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推しに恋愛感情はアリかナシか?/エッセイ

   "好き" と一言でいってもその意味するところは幅広い。単なる比較結果としての好みの話なのか、はたまた三度の飯より愛しているレベルなのか。

   LGBTQへの理解が少しは深まった昨今では、推しへの恋愛感情を異性同性で語るわけにもいくまい。また、二次元三次元で別けるのも無粋だ。けれども、推しを決めるときの導入としてはじめに恋愛感情、もっと突っ込めばエッチの対象として最上かどうかで判断する人たちが少なからずいる。

   無論その動機自体は人間の、生き物としての本能に近いものであり否定すべきではない。いやむしろ生きることの大きな原動力のひとつである。現代社会で剥き出しにできる本能ではないが、消し去っていいものでもない。

   しかし、受ける側(推される側)にとって、シンプルな「好み」の範疇から大きく逸脱した「深い恋愛感情」を伴うファン活動は、大きな消費行動が期待できる反面様々な問題もはらんでいる。「恋愛感情」であるがゆえに、その裏に潜んでいるのは独占欲であったり、嫉妬であったりと様々な愛憎の念である。また、その期間が長いと本人の人生の形にも大きく影響を及ぼす。

   ひとたびその「恋愛感情」が、裏切られたと感じる事態(多くは一方的な言い分だったりする)になれば、愛憎の念と活動時間と活動費は、掛け算となって跳ね返ってくる。時には法を犯すレベルにまでヒートアップする。このような結果をみると推しに「深い恋愛感情」を持つのは控えるべきなのかな?とも思える。

   昔から「熱狂的なファン」はいて、いつの時代にもそうでない人々から距離を置かれた存在だった。色恋まで昇華したその感情に対して、「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて~」という言葉の通り他人がとやかく言う話ではないが、できれば、愛憎の矛先は他人に迷惑がかからないものにして欲しいと願うばかりだ。

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