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トミヤマユキコ「ネオ日本食ノート」⑥

ピザ欲じゃない、ピザトースト欲なんだ!——有楽町「珈琲館 紅鹿舎」

 「ピザ欲」と「ピザトースト欲」は、似て非なるものである。「ピザじゃなくてピザトーストが食べたいんだよ!」と思ったこと、あなたにもきっとあるはずだ。土台がパンだってだけで、なんでこんなにテンションが上がるのか。ぶ厚く切ったトーストが、上から順番に

(1)ピザの具のところ

(2)白いパンのところ(ピザソースやや染みてる)

(3)カリカリのパンのところ

の3層に分かれ、それぞれが個性を保ちつつ協調している感じがすばらしい。ふつうのピザ生地も好きだけど、この3重構造をしっかり味わうなら、やはりトーストが最強だ。イタリアの方からすれば奇っ怪な食べ物なんだろうけど、旨いもんは旨い。

 ナポリタンが戦後のどさくさ期からあることを考えれば、ピザトーストもそれくらいの時期にはできてるだろ、と思っていたら、そんなことはなかった。調べてみたところ、諸説あるようだが、早くて1964年頃、遅くて77、8年頃だ。え、わたし79年生まれなんですけど……思っていた以上に歳が近い。急に「同世代のよしみ」みたいなものを感じてしまうな。これまでも気軽に食べられるものではあったけど、より身近になった。

 今回訪れた「珈琲館 紅鹿舎」は、1957年創業の喫茶店。レトロな装飾品が所狭しと並ぶ店内は、お客さんでいっぱい。話し声があちこちから聞こえ、すごく賑やかだけれど、なぜか気にならない(むしろ落ちつく)。老舗はどこもそうだが、お客さんのよい「気」が長年蓄積している店というのは、使い古した毛布的な安心感があるものだ。

 さっそく着席し、メニューを開くと「たっぷり、とろーりチーズと、さくさく、もちもち厚切りトースト。中の具材の旨味があふれ出す、人気No1!」との文字列が……確かに。そう深く頷いて、「べにしかの元祖ピザトーストセット」を注文した。

 店内はすでにピザの香りで一杯だ。3組に1組はピザトーストを注文している感じだろうか。わたしが禁煙エリアに座ったこともあって、香ばしいいい匂いが、何にも邪魔されることなく鼻先まで漂ってくる。ああ、到着が待ち遠しい。

 隣の席では、中年女性ふたりが夢中になっておしゃべりしている。「マンションの管理組合が過保護で困る。ひな祭りにはあられを配るから取りに来いとか、いちいちうるさい」「わたしもそれはやり過ぎだと思う」という内容のあとは、日本古来より伝わる中年女性の伝統芸能「伝票の奪い合い」もばっちりキメていて、これ以上ないほど正しい喫茶店での振る舞い方だった。ピザトーストのことを一瞬忘れるぐらい、いい光景。

 やがて運ばれてきたピザトーストは、ざっと見たところ、厚さ3センチ。平均的〜やや薄いかな、という感じだが、とにかく横幅がすごい。すごいというか長い。20センチはゆうに超えているのではないか。あらかじめ3等分されているが、その一切れがけっこうデカい。フォークとナイフを使って食べるひともいるようだが、わたしはできれば手で食べたい派だ。なぜなら、チーズがびょーんと伸びたところを口で迎えにいくのが楽しいから(お行儀悪くてすみません)。

 写真で見てもらえばわかるが、紅鹿舎のピザトーストは、ピーマンをアクセントにつかっていない。具材はすべて細かく刻まれ、たっぷりとかけられたチーズの下に隠れている。見た目の派手さはないが、すごく食べやすい。噛みちぎるときにたまねぎが飛び出してくるみたいなことがないから綺麗に食べられる。ジャンクなはずなのに、ジャンク感がない、すごく上品なピザトーストだ。

 チーズの一部が焦げるくらい焼いてあることからもわかるが、こちらのピザトーストは「よく焼き」である。白くてふわふわの中間層は、必要最低限にして、とにかくパンのクリスプ感を大事にしている。そして、このサクサクのおかげで、口当たりがとても軽い。ボリューミーではあるが、胃に重くない。

 元祖だから、名物だから、というより、ふつうに旨い。それが紅鹿舎のピザトーストだ。特別なことはしていないが、妙にパンが長かったり、具材がすごく丁寧に刻まれていたりするといった工夫の積み重ねで個性的にしているのが面白い。そういう工夫があるからこそ、「家で作るより美味しい」ピザトーストになるのだろう。

 あと、やっぱり、隣の会話が聞こえてきちゃうあたりが、古き良き喫茶店とだなあと思うし、大変好ましい。さっきの中年女性二人組は、わたしがピザトースト食べ始めた途端「あの人もみんなと同じの食べてるねえ。このお店の名物だからねえ」と解説を始めた。まる聞こえだ。でもそれが楽しい。なんならもっと喋ってくれていい。スマホで音楽なんて聴いてる場合ではない。

 ピザトーストを満喫したわたしは、帰り支度をはじめたが、その間にも客が次々に入ってくる。女子大生っぽい4人組、商談にやってきたサラリーマン、ひとり客に、デート客……彼らもきっと、ピザトースト欲を刺激されてしまうのだろう。そしてピザトーストを食べた彼らは、どんなお喋りをするんだろう……そんなことを考えながら、わたしは家路を急いだ。

珈琲館 紅鹿舎

https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130102/13002146/

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