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幸せのみつけかた

夫「おれ、五七五したことないんだよなぁ」
私「え、俳句したことないん?学校とかで」
夫「いや、俳句じゃなくて、ほら、子供の時にするやつ。何才と何才だっけ?」
私「まさか、七五三のこと?」
夫「そうそれ!で、何才と何才でするんだっけ?」
私「…。いやだから七と五と三…。」
夫「あ、そうか!」
私「まじか、、、」


という二段ボケ重ねという高度なテクニックを繰り出してきました。うちの夫はなかなかやりよります。
どうも、荷台の嫁かおりです。


そんなほっこりした毎日を送っておりますが、
先日ちょいと事件がありました。


お産のため里帰り中につき今わたしたちは実家で暮らしています。

ゆんゆん号には存在しないオーブンもあることなのでルンルンでパン作りをしているのですが、
わたしの不注意でコタツの中で発酵させていたパン生地を飼っている犬さんが食べてしまったのです。


焼く前のパン生地を犬が食べるのは大変危険で、
お腹の中で発酵が進みガスで胃腸がパンパンになる恐れがあったり、
発酵によりアルコールが発生し、犬はそれを分解できないので少量でも中毒を起こすことがあるのです。


そんなことも知らず、まぁ大丈夫だろうとのんきに過ごしていたら夜中から容態が急変し、
犬さんの呼吸が乱れ、足がフラつきまともに歩けなくなってしまいました。

その時になって、パン生地は危険だと言うことをネットで調べて初めて知りました。
時刻は夜中の1時。
夜間救急で対応してくれる病院をやっと見つけ出し、車を走らせました。

急な往診にも関わらず、素早く処置をしていただき、あとは自宅で朝まで様子を見てみましょうということで家に帰ってきました。


犬さんの様子が心配なのでその日はリビングで
夫とわたしと犬さんと一緒に寝ることに。
夜中に病院まで付き合ってきてくれた夫はとても眠かったでしょう。すぐに寝ました。
わたしは心配で眠れず朝まで様子をうかがいながら、犬さんのそばで横になっていました。


真夜中のしんと静まり返ったリビングの中、
夫の(激しめの)寝息が聞こえ、
犬さんの胸は小さくも規則的に上下しており、
わたしのお腹の中からはドンドコと胎動が。


「あ、みんな生きてる。よかった。」と
深く安堵しました。
後悔や不安、自責の気持ちでザワザワしていたわたしの心も、やっと静かに落ち着くことができました。


わたしの家族が生きている。
ただそれだけで、わたしはこんなに安心を感じられる。いま、わたしは幸せだ。


これまで生きてきて初めての感情でした。


「幸せ」を感じるとき。
それは様々な場面で起こります。
そして個人差もあります。


美味しいものを食べたときや
温泉に浸かっているとき
ふかふかのお布団で眠るとき
音楽を聴いているとき
相手も自分も笑顔でいるとき

わたしはこれまで、そんな時に幸せを感じてきました。
何かを外から得て、感じる幸せ。
ハッキリとわかりやすい幸せ。
手放してしまっても自分次第でまた得ることができる幸せ。


今回気づいた幸せは、もっとシンプルで根源的なもの。


生きている。ただそれだけ。


大切な家族が生きて今日という1日を終えられたことに感謝して
自分も眠りにつくということが、
当たり前のようで、とてつもなく尊く贅沢なことだと思いました。


これから母になり、自分の思い通りにいかなかったり、寝不足でイライラしてしまうこともあるかもしれません。

そんなときには、この日の夜に感じたことを思い出して
幸せそうに眠る家族を見守れる時間に感謝して、
夫のいびきは身体を荒く揺することなく、
やさしく頬を撫でて止めてあげようと心に誓いました。


(⇧その後無事回復し気持ちよさそうに日向ぼっこしている犬さん)


わたしたちの
生きる実験はつづく😪▷▷▷