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パンツを脱ぐ勇気

どうも、荷台の夫。しうんです。

いきなり変な質問ですが、
あなたにパンツを脱ぐ勇気はありますか?

ぼくはもうパンツを履かなくなって5年目に突入します。

嫁がパンツを脱いだ。

先日、嫁が…

「わたしね、しばらくパンツ履かないで過ごしてみようと思うの。パンツ履かない方が、もしかしたら子宮にいいんじゃないかなと思って実験してみようと思うの」

といってパンツを脱いだのです。

これで晴れてノーパン夫婦になった訳ですが、
ぼくは決して「パンツを脱ぎましょう!」とノーパン教を宣教したいわけではない。

ぼくが説きたいのは、世の中にはびこる常識にとらわれず、勇気を持って自分らしい生き方を生きていこうよというメッセージです。

ぼくはパンツを履かない方が気持ちよくて、調子いいし、毎日履き替えるパンツを洗わずに済むから洗濯物も楽だという体験からパンツを履かないことが自分にとってはすっかり常識になりました。というか逆になんでみんなパンツ履いてるの?と疑問を抱くほどです。

「えーパンツ履かないのなんて汚ーい」
「パンツ履かないのはおかしい」
「普通の人ならパンツを履くよ」

とかそういった世の中の常識は、
ぼくにとってはどーでもいいことなのです。
自分の体験を通して、自分にとってはパンツを履かない方が気持ちいいからただそうしているだけ。別に誰かに迷惑をかけてる訳ではないし、他人にどう思われようが、それはその人自身の考え方であって自分が傷つく必要もないのです。

世の中の常識なんていつか変わるもの。

昔は「地球は回っている」と地動説を説いたガリレオは、危なく処刑されそうになりますが「それでも地球は動いている」と真実を説き続け、今では誰もが地球は回っていると信じています(ぼくは太陽も回っていると思ってるけど)。

世の中の常識なんていつかは変わるもの。
そんな常識に振り回されずに、自分にとっての常識は、自分の頭で考え、実践してみて自分自身の体験から作り出すものだと思うのです。

自由とは、他者から嫌われる勇気を持つこと。

自由とは、
他者から嫌われる勇気を持つこと。

嫌われる可能性を怖れることなく、
前に進んでいく。
坂道を転げ落ちるように生きるのではなく、
眼前の坂を登っていく。

人は「自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」
人生とは誰かに与えられるものではなく、自らが選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分。

それが人間にとっての自由なのだ。

自分を信じる勇気を取り戻すのに、
嫌われる勇気「アドラー」の教え』という本を一読することをぜひおすすめします。

他者から嫌われることを恐れず、自分の真実のど真ん中を生きる。常識にとらわれず、誰よりも自分を信じて実験する、試してみることの大切さを下ネタではなく、大真面目に説いてみました。

荷台の嫁による続編『愛する勇気』はこちら

ノーパン夫婦の
生きる実験はつづく