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英語を話す勇気が出ない人達へ送るnote

*このnoteは、件名の通り、本当は英語を話したくて話したくて仕方ないけど、その最初の一歩が踏み出せない人向けに書いています。


僕には、今年4歳になる甥っ子がいますが、2年前に会った時は、「バーバー、マーマー、ニーニー」みたいな超単純な可愛い日本語しか話していなかったのに、こないだ会ったら、「おまえは、バカかぁ!」とたくさん言われました。
(妹よ、お兄ちゃんはその子の将来が少し不安だよ)


いきなり何が言いたいかと言うと、飲み込みが物凄い早い子供ですら、数年かけて意味不明の言葉の塊から、ちゃんと文章にしていくと言う事です。



あなたは、英語を話すチャンスが来た時に、ついつい、I can't speak Englishと言ってしまっていませんか?

もし、そのセリフを言っていないとしたら、大丈夫です。あなたは、既に英語を話す準備が出来ています。

もし、仮に言ってしまっているとしたら、四歳児が「僕は日本語が話せません」って言っているのを想像してみて下さい。




いや、話してるじゃん!!!!!!!


って思いますよね。

そもそも、I can't speak English自体が英語です。

では、何故多くの人がI can't speak Englishと咄嗟に言ってしまうのでしょうか?



僕なりのシンプルな答えは、「恥をかきたくないから」です。

・発音が悪くて聞き取ってもらえなかったらどうしよう?

・文法が間違っていたらどうしよう?

・途中で言葉に詰まったらどうしよう?


考え出せばキリがない位、次から次へと、I can't speak Englishって言っちゃいたくなる理由が出てくる筈です。

が、それは全てあなたがあなた自身で作り出している檻のようなものです。

あなたが、まだ英語を勉強中で、あなたが思い描いている通りに話せないこと位、周りの人はあなたが一言話したら、一瞬で分かります。

かと言って、それを本気で馬鹿にするような事は決してありません。皆、暖かく見守ってくれるし、あなたの為にゆっくり丁寧に話してくれる事でしょう。

何故なら、そこにいる全ての人達も通ってきた道だからです。


英語ネイティブの人達も、最初は、「Papa, Mama」しか言えない所から始まりました。

間違える度に、両親や先生に教わりながら、数年かけて少しずつ少しずつ話せるようになって来ました。
僕たちが日本語を覚えてきたのと同じように。


仮にあなたが、日本で外国人と会って、その人が一生懸命片言の日本語であなたと会話をしようとしていた場合、あなたはそれをカッコ悪いと思いますか? 馬鹿にしたいと思いますか?
もし、思う場合は、多分あなたは疲れ過ぎているので、読むのをやめてすぐに休息を摂って下さい。そして、回復したらきっと自分で作っている檻も大分壊れやすくなっている筈です。


ここ最近は、牛丼屋さんやコンビニで外国人スタッフを見かけるのが当たり前になってきましたよね。

彼らの中にも、I can't speak Japaneseと言いたくなる気持ちをグッと堪えて、最初の一歩を踏み出した人が多くいると思います。

ピークタイムに急いでいるお客様に怒られる事も多い職種だと思いますが、それでも片言の日本語で、異国の地で働いています。





比べる訳ではないですが、日本人として日本にいながら、日本に来ている外国人に対して英語で話すことって、確かに勇気は入りますが、逆に勇気があれば簡単に出来ます。

まず、相手はあなたが英語を上手に話すことをそこまで求めていませんし、期待もしていません。Hello, nice to meet you! をスムーズに言っただけで、喜んで話し相手になってくれる可能性大です。

僕自身、New Yorkにいた時は、路上の屋台の店員さんに片言で、「オレハ、ムカシ、トウキョウニ、スンダ」と話しかけられただけで、急に仲の良い友達になった気がしました。



次、外国人と会った時は是非勇気を出して、Hi, I'm ○○○. Nice to meet you! と、とびっきりの笑顔で言ってみて下さい。相手もニコッと感じ良く返してくれることでしょう。





さぁ、大きな一歩を今日踏み出しましょう!




【プロフィール】
・小田倉 晃 / Hikaru Odakura
・1985年11月30日生まれ、34歳
・茨城県水戸市出身 → つくば → ニューヨーク → 赤坂(← 今ここ)
・中学校で生徒会長を務めたお陰で推薦で全寮制の日立工業専修学校に入学するも学習の意義を見出せず3ヶ月で中退、親友の家に居候させてもらいながらイタリアンレストランで働きつつお金を貯めて16歳から一人暮らし、1箇所に留まるのが苦手な為、通算10回以上引越ししている引越しのプロ
・20歳で茨城県つくば市にある珈琲哲学つくば大穂店の店長になり閉店ギリギリの状態から5年間かけて月商を倍にし、最優秀社員賞を2年連続で受賞
・今でも尊敬している最初の上司に「10年やってから文句言え」と言われた為、10年同じ飲食店で働いた後、26歳の時にキャリアチェンジを決意。英語力0、人生で初のフライトでニューヨークに渡米し、日系で唯一のシェアハウス運営会社CrossOverのマネージャーとして全業務を担当する
・英語のもつ無限の可能性と美しさに魅了され、取り憑かれたように英語を学習しTOEIC990点を日本帰国後一発で取得(通算では3回目の受験)
・日本帰国後は英語コーチング会社のPROGRITの六本木校舎で主に大企業の役員の方を対象のコーチングを行いながらも、CrossOverのSVPとして海外メンバーとのオンラインミーティングのファシリテーターや日本での代理店営業を行う

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