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走れ、電動自転車。

毎朝、子どもを電動自転車(電チャリ)に乗せ、保育園に送り届けている。

電チャリはとんでもなく快適だ。漕ぎ出すときにちょっと力を入れてペダルを踏めばスムーズに動き出し、ペダルをとりあえず回転させておけば、力強く目的地まで運んでくれる。

坂道でもそれは変わらない。どんな急勾配でもペダルが重くなることはなく、力強く私たち親子の推進をアシストしてくれる。電チャリに乗りはじめてからというもの、「息が切れた」とか「腿がパンパンになった」ということは、まずない。

思えば、私が育った街は坂道だらけだった。山を崩して団地化したところ(手っ取り早く言えば、ベットタウン)だったので、駅までは下り坂なのですごくラクだが、帰りは上り坂オンリーだから行きの倍以上時間がかかる……みたいな環境だった。街の中心(駅前)は山のふもとだから、出かけるときは必ず長い坂を下り、長い坂を上って帰ってこなくてはならなかった。

当然、自転車での移動は辛い。その当時、「電動」なんていうすぐれたものはないから、自転車で坂道を登るときは必然的に「立ちこぎ」をしなければならない。遊び疲れた帰り道、腿に負荷をかけて自転車をこがないといけないのは、ただただしんどかった。だが、子どもだから体力はあって、しかも平地の環境をよく知らないから、こういう環境にもすぐに慣れてしまった。

電チャリに乗るようになって思うのは、「自然に負荷がかかる状態」が必ずしも悪いものではないな、ということだ。当時は、否が応でも身体に負荷がかかるから、意識しないでも足腰が鍛えられていたと思う。

いまは電チャリに頼り切りだから、身体はなまるばかりである。身体を動かしていないことのツケを、どこかで払わなければいけないのだろうけど、最近はなかなかそこまでは手がまわらず、結局、ラクすることばかり追い求めているような気がする。とにかく効率性重視で、かかる手間を最小限に、みたいな方向に傾きすぎているのかな、とたまに思う。

だからといって、「電チャリをやめて普通の自転車に乗るか?」と言われれば、やっぱりそれは厳しいかな。結局、もう元には戻れないほど、電チャリに依存しているんだよなぁ。



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