金属バットの「早口言葉」について―日本のお笑いを殺すのは誰か―

まず最初に断っておきたいのは、この記事自体、誰も望むものではないということだ。

Aマッソの「漂白剤」ネタの煽りを受ける形で、金属バットの「早口言葉」というネタの一節が引き合いに出され、ネット上で話題になっている。「漂白剤」ネタの経緯については各自で調べて欲しい。ネタの前後の文脈が明らかになるまでは、彼女たちを批判するのはアンフェアだというのが私のとりあえずの見解だ。

金属バットを炎上させようとしている記事についても、ここでは引用しない。率直に言えば、読む価値も無い。ネタの全容についてはAmazon Prime「大阪チャンネルセレクト」内の「お笑いライブ 余韻」から参照するか、その他の方法で確認して欲しい。

笑いを解説することほど野暮なことは無い。だが、ここでは仕方なく件のネタを解説することにする。以下が問題になっているネタの一節を書き起こしたものだ。

小林「綺麗な早口言葉言おか。綺麗なみんな幸せになる早口言葉。黒人、白人、黄色人種。みんな合わせて地球人。」

友保「むっちゃ遅いな、お前。」

小林「いや、”人(じん)”が多くて。」

友保「”人(じん)”が多いとかやないねん。椅子座ってやる気やったろ、今の。無茶苦茶やないか、お前。」

小林「なにが?」

友保「ただなあ、お前。いいねえ!黒人も白人も黄色人種もね、差別なく、地球っていう1つの星に住んでんねんから。地球人。差別なく綺麗に生きよ。いいこと言ってんのよ、本当に。山田くん、ちょっと。コバちゃんに座布団40キロ持ってきて。黒人に運ばせてよ。」

小林「なんで黒人に運ばすの。なんで黒人に運ばすのよ、お前。黒人が触ったもの座れるか!」

友保「おい、ポンポン!」

このネタは「差別を批判しながらも、自身の差別意識については無自覚な人間」を二人が演じ、その差別意識が次々に発露されていく形で終幕を迎える。いわゆるマイクロアグレッション(自覚なき差別意識)と呼ばれるものを大袈裟に演じることで笑いを取っているのだ。正直に言って、この問題意識を扱っている時点で、金属バットのトピック選びのセンスは急進的な欧米のスタンダップ・コメディにも引けを取らないと言わざるを得ない。

「自分は差別主義者ではない」ということを言い切ることほど簡単なことは無い。差別意識とはその被差別者と対峙した時に、ぽろっと溢れ出てしまうようなものなのだ。だからこそ、自分の差別意識に気付くことは難しいし、私は間違っても「自分は差別主義者ではない」などということは言えない。まして、日本で生活をしている限り、自身の中に潜む「自覚なき差別意識」を意識することは非常に難しい。

このぼんやりとした差別意識という泥濘に自分の足で踏み込んでいくのは、とても辛くて苦しい作業だ。

そんな場所に一緒に手を取って踏み込んでくれるのが、他でもない「お笑い」なのだ。手前味噌で申し訳ないが、下に貼り付けた『マイルドな人種差別』というスタンダップ・コメディのネタを見て欲しい。

これは2015年のネタだ。比較的リベラルな70年代育ちの中年の白人男性が自身の「無自覚な人種差別意識」を赤裸々に告白している。多くの中年白人男性が人前では言えないような差別意識を「マイルドな差別意識」と言い換えることで、自虐ネタに昇華している。事実、多くの白人が、自身が抱えてしまっている「差別意識」に罪悪感を感じているのだ。

彼はそれをコメディに変えることで多人種の観客の前で爆笑を掻っ攫っている。これが笑いの力だ。また、これはあくまでも一例であり、このネタ自体は人種的マイノリティのコメディアンの鉄板ネタである「白人から受けた自覚なき被差別体験」への最新の回答として位置付けるのが正しいだろう。

ここまで読んでも、金属バットの「早口言葉」が「日本の笑いをダメにする」ものだという考えが揺らがない読者もいるかも知れない。もう一つ例を挙げよう。

昨年、ある日本の大物コメディアンが「ブラックフェイス(顔の黒塗り)」をした映像が地上波で流れ、多くの批判を浴びることとなった。「ブラックフェイス」はどんな文脈の上でも許されるものではない。そういった論調が多かった気がする。たしかにその番組上での「ブラックフェイス」の演出は間違いなく許されるものではなかった。

しかし、本当に「どんな文脈の上でも許されるものではない」のだろうか?たとえば、人種差別問題に最も敏感な国の1つであるアメリカで「ブラックフェイス」の映像が公共放送で流され、1つの抗議の電話も受けなかったとしたら?

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上の画像を見て欲しい。これは"It's Always Sunny in Philadelphia(邦題:フィラデルフィアは今日も晴れ)"という13シーズンも続いている人気コメディ・ドラマの一場面だ。2人の白人が黒塗りをしているのが分かる。どこからどう見てもアウトだ。

しかし、このエピソードの放送後、驚くべきことに抗議の電話は一度も鳴らなかった。そして更に驚くべきことに、この番組がブラックフェイスを持ち出したのは今回が初めてではなかった。

同ドラマは時事や風刺を巧みに脚本の中に織り込んだ、アメリカのブラック・ユーモアの最先端を走る番組だ。そして登場人物が全員「自覚なきダメ人間」、言ってしまうならば「クズ」であることが売りとなっている。そんなクズの登場人物たちが毎回ドタバタ騒ぎを起こすというのが番組の概要だ。

この黒塗りの回では、主人公たちが大好きな映画シリーズ『リーサル・ウェポン』の最新作を自分たちで製作してしまう。そしてダニー・グローヴァー演じるマータフ刑事を、あろうことか白人のマックが演じてしまうのだ。もちろん黒塗りの是非に関する議論は、番組中でも持ち上がる。しかし、「キャラクターを忠実に演じる」ためとして、さほど罪悪感も無く、マックは黒塗りをしてしまう。

もちろん「ブラックフェイス」はどんな文脈上であれども、アウトだ。しかし、それを「自身の差別意識に無自覚な」クズのキャラクターが行ったらどうだろうか?そこにはもう一つ文脈のレイヤーが生まれる。その瞬間に「自身の差別意識に無自覚な」人間への批評となり、風刺となるのだ。

それは抗議の電話など来ないはずである。

ここまで語れば、金属バットの「早口言葉」をどの様な文脈で見るのが適切なのかが、誰でも分かるのではないだろうか。

「あんなネタやってたら日本のお笑い死ぬよ」と金属バットのネタを評する人を見かけた。

日本のお笑いを殺すのは、あなたかも知れません。


10/2追記:某Feedの追い打ち記事を受けて。7年前のネタだし、最近は該当箇所はカットしてますよ、という話。詳しくは下の動画を観てから「キャンセル・カルチャー」でググって下さい。

10/4追記:


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