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梅はこぼれて桜散る、牡丹くずれて菊は舞う…では人のおわりは何という




梅こぼれて 桜散る 
牡丹くずれて 菊舞う  
椿落ちて 朝顔しぼむ 
紫陽花しおれて 李はだれる 
雪柳吹雪いて 花のおわり

人これ如何 なんと云う  
人生という花のおわりを



日本語には花のおわりの表現が色々あります。
「桜」が「散る」なんてのはよく聞く言葉ですが、似たような「梅」は「こぼれる」、「李(すもも)」は「はだれる」。
「菊」の花なら白や黄色の花びらが、饐(す)えた甘い香りと共に宙に「舞う」。より細かい花である「雪柳」は風にそよいで美しく「吹雪(ふぶ)く」。より花弁の重たい「牡丹」ははらはらと「崩れる」。実は花弁一枚一枚と雄しべが全てつながっている「椿」は、花が丸ごと地に「落ちる」。花が柄に残る朝顔は先端の窄んだラッパの如く「萎(しぼ)み」、同じく花が柄に残る「紫陽花」は、残ったまま「萎(しお)れて」枯れて乾いていく。………

花のひとつひとつを改めて観察してみると、その生態や特質は実に様々です。かぐわしい香りを漂わせながら、精彩な緑に映えて見事に咲きぶり、やがて儚くも、あたかも老人の佇まいのように色褪せて、水分は失われ、張りもなく縮み衰えて、みずみずしさを失ってゆきます。
日本の先人たちは一々(ちいち)の花をよく観ていました。よく観て愛でて、その花のおわりには、それぞれに相応しい言葉を添えて愛惜してきたのです。そして花を分かれ目までいとおしむ心は、日本語という言語の持つ豊かさとして今に遺されています。

さて、また同様に、日本語には人の亡くなっていく様を言い表す言葉もたくさんあります。「隠れる」「命終する」「こと切れる」、「旅立つ」「天に召す」「鬼籍に入る」、「タバコを買いに行く」なんてのもあります。
熟語なら「永眠」「他界」「臨終」「逝去」「卒去」「登仙」等もあるし、仏教の教えに基づいた言い方として、「往生」「成仏」「入滅」、「帰寂」「帰浄」「還浄」といったのも聞いたことがあるでしょう。
「帰浄」「還浄」はどちらも「浄土にかえる」という意味で、真宗でよく用いる表現です。

そんな中で、私が大切に思う表現があります。それは「息を引き取る」という表現です。


ちょっと、自分の祖父の話をします。

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