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チーズナン

 "生きること"とは、とどの詰まり「居心地の悪い場所を増やすこと」だなと思う。地元を散歩している時なんかは特にそれを強く感じるし、今住んでいる地域はそうならないまま出ていきたいなと強く思う。
 不意に訪れた街で、場所で、この先の人生に全く糧にならない記憶を掘り返される時がある。「せっかく今日は一人でよろしくやってたのによ」と腹がたつ。俺はただ歩きたかっただけなのに、ゲームセンターを見かけて他人の太鼓の達人を3時間眺めさせられたことを思い出す。俺はただ時間が潰したくてドン・キホーテに行ったのに、そこであった嫌なことを思い出す。俺はただ本屋に行きたかっただけなのに、六本木駅を見て嫌なことを思い出す。
 知人や友人が増えると、その街はその分居心地が悪くなる。友人のバイト先は行きにくくなるし、いつ誰に鉢合わせるかという居心地の悪さもある。
 とにかく、「居心地の悪い場所を増やすこと」ことからは逃げられない。

 生きていると、ごく稀に心の底から気の合う人が現れる。中学生の頃に1人。高校生の頃に2人。そして今、大学に1人。高校までのそういう人たちとの関係が現在進行形で薄れてしまっている中で、大学のその人との関係性はどうやったらこの先も薄れてしまわないかを最近は考えている。
 たまに現れる気の合う人とは、居心地のいい場所が生まれる。それは部活が終わった後に自転車を止めて暗くなるまでしゃべっていたあの場所だったりする。それは通学で使う駅の集合場所だったりホームだったり電車の定位置だったりする。それは放課後のマクドナルドや銀だこの前だったりする。それは放課後に行ったインドカレー屋やラーメン屋、もうそもそもその街全体への愛着のようなものであったりもする。それは初めて一緒にお酒を飲んだ居酒屋だったり、河川敷の階段だったり、カレー屋さんだったり、なんの変哲もない棒の腰掛けだったりする。

 たまに現れる気の合う人と、居心地のいい場所。昨日の夜のチーズナンは、その文脈が全部入っていた。いいかもな、生きてて居心地が悪くても。いいかもな、生きてて不意に嫌なことを思い出してしまっても。

これがそのチーズナン

#366  チーズナン

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