信頼と信用

一部、性的な表現注意

noteやTwitterで、「他人のことを信用できない」というようなことを書いた記憶が結構ある。
よくよく単語の意味を調べてみたら、言いたかったことに近いのは「信用」ではなく「信頼」の方でした。

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他人のことが”信頼”できない。

たまに、元恋人のことをそれはもうボロクソに言っている人と出会うことがある。

その度に「人のこと信用できないな」と思わされる。

元恋人に対する価値下げは、その人と付き合っていたお前という人間のただの鏡写しでしかないと思う。
お前という人間の価値も一緒に下げていることに、早く気がつけよ。

「でも、付き合ってたんでしょ?」って聞いた時に「あの時の自分、どうかしてたわ」と平然と言えてしまうような人間の理解に苦しむ。

YouTubeもそう。
むやみやたらに視聴者から「女性から見た、男性への性の本音」(※逆も然り)や「こんな性癖の人いました」みたいな話を集めて動画にしてるYouTuberを見てると反吐が出る。
話を投稿している視聴者側の”エンタメにまで昇華できていない感”が最高に気色悪い。
星野源ANNの「夜の国性調査」くらいエンタメにしてくれないと到底受け入れられない。

性に関してバコバコなメンタルで生きていられる部類の人間がいることを否定する気はさらさらないですけど、そういう行為にはある程度の”信用”があって初めて成り立ってるもんだと俺は思います。
「こんな奴いたんすよ〜」と半ば晒しに近い状態で話されたり書かれたりする事例が、ネットに限らず仲間内の飲み会とかでも実際にあるわけなので、その可能性が0でないのであれば打席になんて立つつもりは毛頭ないです。



他人を”信用”するのも、バカバカしいなって思ってしまいます。
信頼なんてしないにこしたことがない。

こんな感情、絶対悟らせないですけどね。


#296  信頼と信用

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