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トミヤマユキコ「ネオ日本食ノート」③

ネオ日本食の「聖地」——横浜「ホテルニューグランド(ザ・カフェ)」のナポリタン

 ネオ日本食を考える上で避けて通れない場所、それは「元祖の店」だ。独自の解釈で美味しさの枠組をどんどん変えてしまうネオ日本食の世界は、一体どんな風にはじまったのか? それを知るためにも、やはり元祖の店には行っておかなくちゃ……でも、元祖の店って有名すぎて、行くのが若干ダルかったりもする。テレビや雑誌でよく見かけるから、つい「知った気」になってしまう。

 そんな理由で、わたしが長いこと後回しにしていた店のひとつに「ホテルニューグランド」がある。ここは、「シーフード ドリア」と「スパゲッティ ナポリタン」と「プリン ア ラ モード」誕生の地である。ひとつのホテルで3つのネオ日本食を考案したとなれば、それはもう「聖地」ということでいいだろう。

 取材当日、編集のKくんと待ち合わせて、ホテル内にある「ザ・カフェ」へと向かった。わたしは、店までの道すがら思い出していた。両親に連れられて何度かこのホテルに来たことがあるってことと、なぜか名物メニューを食べてないってことを。オレンジジュースの記憶しかない……なにしてたんだよ当時のわたしは……。

 店に到着すると、入口のすぐ近くに一枚のパネルを発見した。「シェフ伝統のクラシック洋食 ホテル初代料理長サリー・ワイル伝統の味を今に…。歴史と愛情に育まれたホテルニューグランドの洋食をご堪能ください」とある。そのキャプションとともに紹介されていたのは、ドリアとハンバーグ。やはり洋食推しなのだな。でも、パネルにナポリタンが載ってない。なぜなんだろう、とやや引っかかりを覚えつつも、ひとまず入店することにした。

 案内されたのは、窓際のソファ席だった。この日はとにかく天気がよくて、港も海も陽射しでキラキラしていた。老舗ホテルのレトロでかわいいカフェから眺める横浜の風景は、デートだったら最高だと思うのだが、われわれはネオ日本食を食べるためだけにやってきたおばさんとおじさんなので、黙々とメニューを見て、さっさと注文します。

 今回メインで調査したいのはナポリタンだが、せっかくなのでドリアも注文することにした。待っている間、Kくんと味の予想をする。「おいしいかなあ」「どうでしょうねえ」「ナポリタンの麺、太いかなあ」「どうでしょうねえ」……ぼんやりかよ。元祖ナポリタンのネオさがどの程度か、まったく想像がつかないわたしたちだ。

 やがて運ばれてきたナポリタンを見てハッとした。なんだか、すごくきれいなのだ。一言でいうと「美人系」。麺も細いし、ソースの色もどぎつくない。具もハムとマッシュルームだけ。これまで散々「デカい皿にチャチャっと炒めた太麺ドーン!」みたいな、たくましい男子のようなナポリタンを食べてきた身には、あまりに美しい見た目。さすがはホテルのナポリタンである。

 そんなナポリタンをひとくち食べてみて、またしてもハッとした。あっさりしてて、まったく脂っこくないのだ。なんだか味まで美人系。

 このあっさり感は、ケチャップではなく、トマトの粗切りとトマトホール、トマトペーストを使って作られているから。ナポリタンといえばケチャップ、というイメージがあるし、実際、戦後の日本において、このケチャップパスタはよく食べられていた。だが、ホテルニューグランドの二代目総料理長・入江茂忠シェフは、その流れに乗っからなかったのである。米兵も食べていた、このあまりにも庶民的なケチャップパスタを変革すべく、オリジナルのトマトソースでホテル風ナポリタンを作った。つまり、親しみやすい味ではなく、ホテル用に格上げされた味を目指した……そうしたシェフの工夫があってこその「美人系」なのである。

 これって、いわゆるネオ日本食とは、ちょっと違うかも。かといって、本場イタリアのパスタというわけでもない。「ネオらせる」というややこしい手続きに入る前の、すごくシンプルな和洋折衷感が、かえって新鮮だ。ここのナポリタンは、ホテルの厨房で生まれた上品な食べ物であって、庶民的な食堂で作られる「洋風焼きうどん」とはニュアンスが違う。そして、ほかの店が勝手に麺を太くし、具やソースの種類を増やし、じゃんじゃんネオらせてゆく間、元祖はずっとそのままの上品さをキープしていたのだ。その違いが、すごくおもしろい。

 元祖ナポリタンがこんなにもあっさり&上品なら、元祖ドリアも同じなんだろうか? Kくんが食べていたドリアを、自分のナポリタンと交換してもらった。「Kくん! ドリアは別にあっさりじゃないんだね! そしてホタテの量が尋常じゃないよ!」

 トマトソース系からケチャップ系まで、わりと味の幅があるナポリタンと違って、ドリアの基本となるホワイトソースは、味の幅を演出しにくいものなのだろう。ふつうに美味しいし、現代のドリアと変わるところがない。でも、ニューグランドの個性は確実に感じられる。それは「ホタテの量」だ。一体この量はどうしたんだ。贅沢すぎる。いや、ホタテも多いが、ほかのシーフードも結構な量だ。むしろ米より多い。米、明らかに劣勢。

 ネオ日本食の多くが、結局のところ「炭水化物をたくさん食べたい」という人びとの願望を叶える食べ物だというのに、元祖ドリアからは炭水化物への執着がほとんど感じられない。食べても食べても口の中がホタテ・エビ・イカでいっぱいになる。米はパイ生地とかタルト生地みたいな感じで、奥底に控えてはいるのだが、決してしゃしゃりでてこない。サイゼリヤのミラノ風ドリアがほとんど米なのとは正反対である。この「魚介類>米」という価値観が、ホテルっぽいと思った。米の少なさにこそ、ホテルの「品格」があらわれているとさえ言える。

 「いやぁおもしろかった」「ほんとですねぇ」と言い合いながら店を出た。ほんと、こんなにおもしろいならもっと早く来るべきだった。腹を空かせた庶民のために旨さ最優先でどんどんネオらせていった数々のシェフたちの中で、あくまで「ホテルの料理」として踏みとどまった入江シェフのナポリタン。その凛とした姿を見られて心からよかったと思う。

 ホテルを後にし、行きとは別のルートで帰ることにした我々の前に、さっきエントランスで見たのとはまた別のパネルが現れた。「スパゲッティ・ナポリタン発祥の店」の文字とともに大写しにされたナポリタンは、もとは電話ボックスだったのだろう四角いガラスケースに丁寧に収められていた。ナポリタンのパネルは、ここにあったのか。完全に王様の扱いじゃないか。観光客で賑わう表通りに向けられたパネルは、元祖の威光を放ち、堂々としていた。

ザ・カフェ

http://www.hotel-newgrand.co.jp/the-cafe/

https://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140105/14000136/


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