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思い出についての個人的な考察

特に何も考えずに生きてられる人はすぐブラウザバック!!!!!!!羨ましい!!!!!!!

 自分の言動が「思い出が欲しい」に突き動かされていることにふと気がついてしまう時がある。人生の中でそれを経験した、という事実の欲しさが前に出てしまっている自分が正直見てられない。
 そういえば自分はバンジージャンプをしたことがないけれど、そういえば自分は富士急などに代表されるような弩級のジェットコースターには乗ったことがないけれど、「経験しないまま死ぬのは勿体無い」という原動力でそれを体験しに行くことは自分はしたくない。なんとなくの雰囲気で富士急などに行くことになり、そこでの事の運びでジェットコースターに乗ることになり、そこで初めて「人生で一回も乗った事ないし、いっか♪」が来ないと嫌なのだ。


 「恋愛をしてる自分が好きな奴」が一定数いる。恋人がいる自分が好きで、恋人がいない自分が好きじゃなくて、だから恋人を作っている人のことを僕は心の底から軽蔑している。順番が逆なことがニュートラルになっていることに違和感を持たず、「終わりよければすべてよし」を都合よく解釈してその時しか効力を持つことのない幸せを誇らしく思いながら享受する。人生の思い出をより多く、経験値をより多く、という具合に自分の人生の思い出に突き動かされる姿がとても滑稽だなあと思ってしまう。それを思わないよう意識したら、滑稽だと思っているソレを自分もできちゃったりするのかなと頑張ったけど、無理だった。事実、都心に行った時にフラフラと街を徘徊してみると、「思い出が欲しいだけの奴ら」の多さに息が詰まってしまう。


 友人に「今日飲み行かん?」と誘われ、「ごめん、明日朝早くてさ」と断った時があった。”朝早い”と濁したが、本当は翌日に面接があった。結局落ちたので飲みに行ってりゃ良かったんですが、誘いを断った後に「逆に明日空いてる?」と返してしまった。お互いに「何となく今日飲みたいかも」みたいな時に気まぐれで誘い合ってきたのにその場で僕は約束を取り付けてしまった。結局、翌日の天気が雨だったので、そのさらに翌日にリスケされる運びとなった。
 この時の「逆に明日空いてる?」と言った自分がすごく嫌だ。結局自分は「面接終わってから飲みに行って色々喋った」という思い出が欲しかっただけなんだろうなと思えてならない。約束をしてしまったばっかりに、「今日どうする?」「雨で散歩できないしリスケにしよう」という気分が下がるやり取りを友人に強いてしまったし、「今から飲もう」「良いこと言うね」的な瞬間のノリも薄れる。自分が思い出に固執してしまったばっかりに、全部がマイナスに進んでしまった。結局飲むことになったその日、自分が「今からどうよ」と誘っておけば全てが上手く行っいっていたのに。「そういうところだぞお前」と自分に対して思わざるを得なかった。


 「これは思い出が欲しいだけなんじゃないか?」と踏みとどまることが最近多くて嫌になる。

 先日、「いい人すぎるよ展」というものに行ってきた。「トレー返却の際にごちそうさまでしたーと言って帰る人」みたいな、そういう日常にいる“いい人”を集めた展示会で、人のいいところをもっと見つけられる人になりたいなと思いました。
 展示会を見終わって帰っている時、「これは誰かと一緒に見てあーだこーだ言いながら見たかったなぁ」と思った。「これあの人がよくやってくれてるよね」だの「これお前がよくやってることじゃん」だのと言いながら見た方が、もっと”いい人”への解像度が上がるんだろうな〜と歩きながら思った。
 そこでふと「じゃあ誰と行きたいか」を漠然に考えた時に本当に誰も浮かばなかった。そんなこと考えたことがないというのもあるけれど、自分には「誰かと行きたいところ」が無いんだなーと自分で自分に呆れた。
 今日バイト先の後輩と話していて、「インドア派かアウトドア派か」みたいなことを喋っていた。後輩はアウトドア寄りらしく、友人と遠くのラーメン屋まで出向いたりするらしい。せっかくなので後輩に聞いてみた。「それって、自分の行きたいところに一緒に来て貰ってるんですか?それともその友人と行きたいところとして思いついてるんですか?」って。そしたらその後輩は「“その友人と行きたいところ”として思いついてる」と言っていました。
 普通の人は、「誰かと行きたいところ」が浮かぶらしいです。"人"先行で、場所を考えられるらしいです。


 何もかも、自分にはないみたいです。何かが欠落してるみたいです。
 1人で行きたいな〜と思う場所は別にたくさんあります。映画行こっかなとか、本屋行こうかなとか、美術展行こうかなとか、それこそ「いい人すぎるよ展」行こうかなとか。でも、それを誰かと共有したいのかと言われたら僕は頷けません。「別に一人で成り立つのがわかっている」とニュートラルで思ってしまうのが心底邪魔である。

 「行きたいところとか全く浮かばないんですよね」と僕が言ったら、「別に一緒にいれたらどこでも良いんじゃないですか?行きたいと思うところ行けば」と返された。
 それは多分、「思い出が欲しいが先行している人」「手段と目的が逆の人」だなと自分は思う。

 他人に自分の趣味趣向を押し付けるなんてのは、自分にはできないなあと思う。
 それを臆さない日人がこの世にはうじゃうじゃいるのが、僕は信じられません。


 自分の人間性の中にないことをさせられるのが苦痛に感じるからこそ、それを自分がするわけにはいかないなと意地を張ってしまう。
 思い出が先行してるやつはクソだ!と言ってないと、劣等感に押しつぶされそうになる。


#364  思い出についての個人的な考察

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