頑張れ!石川県!!

忘れもしない

令和6年能登半島地震

1月1日
16︰04 前震
16︰10 本震

我が家は、パパと小5の娘とあたしの3人家族。

数年ぶりに初詣は気多大社へ行こうってことになった。
元旦のお昼に義実家で新年の挨拶を済ませて夕方にかけてのと里山海道を走り、羽咋市にある気多大社へ…

駐車場は海の目の前。
早速、車から降りたときだった。
みんなのスマホから緊急地震速報の音が鳴り響く。
慌てて画面を見ると『大きな揺れがくる』と…
その数秒後、揺れた。
体感的に震度5強。

パパとどうするか話し合うととりあえず急いで参拝をしようってことになり、歩き出した。

すると少し歩いたときにまた緊急地震速報が鳴った。

まただ!

って思って足に力を入れて立っていると揺れ始めた。

が!

最初の揺れより遥かに強い揺れだった。
パパと2人で娘を抱きしめて3人くっついて踏ん張るけど、揺れが凄すぎてまともに立っていられない。

パパは周りに家があるため、瓦などが落ちてこないか見ていてあたしは娘を見ていると娘が当然『地面割れてきた!』と言い出した。

地面を見ると立ってるすぐ側の地面が割れていた。
もうパニックになっていると今度は立ってる横の家の壁が倒れた。

パパが必死に娘とあたしを引っ張って離れさせて揺れに耐える。

数十秒くらい耐えてやっと揺れがおさまり、もう帰ろう!ってことになった。

車に戻ろうと歩き出すと今度は大津波警報のサイレンが鳴り響く。

目の前は海…

死を覚悟した。

逃げるように動き出す車たちを見てあたしたちも車で逃げる選択をする。

土地勘がないからとりあえず前の車に着いて走ることにしたけれど、みんな考えることは同じなようですごい渋滞になっていた。

テレビをつけると津波予想が5メートル。
本当にすぐ津波きたらみんな飲み込まれる…

ほんとにもうダメかも…

弱気になりながらもパパに言われた通り運転をして走り続ける。

とにかく海から離れなきゃ!

スマホでマップを見ながらパパが指示をしてくれるからとにかくがむしゃらに車を走らせた。

逃げ道は震源地に向かう方向か海に向かう方向のどちらかしかなかった。

何度かUターンして震源地か海の方向か悩んだ結果、震源地へ向かうことに…

途中、地割れや家屋倒壊、電線垂れていたりと恐怖がMAX状態だったけど、とりあえず海から離れて人が集まっているコンビニに入った。

流石にコンビニも閉店していたけど駐車場にはたくさんの人がいて少し気持ちが落ち着いたから実家に連絡を入れた。

今いる場所を言い、母と父が安全な道を探してくれてのと里山海道ができる前まで使っていた旧道がまだあることを思い出してその道を使って帰ることにした。

無事に帰れるかわからないけど、とりあえず家に近づかないと。と思って車を走り出すと、すでにその道は渋滞になっていた。

みんなここしかないと思ってきたんだろうな…と思いながらも車を進めた。

外からはずっと大津波警報のサイレンと放送がなり続け、パトカー、消防車、救急車が反対車線を走って行く。

不安はずっとなくならず手が冷たくて汗がすごかった。

パパも怖いはずなのに娘とあたしを必死に励ましてくれた。

地震があってから4時間以上かかったけどなんとか家に帰ることができた。

津波の怖さは東日本大地震をテレビでずっと観ていたからわかっているつもり。

ほんとに『死んだな…娘まだ11年しか生きてなかったのに…あたしの判断ミスだ。気多大社に行こうなんて言わなければ…』とずっと後悔していた。

不謹慎な言い方だけどある意味、地震の怖さを知らない娘にはいい体験だと思った。

家に帰ってテレビをつけ状況を見るけど暗くてわからず、翌朝テレビをつけて絶句した。

震度7

震源地は志賀町

気多大社は志賀町寄りだったからきっとあの揺れは震度7だろう。

1日も早い復興を祈りたい。
能登はよく遊びに行っていたところだから…

頑張れ!被災地!!

今回の地震、すごく幅広かったらしい。

加賀にも津波警報が出ていたし、他の県でも大きな被害が出ていた。

富山のおじさんのとこも安否確認の連絡を入れたけど、物が落ちてきただけでみんな怪我はないと言っていたので安心した。

テレビではあまり報道しないけど、輪島で津波があってすごいことになっていた。

報道しないのは、東日本大地震のフラッシュバックとか言ってるけど、被害に遭ってる人もいるからしっかり報道はしてほしいと思う。


最後に、今まで生きてきた中で1番思いをした日だった。

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