研究者インタビューvol1_3

中学で出会った病院の子どもたちに導かれて、発達障害支援の世界に|研究者インタビューVol.1・井上雅彦

「LITALICO研究所」は、株式会社LITALICO内の研究チームとして、社会課題に対するさまざまな研究活動を展開しています。
開設当初から、”障害のない社会をつくる”というビジョン実現に向けて、社外の研究者の方々と共同し研究を進めてきました。

「なぜLITALICO研究所と一緒に研究してくださっているのか」
「なぜ研究者として働いているのか」
「そもそもなぜ、その研究分野に興味を持たれたのか」

普段、同じビジョンに向かってLITALICOの活動に関わってくださっている研究者の方々に、そんなことを聞いてみたくなりました。

第1回は、鳥取大学大学院 医学系研究科 臨床心理学講座教授の井上雅彦先生。応用行動分析学・臨床心理学・特別支援教育などを専門とし、2013年度にLITALICOのアドバイザーに就任して以来、色々なかたちで関わってくださっています。井上先生が子どもの発達支援にかかわるようになったきっかけなど、これまでの経験とこれからについてお聞きしました。

素朴な疑問から、今の分野に辿り着いた

ー 井上先生が障害児心理や応用行動分析に興味をもたれたきっかけや、経緯を教えていただけますか。

改めて聞かれると、きっかけって難しいですねえ...(笑)

中学生の時に、地域ボランティアをする委員になったことがあるんですよ。夏休みに2年くらい連続して、重症心身障害のある人が入院している病棟を訪問するボランティアでした。

行ってみて僕が目にしたのは、たくさんベッドがある大きな部屋で、寝たきりで重度の肢体不自由と知的障害のある人たちが過ごしている風景。酸素マスクをしている人もいれば、僕らが入ってはいけない無菌室に隔離されている人たちもいました。明らかに大人であろう彼らがいる場所で、子ども向けの童謡が流れている。

当時中学生だった僕にとって、その光景はすごく強烈な印象だったんですよ。その中には、もちろん自分と同じぐらいの年齢の人もいるわけですよね。

ー なるほど…それは衝撃だったでしょうね...。

実は、僕の父親は結核で亡くなったんですが、その病院と同じ敷地にあった病棟に入院していたんです。山の中にあるその病院で父親が亡くなったのは僕が小学1年生の時で、それ以来ずっとそこには行っていませんでした。中学生になってそのボランティア活動で行ってみたら、父が入院していた結核病棟は時代の流れですっかりなくなってしまっていて、彼らのいる重心病棟(重症心身障害者病棟)に変わっていたんです。

社会から隔離された山の中の病院に、そういう人たちが何十人もいる。そこで生活してそこで亡くなるんですよ。多感な年齢だったので、それまで結核患者の専門病院だった場所で結核患者が減って、障害のある人たちがそこにいるということに対しても、強い衝撃を受けました。

僕は当時中学生ですから、部活や受験勉強なんかもさせられていたわけです。そんな生活と、同年代でここにいる人たちとの違いってなんだろう。何のために自分は学校にいて、一方でこの人たちは何のためにここにいるのだろう、いなければならないのだろう。生きるって何なのだろう、みたいな、大きな問題意識につながっていったんだと思います。

ー 中学校でのそうした体験もあって、大学で障害学を専攻されたんですか?

簡単にいうとそうかもしれませんが、そんなにストレートではありませんでした。高校時代に家庭でいろいろあって、特にやりたいことも無くなり、一度気持ち的にリセットされた中から、自分はいったい何をしたいんだろうと考えた時、なんとなくあのときのボランティア経験が頭に浮かび、「障害」について自分が何かできるといいなと思ったんです。

ー そうだったんですね。障害について勉強するなかで、特に自閉症をテーマとして選ばれたのはなぜだったんでしょうか。

学び始めて最初に出会った一番の謎が”自閉症”でした。当時は1980年代でしたが、日本ではまだ、”不適切な子育てやショッキングな出来事によって生じる障害”という、誤った認識が多かったんです。大学で専門書を読み、”生まれつきの脳機能の障害で、障害特性としては対人関係の困難やこだわりがある...”など、頭で理解したつもりでも、実際にかかわる場面ではどうやっていいのかまったくわからず、当惑した記憶があります。

そんな中での一つの出会いが、心理学の講義での「自閉症への行動療法」という話でした。無発語の自閉症の子どもに対して音声言語を獲得させたり、自傷行動や自己刺激行動を改善させたり、といった研究効果について「これだ」と思いました。1985年とか86年とかなので、行動療法自体は一通り日本に入ってきていましたが、自閉症への適用はまだ少なかったんです。

また、同じ時期にアイゼンク先生(*1) が来日され、先生の講義を聞き、本格的に学びたいという想いをより強くしました。その劇的な効果というものに単純に惹かれたんでしょうね。それまで僕が見てきた”障害”や”自閉症”というものを根こそぎ変えてくれるのではないか、色々な疑問を一気に解決してくれるのではないか、と強力なインパクトを感じさせてくれたのが行動療法でした。

行動療法と自閉症を本格的に学べるようになったのは大学院に入ってからでしたが、研究室では自閉症のある幼児から思春期までの子どもたちに、様々な療育プログラムを開発していました。行動療法の基本原理である行動分析学も学び、「子どもを変えられてなんぼ」という修行のような環境で朝から晩まで臨床の世界にどっぷりつかることになり、多くの先生や先輩、友人たちに出会いました。

障害児支援や応用行動分析学を専門とするようになったのは、振り返るとそんな経緯でしょうか。まぁ、今となっては、という感じですよ。なんでずっと病院で生きていかなければならないんだ?という素朴な疑問の先がそうなっちゃった、みたいな感じです。

支援の大きな方向性は同じでも、環境が違えばニーズも違う。道場破りではダメだと気づいた

ー 井上先生は、現在でも臨床支援を続けながら、大学やLITALICOで学術研究をされています。臨床と研究、実践と理論、を行き来されていますよね。

心理学の領域についていうと、理論レベルでの大発見や変革って、現代ではもうそんなに起こらない気がしていて、今までの原理原則を、いかに社会の実態に合わせたかたちで応用していくかが大切だと思っています。

理論的な研究や実験研究で分かってきた事実を、実際の現場で誰もが使えるようにするにはどんな条件が必要なのか。ひと握りの、特別な才能や技術のある支援者にしかできない実践に関して、その中にあるエッセンスを科学的に証明していくことで、誰もが支援技術として共有できる技法にしていく。理論から実践に、実践を理論にという繰り返しの中で「実践のエビデンス」を追究するということでしょうか。

ー なるほど。「実践のエビデンス」を出していく上では、どういった視点が大事になるんでしょうか。

単に、とあるプログラムに効果がある、というだけではなくて、それがどんな環境の中で効果的であったのか、ということがポイントですね。効果、と一言でいっても、それは常に、ある特定の環境の中での話に過ぎません。効果があるといわれるような研究があったとしても、ちょっと支援環境が違うところに持ち込んでいった時に、違和感やギャップが生じることがあるんです。

若気の至りで今となってはとてもお恥ずかしい話ですが、大学の助手として就職してすぐの20代後半、特別支援学校にコンサルテーションに行き始めた頃、「この学校で一番大変な子どもさんを見せてください!」といってその場でビデオを回しながら1時間ぶっつけ本番でセラピーをし、それを使って職員研修で講義をするという「道場破り」のようなことをやらかしていました。当時の教育現場では、行動的なアプローチは子どもを餌付けする方法といわれたりと、あまりよく思われていなかったこともあって、「なめんなよ」という反発心もあったのだと思います。

しかしすぐに、これは自己満足だったことに気がつきました。たとえ1時間で子どもが劇的に変わる姿をビデオに撮れたとして、「すごい」と思われたとしても、それで現場が変わるわけないんです。逆に現場のほぼすべてを敵にまわしてしまっている(笑)。

現場で受け入れられるには、その現場のニーズを知り、技法を実行しやすい方法にアレンジし、先生がその支援を実行する行動を強化し支えていく、学校の環境に対してもアプローチしていかないといけないということを体験的に気づかされました。今となっては、ちゃんと「行動コンサルテーション」を学べよ、という感じですが。

― 実践と研究を結びつけるというのは、労力をつかうところですよね。

現場に足を運んで、入り込まないと上手くいかないように思います。アメリカでやっているプログラムを、そのまま日本でやってもうまくいかないっていうのと一緒で。だから例えば、LITALICOの文脈でやっていることが、他の事業所でも上手くいくか、っていったら、そこはそこで検証しながらでないと。LITALICOジュニアでやってることをそのまま、じゃなくて、やりやすい形で提供していかなきゃいけないですね。

何のために研究するのか、目的をはっきりさせながら方法は色々で

ー 井上先生は、「研究者」として働くことをご自身ではどう捉えられていますか。

僕自身はそんなに器用じゃないですが、仕事は年齢とともに拡がり続けていて、今や「何でも屋」状態じゃないかな。僕はたぶん今の仕事しかできないんだと思います。もし僕に芸術的な才能があれば、例えば映画監督として障害をテーマにした映画を撮ることで社会を変えられるような仕事をしていたと思います。他にも色んな才能があれば、それを使って目的と向き合ってたかなと思うんですが、僕はこういう手段でしかできなかったんですよ。修士課程を出た後、学校の教員をやろうと思ったこともありますが、二次の集団面接の試験でみんなを論破してしまい、結果はみごと「不採用」でした。どうも集団適応は得意でないようです。この年齢になるとある程度の社会性は身についてきたと思いますが(笑)。

自分の目標をはっきりさせながら、それを叶えるやり方は色々でいい、自分がなんとかやれるのは、どこなんだろうと考えながら。

大学院生の時、ある先生に「研究行動という自分の行動を分析する必要がある」って言われたんですよ。何のために研究しているのか。実際に困っている人たちを支援する学問なので、目的をはっきりさせなきゃいけない。難しい言葉で言うと「自らの研究行動の機能分析」をし続けることで、自ら常に襟を正せ、ということでしょうか。

自分にとっての研究は、目的を達成するための一つの手段に過ぎません。研究をするのは、自らを利するためではなく、その研究をすることが最終的に困っている人や社会にとって、どんな役に立つのか、というところでしょうか。これはまさに「利他・利己(りたりこ)」かな。

LITALICOの目指す「障害のない社会をつくる」というのは、僕が研究する目的と一致しています。特に ”株式会社” という今までにないスタイルでそれを実現しようとしていることは、これまでの日本の障害福祉制度を考えると非常に興味深いところです。

「障害は社会の側にある」というのは、心理臨床をやり始めてしばらくしてから実感したことです。学校や会社の中で不適応になって苦しんでいる人を心理療法で治療して、そのままの環境に送り出したとしても、その学校や会社は変わらず同じような人を生み出してしまう。

論文を書いても、それだけでは世の中は変わらないんですよね、一言でいえば。研究で得られた知見を地域で実装して、効果検証を含め制度化していって初めて社会は変わるんだけど、大学で研究をして論文を書いてあとは社会がなんとかしてください、といっても、何も変わらない。

例えば、「ペアレントトレーニング(*2)」をやってくださいと自治体に売り込んでも、やってくれる自治体や機関は少なく、それを探すのは大変です。ある程度の数や期間を使ってやってみないと、実装するのにどんな課題が生じるのか客観的な数値は得られないんですが、今の福祉制度の中では予算や人手が確保されないと、なかなか継続できないんですよね。

だから、数年前にLITALICOでペアレントトレーニングのトライアルをしてもらった時に「1年間で1,000人に実施しました」と言われたのは、僕にとってはすごい衝撃でした。本当におったまげた。効果があるものをまずやってみよう、というパワーは、LITALICOのような民間の強みなのかもしれません。

LITALICO研究所には「社会にとってどうか」を軸に動いていってほしい

ー 私たちとしても、今後はより積極的に、社外の研究者の方とも連携できればと考えています。

純粋に、同じ目的を持った組織や人の中から、色んな研究が生まれていくといいですね。LITALICO研究所は企業の中の組織だけど、コラボレーションを重ねることで、大学で出来ないような研究を協働してやれるプラットホームになっていけるといいなと思います。研究のための研究や誰かの卒業のための研究、資金獲得のための研究ではない研究を。LITALICO研究所は「その研究をやることが、社会にとってどうなんだ」ということを軸として動いていって欲しいなと思います。

今、LITALICOが企業として提供しているものは、”今”の 社会制度の中でやれる支援サービスですよね。今のサービスが本当にこれでいいのか確認しながら、「今のサービスを超えたことはできないのか」という研究やアクションにつなげていけるといいですね。現状のサービスの質の担保とは別に、新しい何かができないか。全く新しい臨床的なサービスや、社会変革のための仕組みを研究して提案できないか。そんな未来志向型の研究ができたらいいですよね。

ー そうですね。今の制度の枠にとらわれず、より発展するためのものを作っていく。

例えばAIと対話する中で精神疾患を診断できたり、ロボットと遊びながら知能検査ができたり。企業だからこそできる、テクノロジーと融合したユニークな研究、しかもプログラムや製品として社会に出せるものがいいですね。

そうやって開発した新たな技術や実践をかたちにして制度を提案する、っていうのができたらカッコいいですね。

これからは、「より広いもの」と「より尖ったもの」、両方やりたい

ー 井上先生個人として、今後取り組んでいきたいことの展望はありますか?

展望はよく分かんないけど...、臨床心理学をやっている研究者としていうなら、臨床心理士や公認心理師の人たちは、質も数もまだ足りない状態にあると思うんですね。ただ、技術的な進歩によって社会も変わっていくことを考えると、必要な支援をより多くの人に、より早く低コストで提供できるためのプログラムやテクノロジーを考えています。

日本は人口が減る一方で、支援を必要とする人は増えています。教育、福祉、医療の中に、よいかたちでテクノロジーが入り、分業していくことで解決できればなと思います。例えば認知行動療法でも、「技法の開発 → 個別での実施 → グループでの実施 → ICTを用いた遠隔実施 → AIのアシスト追加」というように、専門家不足を補うような研究の流れができてきています。

だから、絶対に人じゃなきゃいけない部分と、AIによるアシストで可能な部分を分業していくことは必要でしょうね。診断待ちに1~2年かかるよりは、知能検査などの一部をAIで代替して、必要な人に早く支援を提供できるような仕組みやシステムができたらと思います。

もう一つは、今の社会システムの中でも支援が届きにくい人たち。今の制度から取り残されてしまっている人たちに、なんとかちゃんと支援が届くようにしたいですね。重度の行動障害があったり、医療的ケアが必要だったり。虐待や暴力、不登校やひきこもり、事件の被害や加害にかかわった人や家族、貧困、外国から来た人たちなど、子どもたちや家族を取り巻く困難は互いが絡みあって生じています。今の支援制度は、一つひとつがバラバラに機能している側面が多く、複合した問題に対応できているとはいえないと思っています。

先にお話しした、臨床心理や教育、福祉へのテクノロジーの導入のような尖った研究と、ニーズが届いていなくて困っている人たちを支援できる制度を創っていくような広い研究を互いに関連させながらやっていきたいですね。

多様性を互いに認められる社会であるためには、多様な価値を生み出し認めていける社会でないといけない。

ただ、これらの課題を自分一人でやれるわけではありません。同じ目的や志を持った仲間が必要です。企業や他の研究者、支援者、当事者、行政、いろいろな方たちとコラボしながら少しでも社会に貢献できればと思います。

― 今日はお話をありがとうございました。これからもいろいろな研究をご一緒できれば嬉しいです。引き続きよろしくお願いいたします。

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(*1)アイゼンク:Hans Jürgen Eysenck (1916-1997)
ドイツの心理学者。行動療法の他に、行動遺伝学、パーソナリティ、知能、社会的態度、心理療法とフロイド的心理学などを専門とした。

(*2)ペアレントトレーニング:Parent Training
保護者が子どもとのより良いかかわり方を学びながら、日常の子育ての困りごとを解消する、子どもの発達促進や行動改善を目的とした保護者向けのプログラム。1960年代、知的障害や自閉症などの子どもをもつ家族を対象にアメリカで開発された。現在では、障害だけでなく様々な特性の子どもや環境をもつ保護者向けに開発されるなど広がりを見せている。

|井上雅彦(いのうえ まさひこ)|
鳥取大学大学院医学系研究科臨床心理学講座教授。公認心理師・臨床心理士・専門行動療法士・自閉症スペクトラム支援士(エキスパート)。専門は、応用行動分析学、自閉症と発達障害への支援、臨床心理学、特別支援教育。

取材・文 :鈴木美乃里
写真・編集:鈴木悠平

取材日:2019年5月14日

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