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本好きに「いい人」はいない、古着好きに「わるい人」はいない、カスハラ撲滅委員会あるいは俺の尻をなめろプロジェクトⅨ、メスカリンの秋、

五月五日

要するに、人間にとって、家族は現実的保護のためにも人格形成のためにも精神的安定のためにも必要不可欠である。しかし、人間の家庭は、動物の家族が動物に適しているようには人間に適してはおらず、不自然なつくりものであるから、あちこちに無理があり、ともすれば崩壊するのは避けがたい。人間にとって、家族は、束縛であり、圧迫である。かいつまんで言えば、家族は、なければ困るし、あれば邪魔になるという厄介な代物なのである。家族は、自我を支えると同時に自我を押し潰す。

岸田秀『古希の雑考』(文春文庫)

午後十二時十七分。紅茶、コープヌードル白ごま担々麺。与沢翼と小池百合子が「鉄拳3」で対戦している夢をみる。寝不足を取り返すように寝たので離床後湯を沸かしたり着替えたりしてパソコンを開けばもうこんな時間だ。午前中には書き始めないとやはり自罰的気分になる。ほんらい自分は命じられたことを淡々としかも完璧にこなすのが好きな人間で、怠ける才能などこれっぽちもない。以前こんなことを友人に言ったら笑われた。きょうはガキの日らしい。彼彼女らがこれから経験する膨大な苦痛の量を思うと頭痛と吐き気がする。黙祷。夏日だった昨日は午後一時半から高尾台のセカンドストリートまで歩いて行った。往復三時間以上。まだ連休セール中で三一〇〇円ほどでジーンズやTシャツを七点も買えた。

450円、たしか、

もうとうぶん衣料品は買わなくてもいい。図書館に日々気分よく通うためにはきょくりょく身を「小奇麗」にすることが必要だ。「あのいつもダサくて汚い服を着ている人」というふうに認識されることを俺の自己愛は許さない。他人の「まなざし」に人一倍敏感だから。スキニージーンズのウエストがややきついのでいま穿いて伸ばしている。いいタンクトップもあれば欲しかったけどなかった。まあタンクトップなんて古着屋で買うものじゃないけど。汗の吸収量も半端なさそうだから。俺はむかしからタンクトップが好きで、とくにタイト(tight)なものだと、着ているだけで自己陶酔してしまう。「セクシーで強い男」になった気持ちがするからかも。街中でタンクトップ一枚の男を見かけるたび、「あの人はいまごろセクシーで強い男になった気持ちでいるんだろうな」と思う。大学生だろうがオッサンだろうが「男らしさ」という観念には等しく発情できるから。そういえば白いタンクトップのことを指す英語スラングにワイフビーター(wife-beater)というのがある。「妻を殴る男」。怒るとすぐに暴力をふるう底辺のダメ男が着てそうだから、という「偏見」に由来しているらしい。マッチョ化した長渕剛がよく白タンを着ている。俺も持っている。「コロナ禍」の特別定額給付金で買ったアヴィレックスのやつで、とても丈夫なので気に入ってはいるが、これ一枚で外に出ると裸の大将と間違われそうなので、うえには必ず開襟シャツなどを着る。個人的には白タン一枚で外を歩いても許せるのは二五歳くらいまでの長身男子だけで、それ以外の白タン一枚は軽犯罪法で取り締まるべきだと思う。きょうはこのあと図書館にでも行くか。このごろ眼精疲労を言い訳に読むことを怠っている。このままだともっと馬鹿になりそう。ボケモンごー。YMOパーツ。

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