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わたしたちのお産物語(出産編)

丸々と大きくなったお腹にハリを感じ始めたのは予定日の1日前。4月2日。

お腹の痛みはあるものの、元気いっぱい。食欲もバッチリ。
夕飯に大好きなアジフライを食べた。


夜は痛みで目が覚めてまともに寝られなかった。
今思えば、あの日から今日まで朝まで1度も起きずに寝た日はない。
とにかくなまけもので寝るのと食べるのが生きがいのわたし。
えらいぞ自分!と褒めておこう。


夜が明けて、予定日の4月3日。痛みの波がやってくると動けなくなるくらいになってきた。
診察してもらったが、まだまだ産まれる気配はない。


明日かなーなんて思いながら自宅で待機していた。
日をまたぐ頃、痛みで声が出るくらいになってきた。
波がくるたびにこぶしをぎゅっと握る。

寝ている夫に声をかけ、助産院に電話してもらい入院。

「今日の朝方産まれるのかなぁ」なんて
この期に及んでまだなめたことをいっている呑気な私に
いやいや21時間後に生まれるぜ!体力温存しとけよ!と教えてあげたい。


痛みはどんどん増していき、うめき声だったのが昼には叫び声になっていた。笑

むやみに叫ぶと体に力が入ってしまい、いざ産みますよ!ってときまでに体力が保たなくなるのと、赤ちゃんに酸素が届かず苦しくなるからゆっくり息を吐くようにとアドバイスを受ける。

しかしわたしの体はもうわたしのものではないような、意志の力ではコントロールできないところにきていて、体が勝手に叫ぼうとする。

痛いのが辛いことを嘆くために叫んでいるわけではなくて、むしろ叫ぶことで下半身に力を込めずに頭のてっぺんから痛みを逃がすようにして陣痛の波を乗り越えていた。

キャーーーー😵と甲高く叫び散らしていたので、周りの人はかなりうるさいだろうなと申し訳ない気持ちになって、波が去った後に「うるさくてすみません」と謝った。


その様子を察して助産師の先生は
「息がゆっくり吐けないなら叫んでもいいわよ。全然うるさくない。もっともーっと叫んでいいよ!」と言った。

この言葉がわたしにとってすごく嬉しく、その後まだまだ続くお産への力となった。


普通はこうあるべきという型にはめることなく、ありのままのわたしでいることを受け入れ、大きな器で支えてくれる圧倒的な安心感。

お産のときにお母さんが大切にされることで、生まれてきた子をお母さんが大切にできる。
という話を思い出していた。


初めてのことでどうしたらいいかわからない不安感、愛しい子にやっとあえるワクワク感、このまま自分の感じるままにやってみたいけど大丈夫かなってときに、ありのままで大丈夫よと受け止めてるれる安心感はとても心強い。

わたしも息子が生きていく上でこれから進む道に心細くなったときは、あなたなら大丈夫よと大きな安心感で後ろから支えたいと思った。


ずっと休みなく付き添ってくれている夫にときに噛みつきそうになる衝動を抑えながら(なんの本能?カマキリ的なこと?)
陣痛の波を乗り越え、お産が少しずつ進んでいく。

わたしは、産道が硬い体質らしく進むのがかなりゆっくりだった。
(後で分かるが、父方の祖母も同じ体質で毎回難産だったそう。
わたしは全体的に父方の家系寄りで体つきが祖母によく似ている。
なので母ゆずり安産体質ではないのは納得できる。
これ、産む前に気づいておきたかった。)


あと6回陣痛を乗り越えたら産まれるよ!という励ましから3倍くらいの回数の陣痛を乗り越えたころ、わたしの集中力と体力はかなり消耗し陣痛の間隔が長くなってきていた。

次の波がくるまで、わたしだけでなく夫や先生も気絶するかのようにぐったり休んでいた。
叫び声と励ましの声がパタッと止み、それぞれ壁にもたれたり、床に付せながら目を閉じる。なかなかシュールな風景。

お腹の中、いや、すでにお股の間くらいまでセリ出てきていた息子の心音はずっと力強く、長い時間狭いところで苦しめてしまっているんじゃないかと不安になるわたしを励ましてくれているようだった。

すっかり夜になり20時ごろ、
わたしの体力回復とお産を進めるために2度目のお風呂に浸かる。
立ち上がり服を脱ぐだけでガクガクだったのに、温かいお湯に浸かると不思議と痛みが軽くなり朦朧としていた意識がスッキリとする。

湯船に浸かりながらおにぎりを2つ食べて、ペラペラと夫との馴れ初めを助産師さんに喋った。
お風呂の回復力はすごい。

わたしがリラックスしたからか息子の頭が触れるくらいお産が進んだ。
初めて触った息子の頭。嬉しくて元気が湧いてきた。


お風呂から上がりお産のお布団へ戻り、いざ本番!(お湯から出た途端またガクガク。今度はお風呂の中で産みたいくらいだ)

お尻が爆発しそうなくらい、いきみたい感覚がやってきた。
力の限り踏ん張る。
何度か踏ん張ったが息子の頭が大きくてなかなか出てこない。
夫ゆずりの立派な頭である。

仰向けで上体を起こし夫に支えてもらう姿勢だったがイマイチしっくりせずいきみにくい。
これじゃ全力が出せないなぁと思っていると目線の先に天井から頑丈な紐がぶら下がっているのが見えた。きっと事前に準備してくれていたのだろう。さすがです。

「あれにつかまって産んでもいいですか」と申し出て、おもむろに膝立ちになる。

途中陣痛の波がきて四つん這いで叫びながら
夫にもわたしの正面で膝立ちになってもらうように指示をだす。

左手は夫に、右手は天井からぶら下がっている紐につかまったところで準備が整った!
先生はわたしの膝の間にもぐりこみ、お股が裂けないように必死にクリームをぬり温めてくれている。(しんどい姿勢させてすみません!)

むむ!重力がいい感じに加勢してくれていきみやすい!
次の波で産まれる!来るぞ!と直感的にわかった。
これまでの痛みとは違った痛み。
むしろ痛みじゃない。痛みの向こう側にわたしは居た。
どりゃーーーーああああ!と体全体で押し出す感じ。
自分の中の火山が噴火するようだった。
脳がスパークして何かしらが分泌されたのだと思う。


そんなスペクタクルな感覚もありながら、しがみついている夫の服の襟元が臭いなー最後に洗ったのいつ?って冷静に思っていたことも覚えている。
あの二極の状態はなんだったのだ。


実際いきんでいる時間は数秒だったけど、その中でわたしはいろんなことを感じていた。


「生まれたよーっ!」


助産師さんの声でハッと我に返り、
夫と一緒に床に目を向けると
立て膝の間に丸まった我が子がうごうごしていた。
一瞬だけ産声をあげた。
きれいなピンク色だった。
無意識に手足の指の数を確認した。
お股をみて「男の子だ!」と言った。

息子を見た瞬間の夫の嬉しそうな表情は今でも忘れられない。
本人は興奮状態だったからかその時の記憶がないらしいが、彼は目をキラキラさせて喜んでいた。

わたしは無事に産めた安堵感が強かった。


長時間の分娩でわたしの出血が多かったのと、
力尽くでいきみすぎたことによって裂けたお股の処理のため、すぐに横になった。
(ちなみに助産院は病院ではないので縫う処置はせずクリップで留めます。縫う痛さも抜糸の恐怖もなく、数日でキレイに引っ付くよ)

そして生まれたての息子がわたしの胸元に運ばれてきた。
泣くこともなく落ち着いていて、
目を大きく開いていまわりの様子を伺っているようだった。

タオルで軽く拭いてもらっただけの生まれたての肌は信じられないくらいウルウルすべすべでいい匂いがした。



ただそこにいるだけで愛しさが大爆発する。
存在そのものが神々しい。
命ってそういうものなのか。。。

彼を福生と名付けたその意味をひしひしと実感した。


「人はみな、生まれながらに福である」
我ながらいい名前。
名付けたのは夫とわたしだけど、それを実感させてくれたのは息子本人だ。
教えてくれてありがとう。


こうやってしうんは父に、わたしは母になった。


わたしは幼い頃からどこか捻くれていて、
生きてることが退屈だと思っていた時期もあったけど
今は毎日が色鮮やかで、生きてるー!と感じるようになった。

こんな日がくるなんてとふと何でもないタイミングで感動することもある。

生きててよかったと、心から想う。


生きる実験は続く!