する組合と契約を結んで給料をもらう契約医を複数兼務する者が多かったのです。現代日本でも小学校や中学校の嘱託医を地元の内科クリニックの先生が務めていたりしますが感覚としてはそんな感じ。

しかしその契約を勝ちとるのが大変で、入札方式なので買い叩かれるし、そもそも当時は医師が過剰供給気味。さらにそこへ無免許医まで加わってくるので開業医のほとんどは不満を持っていました。

余裕がないので薬や設備も満足にそろえられず、顧問医との診療レベルの差は広がるばかり。これには法律の制定も関係していて、国の援助を受けずにいた最下層の労働者の意欲を維持するために、さらにその下に位置した救貧法適用者に対する医療は制限をかけられてしまったのです。この階層もメインターゲットに含んでいた一般開業医は有効な医師免許をひとつ持ってさえいればよかったので、しだいに薬剤師免許を持たない者が出現。医師としての質の低下が懸念されるようになりました。

これに危機感を抱いた当局はイングランドやウェールズにおいて発行された医師免許を要求。スコットランドとアイルランドで発行された医師免許所持者を排除しようという試みでしたが、つまりこの両者には格差があると見られていたことになります。当然スコットランドとアイルランドの医師養成機関から猛反発を受け、この動きが国家統一の医師免許を創設するきっかけとなりました。

ドイル氏の医師としての歩み

このように社会における立場が全く異なっていた顧問医と一般開業医。ドイル氏が卒業したのはエディンバラ大学医学部ですが、当時イギリス国内で最も進んだ医学教育を実施していたのはスコットランドなのです。

このため都会のイングランド出身の学生がたくさんいたものの、彼らがイングランドに帰って開業するためにはすでに説明した通りイングランドの医師免許が必要。この段階になってようやく(おそらく既得権益を保持したい顧問医中心の)保守層が免許の国家統一に積極的になり始めました。

ドイル氏が医学生として学び、免許を得たのはこの動きが軌道に乗り始めた時期ではありましたがまだまだ古い体制が色濃く残っていて、無免許医を含む一般開業医の患者の取り合いは激しさを増す一方でした。

また一般開業医になる以前の問題で開業費用がまかなえない者もおり、そういった医師は軍医や船医となって資金を貯めてからの開業を目指します。学生の時点で仕送りをするために船医を務めた(無資格で医師として勤務ができたというわかりやすい例)ドイル氏はここからの出発だったのです。

いざサウスシーで開業を果たしてもドイル氏はほかの一般開業医同じく患者を集められず苦労することになります。その開業直前には大学同期の友人に誘われて雇われたかと思いきや即解雇されていたりと波乱万丈あった彼も空腹には耐えられず、生活費を工面するためにペンを握ることになったのです。

1885年にドイル氏は死亡した患者の姉であったルイーザと結婚します。閑古鳥が鳴く診察室で短編小説を書き始めた彼をルイーザは見守っていました。さて、いよいよ名探偵誕生の瞬間が近づいてきましたね。でも今はドイル氏の内面に関する話を続けたいので、出版にまつわる内容は後半にまわすことにします。

公衆衛生の萌芽

この頃のイギリスでは朝の入浴が普及していました。まあ入浴といっても浴槽につかるわけではなく、水(裕福な家では湯)に専用の布をつけてしぼったもので体を拭くといういわゆる清拭です。桶と汚水入れ、それに水か湯を入れた水差しさえあればどこでも入浴が可能でした。服を全部脱ぐようなことはまずなく、洗う部位だけを露出させて器用に拭いていくためプライバシーも十分守ることができたといいます。使う水も少量でよかったので水が貴重な地ならではの入浴法でした。

独自の(あまり好ましくない)強い香りでごまかすためにあった石鹸にすみれやバラの香りが添加されると中流以上の人々は自身からいい匂いがすることを誇らしく思うようになります。一方で石鹸は高価なもので、それは衣服用の洗剤も同じでした。このため労働者階級は満足に体を拭けず服も洗えず、結果として貧富の差が体臭に現れたことになります。余裕がある人々はとにかく何度も着替えて清潔を保ち、たとえばぴったりとしたシルエットのドレスを着た女性たちは脇パッドをつけて匂いが染みつかないよう工夫しました。

浴槽を使った入浴は夜に行われ、それも男性のみが入っていました。入浴後は簡易な衣服を身につけて過ごすことになりますが、女性にとってそれは恥ずかしいこととされたのです。

ヨーロッパといえば日本と違って入浴習慣があまりなく、香水でごまかしていたというイメージがありますが実際は毎日体を綺麗にしていたのですね。汚れを落とすというよりは体臭ケアの側面が強かったのは本当らしいのですが、当時は悪い空気は病気をもたらすと言われていたためのようです。

こうしてロンドン市民の個人レベルでは清潔が重要視され始めたものの、感染症予防の観点で見るとまだまだ問題が山積みでした。娼婦の死体をテムズ川に捨てたり、その川の水を飲料水に使ったというのが代表的です。

ペストを筆頭にさまざまな感染症の流行に何度も苦しめられたロンドンにおいて、産業革命後に特に流行った感染症として肺結核があります。ドイル氏の妻・ルイーザもこの病に倒れることになりますが、結核には恐ろしい病としてだけでなくもっと別の方向から注目される理由があったのです。

結核に憧れた人々

世界の工場と呼ばれたイギリスでなぜ結核が流行ったのか。その原因は非常に単純でした。

  • 労働者階級の過労と栄養失調

  • 都市部における住居環境の劣悪さ

  • 集中過密状態

  • 下水処理システムの未整備

結核菌が発見されたのは1882年。でも19世紀に入ってすぐの頃からこの病気が人から人へ伝染すること、十分な療養や栄養補給により回復する場合があることが医師の間でも経験則としてわかっていました。このため患者を収容するサナトリウムがあちこちに建てられていったのです。この転地療養法や結核菌を発見したコッホとドイル氏の確執については次の章で詳しく説明するとして、ここではその文化的なイメージにスポットライトをあてます。

サナトリウムというと白いリノリウムの床をまずは思い浮かべます。その真っ白な病室の中で青く見えるほど白い肌をした美しい患者がベッドに横たわっている――ありがちなイメージですが結核にはどこか悲劇的な美のストーリー性があると思いませんか。

文学や絵画に描かれる結核患者は容姿に恵まれた若者ばかりです。実はこれ、結核にかかると肌が青白くなり美しく見える(とされた)ことから、そう見えるように、つまり美しくみせるために結核患者風の外見を装う文化が生まれたせいでもあるのです。

その方法のひとつだったのが体につけるおしろい。これは有害な成分を多く含んでおり、使用した者を本物の病人に仕立て上げる力を持っていました。ほかにも発熱で潤んだ瞳を再現するために開発された目薬があったりと、特に身分の高い女性の間で結核ファッションがもてはやされたのです。

またこれが本当に死に瀕している患者から見ると腹立たしい文化だったかというとそうとも言えず、結核に関してはキリスト教の影響が19世紀の半ばを過ぎても強く残っていて、横になったまま静かに耐え忍ぶ様子は健気だと言われ、天使のような姿になって若くして命を終える「美しい死に方」扱いをされていました。

今の価値観で考えるとなかなかぶっ飛んだ発想だと思うものの、後ほど紹介する殺人事件を前にした一般市民の感覚を象徴するエピソードもなかなか強烈なので、そういう時代だったのだと受け入れる準備を始めるのをおすすめします。

19世紀の戦争

ドイル氏は科学的な思考をするタイプの人間でした。ところが大学を卒業したあたりから一見真逆にも思えるスピリチュアルな世界に関心を寄せていきます。

精神世界の時代背景

詳細に入っていく前にこの章と次章を通して適用される時代背景を説明しておきます。まずは前章と関連して医学の限界について。

確実に高度化を見せた19世紀の医学でしたが、現代に比較すると救うことができなかった命がたくさんあったのは明白です。医師自身もその無念さを感じていたのですが、患者からしてみれば助けてくれなかったと病ではなく医師を憎む原因にさえなり得ることもありました。

今朝まで元気だった子どもが、妻が、大通りを激しく行き交っていた辻馬車に跳ねられて死ぬ。こんなにも愛しているのに失ってしまうのかと感染症で死の淵にいる家族を前にして何もできない人々。神にあれだけ祈ったのに救われない。このような悲しみがスピリチュアルな癒やしを求める理由のひとつになったのはドイル氏も例外ではありません。

加えて第一次世界大戦の勃発もドイル氏の失望感を生む原因になりました。イギリスを筆頭とする力づくで弱い国からすべてを奪って搾取するという資本主義にドイル氏は嫌気が差したのです。中世以前からあれだけ世界を支配していたのにもかかわらず戦争を止められなかったキリスト教に対して疑念が高まった時期でもあり、すでに大学在学中にダーウィンの進化論に興味を持ちカトリックの信仰を捨てていたはずの彼は改めて神の存在を疑うように。これは逆にドイル氏自身が神への信仰を捨てたと自認しながらもなかなか捨てきれずに来てしまった、とも言えます。このために熱心なカトリック信者だった親戚の支援をあてにできなくなっていたこともドイル氏が小説で稼ぐはめになった原因だとされています。

ドイル氏の信念

ロベルト・コッホが結核の治療法としてツベルクリンを発明したという話を聞きつけたドイル氏は生来の好奇心を我慢できず話を聞こうとコッホの元へ押しかけます。ところが会ってもらえなかったドイル氏。なんとか発表のテキストを入手した彼は治療法としてのツベルクリンの有効性に疑問を抱き(現代では診断目的としてのみ利用される)、論文を発表。後にコッホの研究の不手際が認められたため誇らしく思います。

このようにドイル氏は矛盾のない整然とした理論を非常に好む人物でした。それは後に心霊学にのめりこむようになっても変わらず、科学的思考を持ってしても解決できない現象のみを心霊によるものとして取り扱うという彼のポリシーに繋がっていきます。

衰弱した妻との対峙

眼科医に転向しようとして失敗したりと、小説を書き始めても医師としての方向性を模索していたドイル氏。このタイミングでホームズシリーズがヒットし、一気にその生活は多忙を極めるようになります。

このためついに白衣を脱いだドイル氏は次々と作品を発表。ところが幼い頃に読みあさった歴史小説のように重厚なストーリーを書きたいという考えが頭から離れなくなった彼は作中でホームズを殺し、シリーズを終わらせようとした……というのが通説です。

しかしこのホームズの死にはもうひとつのきっかけがあり、結核で倒れた妻・ルイーザのために療養に寄り添いたいという気持ちがあったようなのです。

まだこの頃は後妻となる女性にも出会っておらず、本心からルイーザと一緒の時間を大事にしたいと思っていた模様。当初このあたりを軸にしてラブストーリーとして展開するのかなと予想していましたが、コメディとのことで歴史小説を書きたかった説に一本化されると思います。

少しだけ時計の針を進めます。ドイル氏が作中でホームズを殺したのが1893年。この章の冒頭でドイル氏は第一次世界大戦がきっかけで資本主義に嫌気が差したと説明しました。開戦が1914年とするとまだ少し時間があります。ここで注意しておきたいのがドイル氏は元々は熱心な愛国主義者だったという点。つまり弱肉強食の英国資本主義に同調しそうに思えた彼の心の動きを追いかけると、少しずつ否定する立場に至る準備が整っていったことがわかるのです。

従軍医師としての活動

まず第一次世界大戦以前にドイル氏が関わった戦争がありました。第二次ボーア戦争です。相手国やどんな経緯で起こった戦争かというのはさておき、この戦争でイギリスは当初多数の人的被害を受けたため、途中から自国兵ではなく植民地の人々を代わりに戦地へ差し向けるようになったというのが重要なポイント。これを情けないと断じたドイル氏は自ら志願して愛国心溢れる国民のひとりとして戦争に参加しようと考えます。

ドイル氏は幼い頃から喧嘩には強い方でした。住んでいた地域のガキ大将相手に一発で勝利をおさめたという才能の持ち主。大学在学中にはあらゆるスポーツに手を伸ばし、特にボクシングにはかなりのめりこんでいたようです。真面目で朴訥な外見からは予想できないほど血の気が多いドイル氏でしたが、年齢を理由に兵としては不採用。その代わりに医師として従軍することが決まります。

サーの称号

戦争が終結を迎えないままにドイル氏は帰国して選挙に立候補します。結果は落選。すると国との関わりを強めたかったドイル氏の耳へイギリス政府への非難が次々と届くように。これは当時のイギリスがそれだけ残虐な行為を戦地でくり返していたことを意味します。

ドイル氏はこの非難に対して真っ向から対立。政府を擁護する活動を展開し、その功績により国王からナイトに叙され、サーの称号を与えられました。

念のため注を入れておくとドイル氏は盲目的に国を信じていたわけではなく、母国にまつわるさまざまな悪い噂をひとつひとつ理論的に一蹴していったそう。その真偽はともかく科学的思考はここでも健在でした。

この直後あたりでホームズが復活。そして1906年にルイーザとの別れの日がやってきます。ドイル氏の心の内も激動の毎日だったことでしょう。

またなのかナポレオン

ドイル氏に政府を擁護させたのは単純な愛国心だけだったのか。実はそれだけではなく、大英帝国がリーダーとなって舵をとり国家がただひとつにまとまるべきだという理念が彼にはあったのです。まるでナポレオン(このくだり二作連続)。

ルイーザが亡くなる前後からドイル氏はいくつかの事件に首を突っこみ始め、時には冤罪を晴らすなどして世間をにぎわす存在になります。ホームズの復活によりその熱はさらに高まり、その状態で政治的な行動をしようと思えば国が彼を利用しようと考えても不思議ではありません。

第一次世界大戦開戦によりドイル氏はふたたび戦地へ向かいます。今度は一兵卒として参加したドイル氏は軍部から歓迎を受け、その演説は毎回大いに盛り上がりました。

一方ドイル氏がこの年齢での従軍機会を得られたのは知名度を利用されたためだけが理由でしょうか。彼自身ドイツと戦うには力不足だと感じていたようで、さらに戦況の過激化によりドイル氏の執筆も検閲を避けられない状態になります。

正義を信じたかっただけかもしれない

少しずつ気分が盛り下がる中、それでも愛国心を忘れずにいたドイル氏がついに国へ反抗を見せた事件があります。当時イギリスからの独立を目指していたアイルランドの独立活動家が大戦に乗じて騒動を起こしつかまったのです。ドイル氏はこの活動家の死刑を延期させるための嘆願書に署名し、これは国へ背いた瞬間でもありました。

相関図を見てみるとアイルランド問題担当大臣としてアーサー・バルフォア(演:華世京)がいますね。少なくともアイルランドの独立運動には関連してくるはずです。

一連のドイル氏の言動に改めて注目すると、○○がすることだから正しいというよりは、ただ単にこれは正義でありこちらは悪であるといった自らの価値観にあてはめ、その正義の当事者側を支持していただけにすぎない気がしてくるのです。

ルイーザの病死に加えて妹の配偶者など身内の戦死が続き、何が正しいのかと新しい答えが欲しくなったドイル氏。受け入れてくれたのは以前から興味を持っていた心霊学の世界でした。

19世紀の心霊学者

それではついにドイル氏と心霊学の関わりについて解説していきます。少し理解しづらい部分もありますが頑張って噛み砕いたつもりです。

そもそもの心霊学

スピリチュアルな体験を通してその魅力に取り憑かれたドイル氏。いったいそれはどんな体験なのでしょう。一般的に本来人間は霊体なのであって人体はその入れ物にすぎず、死ぬことはないという前提がある上で、そのことを忘れてしまっている人間に霊体の存在を思い出させようとする地球規模の働きかけのことを言います。

何も知らない人にとってそれはただただ不思議な体験やよくて奇跡と呼べるものでしかなく、だからこそひとりでも多くの人に気づかせるために霊体について自ら研究し世に広めようとしたのです。

医学生時代のドイル氏はカトリックから離れ始めたばかりでスピリチュアルな目覚めの時期にありました。その頃のドイル氏の頭の中をうかがって見ると心霊について懐疑的な迷いがあるのがわかります。

神はいないのかもしれない。ただどうしたって説明のしようがない現象があることも確かだ。星はどうやって作られたのか、どうして人間は死ぬのか。それでも特に死については息耐えた瞬間そこで本当に何もかも終わりなのだろうという死後の世界を否定する考え方をドイル氏は持っていました。わかるけどわからないというような戸惑った心理状態。

このため霊媒師(体を霊体に差し出して霊体が言いたいことを代わりに口にしたりして伝える役割)が亡くなった婦人の言葉を代弁してその夫と交信する様子を見てもやはり納得がいかなかったし、そんなことが可能ならば霊体はこの体のどこにあるのかと在りかを探し始めます。

先達たちの存在

霊体はどこに在るのか。医師であるドイル氏にとってそれは薄っすらと最初からわかっていたようなものでした。アルコールによる精神破壊をその目で嫌というほど見て育った彼は脳に対する外的な要因により精神がおかしくなる場合があることを身をもって知っています。

ただそれは脳の中にある霊体が直接アルコールなどによりダメージを受けるためと考え、脳がダメージを受けたから精神状態に変化が起こる、つまり霊体も脳という物資ありきのものだという扱いはしませんでした。

眼科医に転向しようとしていた頃まで、全体としてはまだ懐疑的だったドイル氏。驚いたのは片っ端からスピリチュアル関連本を読んだときでした。自然淘汰説を提唱した進化論者・ダーウィンのライバルであったアルフレッド・ウォラース(演:紗蘭令愛)を始め、名だたる科学界の権威が霊体の存在を信じ、死後も存続すると主張していたのです。

それまでは霊媒師や霊媒師に頼る人間を見ても言い方は悪いですが「かわいそうな人たち」としか見てこなかったドイル氏ですが、さすがに見過ごすわけにはいきません。おなじみの科学的思考でウォラースの反対勢力であるダーウィンらの論をひとつずつ丁寧に審議した結果、ろくに調べようともせず、または興味がないだけの否定にすぎないと判断し、逆に自ら研究を行い未知の理を探し出そうとするウォラースの方がよほど正しい学者の姿であると結論づけ、少しずつ心霊学との距離を縮めていくのです。

心霊実験に明け暮れる日々

そうは言ってもまだ完全には霊体の存在を信じられなかったドイル氏。そこで自らの手で実験をしてみることにしました。

その実験は交霊会と称されるもので、本来は霊体の存在を明らかにする場というよりは信じている者たちが集いその存在を敬うために開催されるべきものです。でもまだ初心者だったドイル氏は自らの疑いを晴らすために交霊会に参加し、苦い経験をすることになります。

当時、霊体の存在を確認するには霊媒師の口を介すのが手っ取り早いとされていました。文学者のフレデリック・マイヤース(演:久城あす)も、物理学者のオリヴァー・ロッジ(演:麻斗海伶)も、その道に長けた大先輩です。

一方まだ何も知らない自覚があったドイル氏にとって霊媒師という他人を使って実験を行うことにハードルを感じたらしく、テーブルを複数人で囲み、そのテーブルが動いたりして鳴る音を判読して霊体と通じる手法を採用しました。感覚としては日本のこっくりさんに近いです。

あるときテーブルについていたドイル氏はポケットの中のコインの数を霊体にたずねます。すると霊体は己の存在を知ってもらうために行っているのであって、数当てゲームをしているのではないと主張しドイル氏を叱責します。さらに疑う場ではなく信じる場であると続けられた霊体のメッセージ。

これには素直に同意したドイル氏ですがまた別の日のテーブルで信じかけた心が揺らぐ自体が発生します。時期的には医師として駆け出しだった頃の話で、いつものように仲間とテーブル上で通信していた彼に対し、霊体は調子よく長いメッセージを送ります。その内容をとある住所に送って欲しいと霊体に頼まれたドイル氏は喜んで手紙を書きますが宛先不明で返送されてしまったのです。

この結果をひどく不快に思ったドイル氏は同じ街に住む尊敬していた軍の人物の元へ。その人物の助言により自らの未熟さを認め、むやみに自分ひとりで答えを出そうとするのではなく、進んで研究を続けている人々の助けを求めようと決めました。

心霊現象研究協会

以上はドイル氏が著した自らの心霊現象との出会いの文章を簡単にまとめたものです。ここから本格的に霊体の理解を深めようとする彼ですが――それを解説するにはおそらく何もかもが足りません。中にはそろそろ目が滑り始めた方もいるかと思います。

そこでドイル氏の心霊研究の展開については舞台で目にするまでお楽しみにとっておいてもらうことにして、ここではすでに登場した人物も含めて心霊現象研究協会(SPR)とそのメンバーを一足早く紹介したいと思います。

心霊現象研究協会(SPR)
心霊を研究対象とする公的機関。国ごとにそれぞれのSPRが存在した。現代の視点で見るとその研究手法には疑問点が多く、否定されている。ちなみにSPRに関連する男性陣は時代柄そろって髭を蓄えていたと思っていい。

フレデリック・マイヤース(演:久城あす)
霊体の死後存続を訴え続けた古典学者。主張を裏付ける異常体験を集めた上下二巻の執筆に打ちこみすぎて体を悪くして亡くなる。長めの豊かな白ひげが特徴。ドイル氏の著作中によく名前が挙げられるSPRの中心メンバー。

アルフレッド・ウォラース(演:紗蘭令愛)
元はダーウィンの共同研究者。心霊現象を解明しようとした博物調査結果の論文を発表するが似非科学的として批判を浴びる。目が悪く眼鏡をかけていた。こちらもSPRの中心メンバー。

オリヴァー・ロッジ(演:麻斗海伶)
物理学者で第一次世界大戦で亡くした息子の言葉を聞きたくて妻と共に霊媒師に頼った。その際まだ何も知らせぬうちに息子の年齢を語る霊媒師を前に感動。息子はオリヴァーの友人であったマイヤースにも会いに行ったと天国で楽しげに過ごしている様子を霊媒師の口を通じて教えてくれた。強めの癖毛だった。

ウィリアム・ジェイムズ(演:稀羽りんと)
哲学者でドイル氏が認めていたアメリカの心霊研究者のひとり。心理学の父とも。SPRが手がける心霊実験の性質が自らの主張が成立しやすいように条件がいくつも定められていたのに対し、信じたい者にしか見えないものがあり、超常現象を疑う者まで説得することはできないという趣旨の発言(後にウィリアム・ジェイムズの法則と呼ばれる)をするなどして慎重派の傾向があった。

ここまでがドイル氏の著作中によく名前が見られる面々。それではその他のメンバーも続きます。

ミロ・デ・メイヤー(演:縣千)
磁気催眠術研究所の教授でサウスシーで交霊会を開いた。ちょうどドイル氏が手紙の件で苦い経験をしたのもこのサウスシーで初開業した頃。さっそくその腕前を披露しようとしたとき、ドイル氏が被験者の構成の不備に気づき被験者を増やすよう助言する。左右に別れた髭がトレードマーク。

アーサー・バルフォア(演:華世京)
若くして哲学にのめりこんでいたが、母から高貴な家に生まれた者は社会に寄与しなければならないというノブレス・オブリージュの考えを諭され政界へ。優しすぎると揶揄されるほどの性格だった。すでに説明した通り大臣としてアイルランドの民族運動を弾圧する立場に立った以後は一転して容赦なくアイルランド民族を追いつめ「血濡れのバルフォア」と恐れられた。

ヘンリー・シジヴィック(演:透真かずき)
イギリスSPRの創立メンバーで初代会長。女性の高等教育を推進した。哲学や論理の分野でアカデミックに活躍する傍ら、率先して慈善活動を展開。アーサー・バルフォアの姉と結婚。

エステル・ロバーツ(演:沙羅アンナ)
天国との通信を得意としていた霊媒師。交霊会にはその存在を確かめる意義のほかに亡くなった人間と通信を行う目的もあった。自らの夫が死したときも通信を行い励まされ、同じように死別によって苦しむ人々を助けたいと霊媒活動を始めた。

このほかにリリィ・クルックス嬢(演:琴羽りり)とその義姉であるアンナ・クルックス夫人(演:杏野このみ)もSPRのくくりに入れられていますよね。ドイル氏と同じような発想を持ち、スピリチュアルな現象は必ず科学的思考をもって検証されるべきだと論じた科学者であるウィリアム・クルックスの関係者でしょうか。

霊体との通信手法

詳しくは舞台でとは言っても急に突き放すようでは落ちつかないのでビジュアル的にもわかりやすい霊体との通信手法をいくつか挙げておきます。

霊言
霊媒師の口を借りて霊体が話すこと。

直接談話
霊媒師がエクトプラズムという特殊な物質を放ち、それにより霊体は発声するための器官をこしらえることができるようになり、直接話せるようになる。

自動書記
霊媒師の手を借りて文字を綴ること。

直接書記
紙と筆さえ用意すれば霊体が自ら文字を綴っていく。

幽体離脱
体から霊体が離れた状態で何らかの体験をし、肉体に戻ってからその体験を綴る。

ドイル氏が得た答えとは

父の問題や母との関係、小説家としての葛藤にルイーザとの向き合い方、そして死との直面。人間らしい悩みに振りまわされたドイル氏は心霊学にその答えを求めました。その答えは何なのかというのが今回の作品のテーマですよね。

心霊学に夢中になりすぎたドイル氏。晩年には世間からも飽きられた見方をされるようになりつつも精力的に活動。果たして彼は霊体を信じる上で前提となる「死んでも魂は消えずに生き続ける」ことを死に際に願ったのでしょうか。

ドイル氏の墓標に刻まれている「Steel true Blade straight(鋼鉄のように固い意志で真実を求め、刃のようにまっすぐだった)」という形容を読むとその答えに近づけそうな気がします。

19世紀の女性

ここからは空気がガラリと変わってホームズ作品そのものに関係する内容が増えていきます。ずっとドイル氏の内面を中心に語ってきましたが、キャスティングされた彼の家族のうちまだ詳しく紹介できていないのがロティとコニー。ドイル氏の小説執筆業の足どりを追う前に彼女たちが置かれていた状況を解説したいと思います。

ヴィクトリア朝時代の女性の一生

まず一言で表すなら、できることが少なかった、となります。人生において未婚の女性が選択肢を与えられる機会はほとんどありませんでした

生まれたら家父長制の家の中で育てられ、花嫁学校に通い、父が許した相手に嫁ぎ、結婚することこそが幸せとされる。父親の支配から離れいったんは自由を楽しむ花嫁ですが、いずれ夫や息子に従う運命。それでも早く結婚すればするほどステイタスとして未婚姉妹や友人に大きな顔をできたりして、当の本人たちとしても結婚は幼い頃から気になる人生の最大イベントでした。

ただしその実態については家格や家庭状況の問題も絡み、困窮した場合は相手の家格を下げて探したり、家庭状況が不安定ならば落ちつくまで待つ必要がありました。ドイル家の女性(特に姉たち)は後者の影響を受けた可能性があります。

結婚に至っていない女性が選べる道としての労働は選択肢が少なく、淑女としてのプライドを保って働ける場はガヴァネス(家庭教師)くらいです。そのほかは次点で新しい職業だった電報交換手とタイプライター(いずれも事務職の先駆け)、伝統的な仕事と言えば乳母やナニー、それからメイド、最後は娼婦と、このほかにも家の評判にかかわる、もしくは評判を気にする余裕がない女性たちが従事するとされた仕事しかありませんでした。

公助から自助へ

もう少し当時の女性の境遇について深掘りしてみます。ただし教科書のような小難しい説明になる自信があるので駆け足で経緯をざっと追いかけるだけにします。

男は働き女は家庭を守るといった役割分担に加え、元々核家族社会の傾向が強いイギリス。貧しければ子どもたちも若くして働きに出ますが、それは家を出ることと同義でした。子側に余裕があれば仕送りはあったものの、親と共に暮らしたまま養うことはない。そして病気などで働けない者や高齢者は病院などで面倒を見てもらいました。ドイル氏の姉や妹は職を得て自立したし、父は精神病院に入れられましたよね。

家族で面倒を見合うという感覚が薄かったため公助が手厚かったイギリスですが、実は産業革命前後の時点ですでに保護財政がピンチになっていました。そこで少しずつ公助から家庭内自助へ方針が変わっていったのです。

この変化を女性の視点で見た場合、たとえば既婚の女性が保護されるかされないかは自身の状況ではなく夫の状況のみで判断されました。夫が元気なら養ってもらう、夫が病気ならそろって救貧院へ。妻は働ける状態にもかかわらず、です。

ちなみにドイル家に父親絡みの経済問題が発生した時期はこの家庭内自助を推進した法改正からはとっくに過ぎていました。しかしチャールズは王立病院を転々とし家から離されます。ドイル氏が家長となる年齢に達したのも関係なくはありませんが、それほど彼の状態は深刻だったのですね。

社会に振りまわされた女性

一方未亡人や未婚の女性、シングルマザーなどはそうも言っていられないし、既婚であっても夫が満足に生活費を与えていなければ生きていくことができません。どうしても働かなければならない層がいたというのが現実で、政府としても公助の色を弱めたのは財政難が原因なので保護には厳しくいたい。

さらに女性を労働から遠ざけようとして見えて、実際には女性の就労を完全に拒否できるほど労働力に余裕はなかったりして、女性は制度の狭間で振りまわされます。中にはそんな女性たちを受け入れると職を用意した会社や工場があったものの、実際は単純労働の低賃金な仕事だったのです。技術的に機械にはまかせられないけど男にさせるには労働力がもったいない仕事といった感じ。こちらは電報交換手やタイプライターなどがいい例です。

いいように扱われた感ありありですね。一方で女性自身の感覚として働く必要がないのならその方がいいという意識もありました。中流階級に見られた女余り現象による就労は単純に当時男性の方が人口が少なかったことを意味します。特にヴィクトリア朝中期に顕著で嫌々ながら働きに出る女性がいました。

ほかにも第一次世界大戦中の労働力を補うために女性も駆り出されましたが、戦争が終わってしまえば自らの意思で家庭に戻った女性も多かったのです。働きたい女性もいれば働きたくない女性もいたので、一概に現代の価値観で女性の就労状況の良し悪しを判断するのは難しいと言えます。

コルセットが制服の花嫁学校

とにかく生まれてすぐに良き妻、良き母となることを期待された女性たち。その教育の総仕上げとなるのが花嫁学校での生活です。着用していたのは腰をぎゅっと細く絞り上げるコルセットがついた制服でした。

ウエストは細く、腰を膨らませたスタイルはこの当時の流行そのもの。技術が発達してコルセットの性能が向上したことで女性たちのウエストはどんどん細くなっていきました。花嫁学校では制服として毎日コルセットを着用。そのおかげで卒業する頃には見違えたスタイルを手に入れたレディたちは母宛の卒業報告の手紙の中で自らの変貌を赤裸々に綴りました。

女性の服装繋がりでこんな話も。当時たとえばガヴァネスの女性はスタンドカラーの上着に足首まで隠れるドレス(フリフリの、という意味でなく衣装というニュアンス)を着用していました。そしてホームズ作品の挿絵に見られる女性たちはメイドなど洗い物などでその必要がある職業の者をのぞき、いつも長袖のドレスを着ています。

これは女性たちがなるべく肌を外に見せないようにしていたことを意味します。入浴のエピソードで女性が浴槽に入らなかったのは、入浴後に着用する寝衣の丈が短かったから。浴槽からベッドまでは移動する必要があったので入浴してしまえば肌をさらす必要に迫られます。寝衣はベッドの上でしか着られない服だったのですね。ピアノを弾く際も足首まで肌が隠れるよう布で覆いました。

自転車に乗るときなど、どうしてもスカートがめくれ上がる際に着用される場合があったのがブルマーでした。当時のブルマーは膝まである長さのもので、一部の先進的な女性には歓迎されますが嘲笑の的にもなったといいます。馬にまたがる(スカートがめくれる)のを嫌がって横乗りをする時代が長く続いてきたせいもあるのでしょう。

ブルマーが女性の運動着として受け入れられるようになるのはコルセットからの開放が本格的に叫ばれ出した20世紀に入ってからのことでした。

ガヴァネスの実際

乳幼児を含むこの時代の未婚女性のすべての行動指針は「できるだけ早く良い結婚をするため」でした。平均すると22歳前後で嫁いでいく娘のために両親が用意したのがガヴァネスと呼ばれる女性家庭教師です。

国民すべてを支配者階級と労働者階級の2タイプに分類できたヴィクトリア朝。ガヴァネスはそのどちらにも属さない特別な立ち位置でした。働いて賃金を得ているので不労所得で暮らす支配者階級にはあてはまらないが、労働者階級として軽んじられるほど誇りを失わなくていいという存在です。

伝統的な勤務先は教会関係者の家でした。しかしすでに説明した通りこの時代は女性が余っており生徒となる少女も増加。また資本主義がもたらした成果なのか成り上がる中流家庭も増えたことからガヴァネスが教育をまかせられる少女の身の置かれ方にはかなりの幅があったと思われます。

ガヴァネス養成のためにつくられた学校もありました。ところが世間はあまり良いイメージを持たなかった様子。確実に娘に良縁をつかませるにはその道のプロにまかせた方がよさそうなものなのに。

学科の勉強ももちろん教えるガヴァネスですが、一番その授業で重要視されたのはレディとしての立ち振る舞い。それを養成学校で機械的に叩き込まれたガヴァネスなど信用ならず、良家で育って自然にたしなみを身につけた女性が求められたのです。

しかも頭が良すぎるのもだめ。美しすぎるのも不採用の原因になります。後者については迎え入れた家庭の平穏を脅かす可能性があるためとわかりやすいのですが、賢い女性はなぜ嫌煙されたのでしょうか。

当時女性が知識をひけらかすのははしたないとされていました。あまり賢い物言いばかり続けているとそばにいる殿方のプライドを傷つけるおそれがあるというわけです。

こうして選ばれた女性は担当した女子生徒の言動すべてにチェックを入れ、必要があればダンスや歌のプロの元へ送り迎えしました。その働きぶりはやはり女子生徒の結婚相手の家柄で評価されたのです。

頼れるロティ

ロティ・ドイル(演:野々花ひまり)はドイル氏から7歳離れた妹です。兄からしてみれば一番信頼がおける仲だったとか。

それもそのはずで彼女は父・チャールズが起こした数々の問題を片づける際に唯一きょうだいとしてドイル氏のそばにいて支えた人物であり、苦労を共にした仲間なのです。時期的にはドイル氏が医学生であった頃で、この頃には姉は自立していたし、ほかのきょうだいたちは幼すぎて頼れなかったという理由があります。

姉を追いかけてポルトガルで自立したロティはガヴァネスとしての自分を誇りに思っていました。仕送りを続けた彼女に対し、執筆業の成功でようやく余裕が出たドイル氏は彼女を呼び戻そうとします。でも彼女はすぐに首を縦に振ることはせず、自らの仕事を全うしてから帰国の途についたのです。

帰ってきてからもルイーザの療養旅行に付き添ったロティの婚期の遅れを母・メアリは心配します。それでもようやく相手が現れ結婚。40歳という当時としてはかなり高齢での初出産を経てようやく幸せになれるかと思いきや第一次世界大戦で夫が戦死。ドイル氏は長年自分を助けてくれた妹の悲しみとどう向き合えばいいのかわからなくなってしまいました。

信じたコニー

コニー・ドイル(演:華純沙那)はとても信心深い女性でした。ロティよりも2つ年下で、姉たちと同様にポルトガルでガヴァネスとして働きます。

ドイル氏との関係はというとかなり心配されていたよう。きょうだいで一番の美貌を持っていた彼女を母・メアリ宛の手紙の中で気にかけがちなお兄ちゃんなのでした。結婚相手もドイル氏の執筆仲間だったりして。

実はそんな彼女も配偶者や子と死に分かれたひとりです。まず1915年に唯一の息子を戦争で失い、さらに1920年の末に母・メアリを、続けて1921年に夫を病で失います。そして彼女自身も1924年には命を終えます。

コニーは老いた母の面倒をよく見ていたそうです。メアリはカトリックから離れこそしましたがキリストの教えそのものは捨てませんでした。なので母としては完全にキリスト教と決別した息子・ドイル氏よりはカトリックへの信仰を続けていた娘の方が頼りやすかったのかもしれません。

ここまで読むとわかるように第一次世界大戦がドイル氏の心に落とした影は非常に大きいのです。その後彼は心霊学にのめりこんでいくため、今回のテーマの主旨を考えればこの戦争は盛大に取り上げられそうなもの。
しかし時系列を考えるとその直前のルイーザの死を扱う必要が出てくるので難しい気がするし、心霊学の前提を乗っ取り「死んでも霊体は生き続ける」としてルイーザを舞台に登場させ続けようとしてもドイル氏は死別後すぐに後妻と再婚するんですよね。後妻はキャスティングされていないですし、再婚、いっそのこと不倫をなかったことにする?
冒頭で注意したようにドイル氏の人生はシリアス多め。これをどうコメディに料理するのか、そしてどうやって上手いことエピソードを組み立てるのか、そこが気になってしかたない私です。

19世紀の警察

ここからは急に男社会。結核を解説する文中で、現代視点からするとびっくりする美の価値観を紹介しましたが、当時の悪事や犯罪者に向けられた視線もなかなかのものですよ。

罪が罪になった瞬間

推理小説というのはたとえば殺人事件が起こり、その犯人や動機を少しずつ解き明かしていくからおもしろい。話の中心となるのが捜査を進める警察とはまた違う立場の探偵であったりするのですが、その前に大事な前提があることにお気づきですか?

殺人や詐欺、窃盗といった犯罪。その罪が罪であると定められていて、その犯人をつかまえる機関が存在していて、罰する場があり、罰する必要があるからこそ追う側は必死になるし、逃げる側の犯人が存在するわけです。つまり、それらすべてがなかったとしたら?

近代までは私刑の横行や決闘の存在、その地位によってもみ消したりと罪への対処はいろんな形を見せていました。やがて警察という公の取締り機関がつくられ法が罪を明確に定めたとき、犯罪人はある意味平等に裁かれるようになったのです。

犯罪者を前にした市民の態度

当時の犯罪者に対する市民の感覚にはなかなか現代人には理解しがたいものがありました。

たとえば街の広場で殺人事件が起こったとします。現代でもその現場を撮影してSNSにアップする行為はなかなか気分がいいものではないですよね。当時はこれをさらに上回り、子どもたちがピクニック感覚で現場となった広場へお弁当を持って出かけることがあったといいます。食べ終わった子から順にどこまで血吹雪が飛んだのか予想したりして。つまり当時の事件現場は観光地扱いだったのです。娯楽が限られた時代なのでしかたないとはいえ何ともすごいセンスです。

ほかにも犯罪人の処刑を見るために朝早くから一家総出で会場の場所取りに並んだり、殺人鬼の名前を歌ってみたりと、なかなかセンシティブな関わりをしていた一般市民。彼らのゴシップ好きは古今東西通して変わらないのです。

照らされ始めた夜の街

悪事のすべてが夜に行われるとまでは言いません。それでも夜間というのは人間が最も無防備になる時間であるというのは間違いないでしょう。ここでは当時の夜について解説します。

ホームズ作品内でもよく描写されているガス灯が発明されたのは19世紀に入るほんの直前。18世紀までのロンドンは陽が落ちれば闇に包まれる街だったのです。

中世以前の人々は暗くなるのと同時に床に入ったため外は静まりかえりました。街灯全体の歴史として16世紀には各家々で玄関先をランタンで照らすようになります。でもこれは夜歩きのための道標ではなく、単純に家の位置を明らかにする目印にすぎないものでした。

その後ランタンをロープに吊るして等間隔で配置するタイプの街灯が設置され始めます。このささやかな灯りは当然設置される個数と間隔によって明るさが変わってくるので、都心ではきらめくほど眩しい灯りになれても少しでも離れるとまた闇に戻ってしまうのでした。

産業革命を経てメインストリートにガス灯が当たり前に設置されるようになると人々が家の中から出てくるように。街灯設置の目的は防犯と娼婦の取締りだったので、明るくなった夜の街で人々は安心して夜更かしできたのです。ガス灯は昼間とはまた違う複雑な人間関係が築かれるきっかけをつくったのですね。

余談ですが娼婦はガス灯設置を嫌がったそう。道が明るくなって何もかも明け透けに見えるようになったせいで客引きが難しくなったとか。

ロンドンの治安

ロンドンの地図を見てみると、シティと呼ばれて発展してきた金融の中心地を基準に西側と東側に分かれて街が発展してきたことがわかります。

このうち西側のウエスト・サイドは劇場やショッピングモールがあったりと、いわゆる裕福な暮らしぶりのためにある街でした。官庁や高級住宅街を抱え、ここで発生する事件といえば政治家が撃たれたり、強盗の被害を受けたりといった様子。

一方東側のイースト・エンドは特に観光地としてめぼしいものもなく、いつもどこか暗くて退廃的な貧乏人の街。当然発生する犯罪の残虐さや数はウエスト・エンドとは比べるまでもなく、連続通り魔の発祥とされ数えきれないほどの娼婦の命を奪った切り裂きジャック事件もこの街で発生しました。

切り裂きジャック事件は劇場型犯罪の走りでした。犯人は新聞社に声明文を送りつけ報道させることで国民全体を恐怖と好奇の渦に巻きこみます。警察は何人も容疑者を捕らえますが真犯人はいまだにわからずのままというのだから驚きです。

警察官に向けられた目

ホームズの連載が始まった頃、警察は全く信用されていませんでした。警察制度そのものの穴に加え、何か起こったときに頼れるヒーローという立場になり得るほど市民の目には役立っているように見えなかったのです。だからこそ鮮やかに事件を解決して見せるホームズに人々は理想のヒーロー像を重ねたのですね。

1829年に首都警察としてのロンドン警視庁(通称・スコットランド・ヤード)が発足するまで、市民の安全は市民自らが警護するべきとされていました。つまり誰もがみんな警察官時代。そのうち体格や体力に自信がない者は賃金を払って代理人に警備をしてもらうようになりましたが、引き受けたのは貧乏人ばかり。

警備業は命の危険をともなうので普通なら高給になりそうなものの、それだけ当時は誰もやりたがらなかった仕事なのです。時にはつい最近までどこかの家を守っていた人物が、今日はどこかの家を襲っていたり。そんなやつらがそのまま警察官として採用されたのだから信用なんて遠い夢でした。

取締り機関としての受容

発足した以後は市民の命を守る砦として少しずつ人気が出てきた警察官という仕事。

警察官といえば厳しい警察学校生活を経て採用されるイメージがありますが、この時代のイギリスでは特別な養成訓練は一切なく、採用試験もかなりザルだったので問題を起こす警察官が数えきれないほど存在していました。

無能なだけならばまだマシです。この時代の警察官は犯罪に留まらず飲酒や娯楽などあらゆる市民生活に制限をかけたので、特に労働者階級は彼らを嫌ったのです。

警察官自身は市民のために働いているという自負もあったはず。この嫌われ役を当然として開き直り、中立の立場で整然と取締りを続けたことで市民の攻撃的な視線は少しずつ落ちついたものに変わっていきました。かっちりとした清潔な制服を身につけ銃を置いた彼らはようやく頼れるヒーローになれたのです。

以後も交番に行っても肝心なときにいないとか、仕事中に酒を飲んでいるのを見たといった種類のクレームはあったようですが、裏を返せばそれは頼りにされ始めた証だと思うのです。

かくして推理小説は生まれた

一連の流れにより罪は罰しなければならないという一般認識が庶民の間でもしっかり根づいたことを下敷きにして「犯人は誰か」という捜査の流れが復讐や悲喜を含めて物語として描かれるようになった。これが推理小説が流行した時代の背景です。

当たり前のことを言うようですが、警察内部の腐敗やスパイの潜入、政治家との癒着など、ストーリーにつけ足されがちな警察そのものにまつわる要素は警察が存在する世になったから誕生したのですね。

理不尽な理由で一方的に捕らわれて処刑されることもなく、もちろん魔女狩りもとっくに下火になっていてもはやそういう時代ではない。ただ戦争は確かにあって、それでも人々は新しい技術とそれにともなって斬新な文化が次々と生まれてくるのを楽しむ余裕があった。そんな時代を待っていたかのようにドイル氏は名探偵を生み出す手を持って産声をあげました。

19世紀の出版

長くなってきましたしそろそろしんどいですね。でももうすぐあの元気な名探偵が登場してきますから頑張ってください。

ドイル氏が影響を受けた作家

ドイル氏はとても知識欲のある人物でした。それはただ学びが好きというよりは単純で素直な性格から博識な人物に出会うと魅力を感じてしまうため。

論理的展開に優れたストーリーを生み出す素地となるリアリティを求める科学志向があった彼は、大学在学中に自らのその欲望を満たしてくれるエッセイと出会います。その著者の名はオリバー・ウェンデル・ホームズ。それが後に一世を風靡する名探偵と同じ名であることは偶然には思えません。

また推理小説というジャンルのルーツをたどるとき忘れてはいけないのがエドガー・アラン・ポーの存在。世界初の推理小説は彼が書いた『モルグ街の殺人』でした。ホームズシリーズにも見られるような、探偵による明快で見事な推理と、愚かに描かれた警察の捜査活動が対比されて紡がれていくストーリーは人々を驚かせます。ドイル氏もその影響を強く受けた人物のひとりであり、そのシナリオを引き継ぐことになりました。

技術革新がもたらしたもの

小説というものは紙に印刷されて販売されます。印刷の段階以前に製紙の工程が、印刷が終わったら次は本に綴じ合わせる必要があります。できあがった本を運ぶ工程も無視できません。

18世紀初頭まではオランダやフランス、そしてイタリアからの輸入に頼っていた印刷用紙。これが世紀半ばには製紙技術が大幅にアップし、印刷用の良紙はほぼ国内産となりました。19世紀が見えてきた頃には大量生産にも成功し逆に国外へ圧倒的なシェアをもって輸出されるようになったのです。

活字の鋳造も18世紀初頭までは当時の印刷業界を圧巻していたオランダからの輸入頼みでした。活字に関しては鋳造精度のみならず書体の美しさまで含めての評価がなされ、それまで皆無だったイギリス国内にも19世紀までには世界的に評価を受けた書体がいくつも生まれます。

ここでいう印刷物の主な内訳は本と新聞です。このうち本の流通はしだいに分業化の流れを見せます。作家と契約して「刷る内容」を確保する出版社、それを実際に印刷する印刷会社、できあがった本を売る小売店。これらすべてを通して担うのは大変な仕事でしたが、分業化によりそれぞれの専門性が上がりました。

一方、同人誌でも刷ってみた経験があるとわかりやすいのですが本というものは一度につくる数が多いほど単価を安くできます。活字をひとつひとつ組む時代ならなおさらですね。でもそうすると印刷費用が跳ね上がるというジレンマ。もし必ず売れるという保障があるならそれでもたくさん刷ろうと思えますが、相当な人気作家でもない限り今も昔も大量印刷は一か八かの賭けであり生産効率を求める動きは鈍くなります。

これが分業化の後では、たとえば印刷会社は契約通りに小説本を刷って出版社から印刷費をもらえればその後売れなくても自社的には無問題。これはその後の流通も同じです。このようにして印刷会社と流通業界は大きく発展。代わりに自分だけリスクを負うことになる出版社としては掲載される小説を見定める必要が出てきたのです。

さらにこうして大量につくられた高精度の印刷物を運んだのが鉄道でした。都心部と田舎の距離を縮め、販路の拡大にも繋がります。鉄道での長距離移動中の暇つぶしアイテムとしても小説人気は急上昇。完全に市民の生活になじんだ結果として、少ない掲載枠を取り合って作家を目指す人たちが次々と現れては消えていきました。

ビジュアルが求められた時代

イギリスには風刺版画の文化がありました。身分格差や政治の不満をおもしろおかしく表現した絵は市民の娯楽のひとつでした。

転機が現れたのは18世紀の末頃。あれだけ痛快に皮肉って描かれてきた風刺画の毒が少しずつ弱まっていったのです。それまで高く売り買いされることも多かった風刺画は1920年頃には金持ちの悪趣味な道楽だと非難の目を向けられることが多くなりました。この流れを決定づけたのがドイル氏の祖父にあたるジョン・ドイルらのような穏健派のジェントルな画家たち。これにより伝統的な風刺画家たちの仕事は急減します。

同じ頃、新聞の購読が普及してくると物事をわかりやすく伝える手段としての図解の需要が高まります。読者の数が増えればそれだけ教養の差が問題となり、学の浅い人たちでも知識欲を満たすことができた図解は熱烈に歓迎されたのです。

これは本にも言えることでイメージを想像する手助けとなるたくさんの絵入り本がどんどん刷られていきました。挿絵と呼ばれるようになった絵を描いた画家の中にはかつて風刺画で名を馳せた者もたくさんいました。そして挿絵の多さが本の価値を高めるようになったのがこのタイミングになった理由にも技術革新の波が影響しています。とてもシンプルなのですが細かい絵を高精度で印刷できる技術が確立したからなのです。

パジェット兄弟

このように必要なすべての準備が整った状況の中でドイル氏は作家として出発します。彼の本の挿絵の多くはシドニー・パジェット(演:眞ノ宮るい)によるものでした。彼は9人兄弟の5男として1860年に生まれ、1881年に入った王立芸術学院でワトスン博士のモデルとされるアルフレッド・モリス・バトラーに出会います。

シドニーにはウォルター・パジェット(演:咲城けい)という弟がいました。そんな兄弟の間で囁かれていた噂が「元々ストランド誌は弟のウォルターに挿絵を依頼するつもりだったが、手違いで手紙がシドニーの方に届けられた」というもの。ストランド誌というのはホームズシリーズが連載された雑誌です。さらに噂は「今日世間一般に広まっているホームズのビジュアルはウォルターによってデザインされたもの」とまで指摘します。後に別の兄弟によって否定されているこの噂。ストーリーに生かされてくるのか見ものですね。

作家と編集者の共闘

ドイル氏は長編よりは短編に長けていた作家のようです。長編と呼ばれる作品の中には前後編に分かれているように思える構成のものがあり、同一テーマで長々とした話を書くのは苦手だったのかもしれません。

物語のすべてを一気に発表するのではなく小出しにして連載するというのは当時としては斬新でした。ジャンルが推理小説だったため読者は展開を気にせずにはいられなくなります。シャーロッキアンと呼ばれた熱心なファンたちは作品が発表されるたびに一喜一憂。この期待に応えるべく、ヒットして以降は作者であるドイル氏と出版社の担当編集の間で駆け引きが日常的に行われることになります。ホームズのあれこれを紹介する前にこれまでに至る経緯をつけ加えておきましょう。

1881年、ジョージ・ニューンズ(演:真那春人)は考えました。ちょうど10年ほど前に小学校への就学が義務化されたのに関連して、新たに文字が読めるようになった少年少女向きの雑誌が必要だと思ったのです。これをきっかけに出版業界でキャリアを磨いた彼は1891年には自らの名を冠した会社を設立。後にホームズシリーズを掲載することになるストランド誌はこの会社が設立された直後に創刊されました。

ハーバート・グリーンハウ・スミス(演:和希そら)はこのストランド誌の初代編集長です。雑誌に目新しさを求めていたハーバートは真摯なジャーナリズムに親近感を持ちジョージと合流。ハーバートの徹底したキャラクターの宣伝戦略と個人としても強力なバックアップによりホームズシリーズは大ヒット。ちなみにビアトリス・エリザベス・B・ハリスン(演:音彩唯)はハーバートの妻であり編集部の一員でもありましたが残念ながら若くして亡くなります。

ここで注を入れておきたいのが、ホームズ作品のすべてがストランド誌に初掲載されたわけではないということ。1作目の『緋色の研究』と2作目の『四つの署名』は他誌にドイル氏が持ちこんだものです。

ハーバートは最初からドイル氏の才能を絶賛していたわけではなく、おもしろさは十分認めていたもののドイル氏が予定していた6作以上の掲載は考えていなかった様子。ところがそのあまりの人気ぶりに掲載を続けて欲しいと頼みこんだのでした。

ここまでで配役表にある実在の人物はほぼ出揃いました。稽古場レポートによるとアーネスト・グレイス(演:聖海侑由)はフィクションの人物らしいので除くとして、残るはウィリアム・ブート(演:諏訪さき)。確信は持てないのですがドイル氏が幼いときに一時預けられた家の息子としてウィリアム・ブートンという男がおり、幼馴染みとして成人後も仲良くしていたようなのでこの人物ではないかと睨んでいます。彼は写真技術者で技師として日本に来日。撮影した写真を母国のジャーナルに送り、その原稿料をドイル氏が代わりに受けとっていたそうです。

ホームズ大暴走

さあ、ようやくその名が連呼され始めたシャーロック・ホームズ(演:朝美絢)。最後に彼についてざっと解説して終わろうと思うのですが……彩風さんをワトスンと呼ぶ???

ということで、一応ホームズとワトスンの出会いの場となった聖バーソロミュー病院(通称・バーツ)からピックアップしてみます。

ヨーロッパ最古の病院

二度の大火を奇跡的に乗り越えた聖バーソロミュー病院は今でも当初の場所に存在し、ホームズ関連作品の撮影ロケにも使われているそうです。ホームズとワトスンの出会いの場となったこの病院ですが、どんな経緯でふたりはここを訪れていたのでしょう。

大学を卒業したホームズはロンドンで探偵事務所を開業します。ところがいくら待てど依頼者がやってこない。退屈になったホームズはいつか使えるかも知れない知識を頭に入れておこうと、さまざまな学問に手を出しては学びを深めていました。

ホームズが聖バーソロミュー病院の研究室で実験をくり返していたある日、ひとりの男が彼を訪ねてやってきます。その男こそがワトスンであり、これがふたりの出会いの瞬間でした。下宿のルームシェア相手を探していたワトスンはホームズと同じ部屋で暮らすことに。

ワトスンはホームズとの出会い頭で「アフガニスタン帰りか?」とたずねられ驚きます。ホームズの破天荒な言動に最初はついていけなかったワトスンですが、徐々に彼の類まれな推理力に気づかされていくのです――というのがすべての導入部分。

ワトスンはホームズと一緒に暮らしていくうちに彼の頭脳明晰さや判断力、知識量やその偏りの有無についてなど分析を進めていきます。実はホームズにもジョセフ・ベルという名の実在のモデルがいるとされており、ベル博士はドイル氏の学生時代の恩師なのです。

ホームズの性格

簡単にその性格や外見を表現すると、痩せており、目は鋭く、とにかくすばしっこい。性格は強気だが行動の指針は論理的で勇敢な男。

事件について考えているときのホームズには目を閉じて手の指を合わせる癖がありました。閃いたとたんその瞳は輝き、頬を赤らめて活発に動きまわります。一方事件が解決したりして暇な時間が続くと電池が切れたようにぐったりと横になってばかりいたりして、感情と行動の結びつきが強いというのが彼にありがちな印象です。

体は丈夫だったホームズ。整理整頓には疎くワトスンと共に暮らす部屋はいつもぐちゃぐちゃに散らかっていました。パイプや常用していたコカイン用の注射器、羽ペンにそれを手入れするナイフなどの私物が雑然と置かれているイメージがありますよね。しかも散らかっていないと落ちつかないようで、親切心で片づけようものならたちまち不機嫌になってしまいます。

夜中に愛器のストラディバリウスを弾いてみたり、とんでもない臭いを発生させる実験を平気な顔をしてやってのけたりという「やらかし」がとにかくひどいホームズ。そのたびに同居人であるワトスンと部屋の持ち主であるハドスン夫人は対応に追われるのですが、なぜか許されちゃうのですよね。

特にワトスンに関してはいたずらのターゲットにされることが多く常に振りまわされます。そうかと思えばワトスンをしっかり思いやる場面もあったりして、まるでトムとジェリーのような味方か敵かわからないドタバタな場面を演じる彩風さんと朝美さんを見るのが今からとても楽しみです。

名探偵の服装

ホームズのトレードマークとして忘れてはいけないのがタバコとパイプ。鹿狩り帽をかぶった姿の彼が先の大きく曲がったパイプをくゆらせる様子を思い浮かべますが、これは造られたイメージなのです。

まず当時のパイプに先が曲がったものは存在せず、まっすぐな柄が主流でした。アメリカでホームズが上演された際の舞台役者のスタイルが以後の関連作品に継承されてしまい今に至ります。

ほかにホームズがよく着るものといえばその細い体を覆い隠すようなコート。イギリスといえばマッキントッシュを筆頭に名だたるブランドを抱える国ですが、コートの生産技術の歴史を追うとおもしろい背景が見えてきます。

ロンドンは霧深い街です。ホームズが暮らすベイカー街もどこかいつも煙がかったような空気で満たされている気がします。現実的に考えると雨が多い気候のためで、これにより早くから雨対策としてのコートが普及しました。

イギリスでは今でもレインコートをマッキントッシュと呼びます。19世紀に入ったばかりの頃のコートは雨の日も着用されるものであり、特に分厚いウールコートを買えないような人々は雨が降ると寒さに震えていました。

これをよしとしなかったトーマス・ハンコックとチャールズ・マッキントッシュというふたりの人物が水に濡れても大丈夫な生地の研究に着手。産業革命によるゴム加工技術の向上も後押しして無事に製品化されたふたりのコートは人々に大歓迎を受け、後にイギリスで最も有名なアウターブランドの設立に繋がったのです。

コカインからの離乳

ホームズはコカインの常習者でした。当時流行したコカ・コーラにはコカインの成分が入っていたのでそう名づけられたのですが、当時はそれほど危険視されておらず強壮剤として一般的に使われていたのです。ちなみにアヘンも取締り対象外で合法。

実際にはすでにコカインの危険性は発見されつつあったものの、その情報がイギリスまで入ってなかったのでドイル氏も平然と作中に登場させたのですね。それでもドイル氏の耳に危険性があるという一報が届いたらしい時期以降はホームズも使わなくなります。

おもしろかったのがこのホームズのコカインとの決別について調べていたとき、これをワトスンの手を借りたホームズの離乳と表現していたこと。世話を焼かせるホームズ極まれりといった表現ですよね。

郵便配達員の憂鬱

イギリスといえば切手が発明された国でもあります。古い時代の郵便はいわゆる着払いのシステムを採用しており、このために受け取りを拒否されるというトラブルが多発。そこで導入されたのが前もって送料として切手を購入し、手紙に貼り付けて送るという制度。しかも配達距離にかかわらず重さによる統一料金だったのもあり手軽に手紙を送ることができるようになりました。

従来の手紙といえば封筒には入れずに便箋を折りたたみ、配達の途中で開かないようにシーリングスタンプが押されただけのもの。これは郵便料金が高かった時代は便箋の枚数で料金が決まったためであり、封筒も1枚としてカウントされたからです。

その後枚数ではなく重さで料金が決まるようになったことから人々は大事な手紙を封筒に入れて送るように。ちょうど産業革命のおかげで封筒の生産力が一気に向上したのもあり、多くの市民が離れて過ごす家族や恋人と手紙の交換を楽しめるようになったのです。

こうしてたくさんの手紙が毎日発送されたロンドン市内において大変だったのは郵便配達員。朝7時から夜8時まで1時間毎に配達されたというのだからジョー(演:壮海はるま)も大変ですね。

関連して作中に描かれる伝達手段としては電報もあります。電話もたまに出てくるものの当時はまだ一般に普及してはいませんでした。こちらも朝8時から夜8時まで対応となかなかのサービスでしたし、ホームズとワトスンの部屋に訪れる郵便や電報の配達員によって、ただでさえ騒がしそうなふたりの部屋がさらににぎやかになる場面があったりするのでしょうか。

ドイル氏はホームズを愛せなかったのか

ホームズズたちについても本当は書きたかったものの、代役発表により付されていたナンバーが変わったりとむやみに深入りしない方がいい気がしたので割愛します。

さて、くり返しますがドイル氏は作中で一度ホームズの命を終わらせます。結局は復活させて続きを書くことになる彼ですが本当は何を思っていたのでしょう。すでによくある考察は紹介済みとしても、ドイル氏が彩風さん、ホームズが朝美さんということで、ふたりの仲の行方がどうしても気になるというものです。

びびり散らかして開幕直前ギリギリの公開となってしまいましたが移動や何かの待ち時間を豊かにするお手伝いになりますように。

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