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オンライン片付け 2024.3.24

今日は、オンライン片付けのお勉強会がありました。
お片付けとは、モノを動かしただけでは本当には片付きません。
自分の思考の片付けが必要です。
モノを動かしただけ、一度捨てただけではまたリバウンドしてしまうのです。
自分なりの片付け方、自分なりの生き方、というものを見据える必要があるのです。
オンライン片付けの勉強会では、片付けの方法だけを教えてくれるわけではありません。ひたすらに自分と向き合うこと、どんな自分になりたいのか、どんな生活を自分はしたいのか、それを気づくにはどうしたらいいのか。片付けの時間をどう作るのか、を勉強します。
そして自分なりの片付け方、世間一般で「こういう部屋が片付いている部屋」と言われている状態を目指すのではなくて、自分だけの片付け方、自分の生き方にあった部屋作りを自分で決めていきます。

自分だけの片付け方を見つけなければならないので、勉強をした後に自分を見つけるワーク講座をするのですが、一気に落ち込んでしまいました(笑)。落ち込む必要は全くないのに。
何に落ち込んだのかと言いますと、私って自分で決断しないで、なんとなく流されてきた人生を送ってきたのだということに気づいた、ということなのです。
何となく高校に行き、働くのが怖いから、奨学金をもらい、昼間はバイトをして働くということを試しながら、定時制の大学に通いました。心理学や発達学など、人間に関することをそれなりに勉強しましたが、卒業後は何となく地元の病院へ就職し、接遇や事務作業、安全管理、医療の仕組みなどを勉強しながら30年以上も働いています。30年以上もそこに居続けていますが、別のところに行くのが怖かったからずっと我慢していただけです。ずっと働いていてすごいねと言われますが、私とすると事なかれ主義だったに過ぎない、という気がしています。
それでも長いこと働いてきて、決断すること、責任を負うこと、困難に対応することなど、経験を積んできたつもりでいましたが、それはあくまで組織の一人という観点ばかりで、私個人が決断をし、私一人が責任を負うということとは全く違うのだということに気づいたのです。

私は往生際が悪いです。
3人の娘がいますが、出産の時、分娩台の上で「今日はもう産むのやめた〜。帰る〜」と痛みに耐えかねて叫ぶほどに往生際が悪いです。
根性も意気地もありません。
知ってはいましたが、これほどか〜と自分のことを書き出していたら落ち込んできてしまったのでした。

zoomで講座を受けていたのですが、同室に娘たちも一緒にいて、私のやりとりを聞いていました。講座の後、落ち込んでいる私をみて、娘たちが、「おかんはどうして、今更のことで落ち込んでいるのかわからない。そんなこと、あなた以外はみんな知っていたよ」という感想を述べました。

自分のことって本当に見えてない。

趣味でやっている太極拳もそうです。
私は指導もしているのですが、生徒さんの中には、要求と違うことをしているのを指摘してなおそうとすると「私はちゃんとやっています!」と反発する方がいます。そういう方に、私は何も言わないようにしています。受け取る準備がないと、何を言っても受け取ってはもらえません。それは発達障害と言われた娘たちが私に教えてくれました。親が色々与えても、受け取る準備が出来ていなかったら、与えられた側からすると無いものと同じなのです。むしろ邪魔になります。
受け取ってもらえるタイミングがあるのです。
私の母はそのタイミングがいつ来るかわからないのだから、常に与え続けるというスタンスでしたが、私はそんな面倒なことはしません(笑)。一度は言いますが、そこで反発されたら、相手の方から言ってくるまで待ってしまいます。
それが良いことなのかはよくわかりませんが。

自分を俯瞰してみる。ということをよく勧められるし、大事だなと思いますが、自分一人でそれをやるよりは他人から見てもらうほうが簡単です。まぁ見てもらう相手は選んだほうがいいのかもしれませんが(笑)。
今日の私は、娘たちに大分助けられました。

ああ、本当に片付けって奥が深い・・・・。

講座の後は、押入れの一角を片付けました。
結局、全部ゴミになりました。
燃えないごみと燃えるゴミなどを仕分ける作業がちょっと大変でした。

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