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価値観というピザ

今日は価値観について書きます。みんな種類が色々あって違うのも美味しい。けど好みに合う合わないはある。過去話がメインです。


わたしは小さい頃からいわゆるおませちゃんで、高校生時代には結婚式のことや結婚するべき相手の要素、夫婦円満のコツなどを徹底的に調べていた。なので私は計画を立てた。母と同じ25歳で結婚したかったからである。もちろんお互い愛し合っているのを大前提に結婚する相手の三大要素を自分の中で決めた。それはまず相手と自分の「お金・生活・デザイン」の価値観が一致するかどうか。全ての具材が揃うまでピザは焼かないことにしたのだ。

お金は金銭の使い方と身の丈にあった扱い方について。若い頃はお金はあればあるほど良い、と思っていたのでお坊っちゃまや自称成金のデブ男と付き合ってみた。どちらとも結婚の話は出た。お坊っちゃまの方は悪気は本当にないのだが、純粋に天然のお坊っちゃますぎて、性格も良かったし勉強もできたのだが中流家庭の自分とはどうしても相容れない深い溝があった。お互いの貯金の話になった時、「それって親がいざという時のために自分に残してくれたお金のこと?それとも自分がお小遣いから貯めたお金?」などと大真面目で聞いてきたし、わたしが大学時代に親から生活費を貰わずバイトを二つ掛け持ちして苦労していたことを伝えると「またまた〜冗談。クレジットカード(親の)あったでしょ?」と疑うことなく言ってきた。その後そんなの本当に無いよ、と言うとうそ、まじで?すごい!偉いね!と驚き賞賛してくれたが(ここまでお金に対しての価値観が違うと結婚は無理だな)と思った。彼は決して私を馬鹿にしていた訳ではなく、本当にそう思っていたのだ。住む世界が違うとはこういう事だろう。その後は彼からの束縛が激しくなりある日「俺と絵、どっちが大事なの?」と迫られ呆れた私は別れを告げた。ピザの具は美味しかったが、生地がどうしてもイマイチだった。

そして後に付き合った成金デブ男はとにかく金稼ぎが好きで、実家がお金持ちに関わらず自分でひたすら色んなことをやって稼いでいた。お坊っちゃまではなく自分で頑張って稼いでる人なら、と思い彼から手作り洋梨パイを貰ったことをきっかけに付き合ってみた。最初は良かった。「この香水欲しい」と言えば高価な物だろうが買ってくれるし、花束も前のが枯れる前にひっきりなしにくれ、板前見習いもしていて料理ができたのでお寿司も含め色んな美味しいものを作ってくれた。生活観に対してはお互い合っていたと思う。彼といると気が楽だった。見かけに寄らず綺麗好きだったし。美術に関しても「俺は興味ないけど、りさが好きならやれば?金は出す。」というスタンスで画材代をよく出してくれた。でもやっぱり、彼のお金の持ち方に不満を持った。自分のお金を自分で勝手に使う分はいいが、なんと言うか、お金に執着しすぎ。友人たちの集まりに行けば「俺、今日は現金2000ドルしか持ってないわ〜」と見せびらかすし、「お金ないから今日のランチの予算500ドルな」と言ってきたり、わざわざ言わなくていいのにお金持っている自分がアピールがすごかった。まさに見た目も言動も地獄のミサワだった彼。そしてよく「俺は親の金じゃなく自分で稼いでる」とお金持ちの子を馬鹿にしていた。誰かが「車買ったんだ〜」と言うと「それって自分のお金?それとも親?」などすぐ聞いていた。実際に彼は自分で稼いでいるし偉いとは思ってたがやはりそんなお金に執着する相手は嫌だった。慣れようと思い込んだがどうしてもやはりできなかった自分は、彼から貰った私名義のクレジットカード数枚をハサミで真っ二つに切り刻んで別れた。高級なピザであれば美味しいという訳じゃないんだな。生地も具も好きなもののはずなのに、手が進まなかった。さようなら。

もうお金持ちはいい。次は貧乏育ちでお金を大事にする人と付き合おうと決めた。その後に付き合った彼はケチすぎた。彼は同じ大学のイラストレーション科の先輩で、気は合ったしお互いのデザイン観に関しても尊重し合えた。しかしお金を大事にしすぎて使わない人だった。バイトの収入があった私がほとんど交際費を出した。今まで自分はほとんどお財布を出したことないので、最初は気にならなかったが時期に違和感を抱く。彼自身に対しては絵がうまくて人間的にも尊敬していたが、やはりお金の使い方で揉めること(私のお金なのに)が多いこともあり、結局私が疲れて別れた。安いピザも不味くはないのだが自分好みの味ではなかった。

今度こそは自分と同じ中流家庭の人と付き合うぞ!!と心に決めた私は運よく自分好みで、中流家庭で育ちお金に対してもデザインに対しても似たような価値観を持った、同じ大学のプロダクト科の男性に出会った。私の猛アタックから始まり付き合ったり別れたり戻ったりと何回か繰り返したが、結局最後は一緒になっていた。てっきり彼と結婚するものだと思っていた。というか二人でそう決めていた。実際に彼の自宅に転がり込んでいたし、デザインについてもずっと語り合えた。お互いの両親にも紹介した。気がつくと彼との交際期間が一番長くなっていた。彼以上に愛せる人はいないと思っていた。しかしある時から彼との生活観(主に清潔面で)が少しづつ合わなくなってきて自分のストレスが溜まり始める。彼の家に帰る前に(今日こそは片付いているのか?)とため息しながらドアを開けることが増えた。時間が経つにつれ溜まりに溜まったそれは、二人で行ったニューヨーク旅行から帰った日に、彼の台所の流し台に合ったカビが生えたお皿を見た私は爆発した。それは一瞬に爆発し、一瞬にして火は消え去った。百年の恋の火が消えたのだ。(あ、もう無理だ。)と悟った私は数ヶ月かけて話し合い、彼と別れた。あんなに私を大事にしてくれて、あんなに優しくて、自分のためを考えてたくれた人はいなかっただろう。恋人としてはこれ以上にないくらい満点な人だった。でも旦那としては物足りなかった。今までたくさんお別れをしてきたが、この別れは自分から告げたにも関らず一番こたえた。これほどにない愛はあった。でも、愛だけじゃ結婚できない。そう自分に言い聞かせた。完成しかけていたピザは、また元の粉に戻ってしまった。

もういいや。お金も生活もデザインの価値観が全部合う人なんていない。高望みしすぎたんだ。これじゃタラレバ娘だ。愛がなくてもいい。生活できるほどお金があればいいさ。時間もないし次に付き合う人と結婚する。そうしよう。ピザ作りなんて糞食らえだ。

そう心に決めた三日後に、現在の旦那と出会う。そしてなんと彼は一瞬にしてわたし好みのピザを焼き上げてしまった。彼は節約家であり、チャラい見た目に反してコツコツと家計簿をつけており、貯金もちゃんとできていた。生活に関してもいきなり家に行っても部屋は整理整頓されていて、トイレの鏡に水垢はついておらず、線香も焚いていてなんというか落ち着いた雰囲気を出していて安心できた。それは二人で同棲を初めても変わらなかった。デザインに関しては彼(元多摩美術大学のプロダクトデザイン科)の方が私より数倍も勉強家であり、論理的に考えて分析して、日々の研究を絶やさなかった。お互い本を集めるのが好きなのも良かったし、私にとってもためになる資料がすごく増えた。大分県出身の二つ上の彼は私のことを一番側で応援してくれ、解析して欠点を見つけ、そこから長所を伸ばし、共に成長を支えある存在となった。今までは美味しいピザを完成させることに執着していたが、彼と出会って誰かと一緒にピザ作りをする楽しさと大切さを教えてくれた。

やはりイラストとアートと美術とデザインと全部合わさったそれはわたしの原点であり、生きる糧であり、一番大事なものだった。そこの価値観が合うのは何よりの喜びだった。自分を信じて、求めていたものを諦めなくてよかった。そりゃお金も大事だけど、一生誰かと一緒にいたいのなら、一番大事なものが同じじゃないと側で生きていくのは難しい。せめて同じじゃなくても理解か応援はし合える関係でないと。自分は運が良かった。ピザの神に感謝だ。なので今日も私は大事な人と一緒に食べることを思い浮かべながら元気にピザ生地をこねている。


なんか惚気みたいな話になっちゃいましたね。すいません。価値観についてどうにか言語化したかったんですが、難しかったです。でも一度は諦めてお金だけのある生活をしようと思ってた自分が、またデザイン中心の生活をすることによってこんなに生き生きできるなんて思わなかった。人生って何起こるかわからない。

実はこの記事を書いている途中に旦那に怒られて大泣きした自分ですが(私が一時の感情に任せて衝動的に書いたものが間接的に私を一生懸命応援してた彼を傷つけてしまった)、彼は冷静に考えた自分の気持ちとこれからのことをわかりやすく説明してくれた上に「こんなくだらないことで終わっちゃうなんて勿体無い。りさはこれから伸びるんだよ。一緒に頑張ろう。もっと良い絵を描こうね。」と言ってくれたのでどんだけ仏様なんだよ、と更に涙が止まりませんでした。私が悪いのに。なんでそんなに優しくしてくれるのさ。もうこんな自分は消えてしまえばいい。その夜は落ち込みました。だけどうなだれていたら「いつまでもうじうじ落ち込んでないで次に進め!」と言われたので自分で自分のご機嫌とりをしようとポップコーンとココアを片手に「耳をすませば」を見て落ち着きを取り戻しました。泣き虫でネガティブで感情に流されやすい自分ですが、これからは怒る前に冷静的に分析してから物事を見ようと思います。よし!頑張れ自分!

明日は今年やりたいことリストの中に書いた制作過程の写真を撮った(&撮ってくれた)ので記事に使う練習をしてみようと思います。

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