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第84話 藤かんな東京日記⑧〜男女の相性は嗅ぎ分けられる〜

美乃すずめは優れた嗅覚の持ち主

 2024年2月18日の夜。麻布十番のバーの個室にて。
「私、相手の体調、匂いでわかるで」
 美乃すずめさんが突然言った。彼女は鼻がいいらしく、人の体調の良し悪しが匂いで分かるそうだ。
「裸の匂い嗅いだら一発で分かるで」
「分かった時どうするんです?」
「そっと手コキしながら『ねえ、無理してない?』って優しく聞く」
 彼女はソファーに座っている私を相手の男性と見立てて、目の前に腰を下ろした。私に股を開かせ、股間の上で手を上下にゆっくり動かす。上目遣いの綺麗な顔がこちらを見ている。
「それかこうやって添い寝しながら言うかな」
 次は私の横に座って、私をソファーに押し倒してくる。
 すすす、すずめさん、なんでも言うこと聞きますっ。

 体調と匂いの話を聞いて、私は会社員時代のある出来事を思い出していた。
 ある日、普段一緒に仕事をする50歳くらいの上司から、いつもと違う体臭がした。10代の青年の部屋のような匂いだった。
「今日少し体調悪いですか?」
 そう聞くと、彼は手を止めて私を見た。
「なんでわかったの。昨日から花粉症が始まっちゃって、少し今日しんどいんだよね」
 すずめさんの話を聞いて改めて、体調と体臭は関係しているのかもしれないと思った。

体臭が匂う彼と付き合ってみた

 大学生の頃、同級生4、5名で体臭の議論をしたことがある。「男女の相性は体臭で分かる」という話だ。
 もし相手の男、もしくは女から、不快に感じる体臭を嗅ぎ取ったら、その人とは付き合わない方がいい。人間は腐った食べ物を匂いで判断できるように、自分と相性の悪い人間を匂いで判断できる。
 体臭に濃いや薄いない。みんなに等しく体臭はある。体臭が濃く感じる相手とは相性が良くないだけなのだ。
 ならば、科学的に男女の相性を判定できるのはなかろうか。不快に感じる体臭物質の種類と、自分の鼻の受容体の型を調べれば・・・・・・などと、そんな話を2時間くらいしていた。

 そういえば体臭がきつい人と付き合ったことあったな・・・・・・。
 私は20代前半に付き合っていた彼氏のことを思い出した。
 彼は関東出身の1つ年下の医学生だった。本が好きだというきっかけで仲良くなり、出会って1ヶ月もすると彼から「付き合いませんか?」と言われた。
 彼は少し体臭が気になる人だった。しかし『本好きだし、医者の卵だし、いいか』と打算的な考えで付き合い始めた。

 付き合い始めて1ヶ月たったころ、初めて彼の家に遊びにいった。七月の暑い日だった。
 夜、一緒に風呂に入ることになった。そこで『彼とは本当に相性がよくないかもしれない』と思わせる決定的なものを見る。
 彼は体を洗わなかった。
 バスルームにはボディソープも石鹸も、体を擦るものもない。さらにはシャンプーやトリートメントもなかった。彼は驚く私を気にもせず、シャワーを浴びている。
「あの、さ。石鹸とか、ある?」
 彼は湯船に浸かって、ぼーっとこちらを見ている。湯船の水面にはうっすらと油膜の波紋が光っていた。
「ないだ。石鹸使うと肌がつっぱるから嫌なんだよね」
 嫌なんだよねって・・・・・・。そういう問題ちゃうやろ。
 仕方がないので、私は髪も体も洗うのは諦め、強めのシャワーを浴び続けた。「お湯浸からないの?」と彼が聞いてくる。湯船には小さな白いカスがいくつか浮いている。とても浸かる気にはなれない。
「早くお風呂あがって、いこ」と、暗にベッドに誘う返事をした。「じゃあ先に上がってるね」と彼は笑ってバスルームから出ていった。
 彼の体臭は洗ってないのが原因やったんか。もはや相性云々より以前の問題やん・・・・・・。
 今から彼とセックスすることが憂鬱になった。冬ならまだしも、夏の洗ってない体はキツい。万事休す。絶体絶命や!
 浴室を出て、乾いたタオルで体をゴシゴシ拭きながら、もう逃げられないことを覚悟した。

 彼の体はやはり匂った。洗っていない事実がわかると、体臭がさらにきつく感じられた。特に苦しかったのがフェラだ。鼻先に酸っぱい匂いのする黒い茂みが迫る。汗をかいた脇、いや、生乾きの雑巾の匂いだった。
 雑菌が繁殖してるんやな・・・・・・。
 息を止めながら、機械的に頭を前後させ続けた。

 夜更け、シングルベットの上で私たちは横になっていた。彼は満足そうな顔をして寝ている。私は天井を見続け、ただ扇風機の音を聞いていた。一向に眠気はやってこない。なぜなら、彼の体臭が鼻について仕方がなかったからだ。この夜はこれまでで一番匂った。
 もしかしたら、この人、体調悪いんかな・・・・・・。
 そんなことを考えながら、軽くいびきをかいている彼の横顔を見た。
 彼の体臭の原因は、おそらく体を洗わないせいだろう。しかし体を洗わない人を嫌だと思うのは、私の性格であり、この性格は彼と相性が悪いのだろう。つまり、男女の相性は体臭で分かるというのは正しかった。
 その夜は結局一睡もできないまま朝を迎えた。

ほとんどの人は自分の才能に気付いていない

 彼とは2ヶ月を待たずして別れた。あの夜以降、セックスをすることはなかったし、家に遊びに行くこともなかった。別れを告げた時、彼はひどく動揺していた。
「何がダメだったの?」
「何もダメちゃうよ。急に距離詰めすぎたから、疲れてもた」
 そんな理由で納得しない彼は、その後何度もラインや電話をくれたが、返すことはしなかった。「体洗った方がええで」と言うこともしなかった。ただ相性が悪かっただけなのだから。

 そんな彼からの言葉で、とても印象に残っているもの一つがある。
 まだ付き合いたての頃。私が、自分は将来どんなことがしたいのか、まだ悩んでるという話をしたのだ。すると彼は言った。
「人ってみんな何かしらの才能があると思うんだよね。でもその才能を発揮するきっかけに出会えずにいる。僕には勉強の才能があって、勉強は大半の人間が通る道だったから、たまたま才能を発揮できた。かんなちゃんはきっとすごい才能を持ってるんだけど、まだきっかけに出会えていない感じだね」
 これと似たことをエイトマン社長も言っていた。
「みんなに等しく才能はあるねん。でも大半が自分の才能に気づけず死んでいく。よかったね。文章が書けるって分かって」
 文章を書くことが本当に私の才能ならば、これはAV女優にならなければ、エイトマンを選ばなければ気付けなかった才能だ。さらには体臭がきつい彼と付き合わなければ、すずめさんの優れた嗅覚の話も書けなかった。
 全ては繋がっている。ここに導いてくれた全てに感謝である。

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