「畑村式「わかる」技術」備忘録

「わかる」ということばの意味をご存知でしょうか。
以前、「分」の漢字で綴るように、知っていることとそうでないことを分けることと伺ったことがございます。そうであるならば「知る」とは何でございましょう。
今回は「畑村式「わかる」技術」を拝読しての忘備録でございます。

世のなかのものをよくご覧になって、要素、構造(機能)として捉え直してなって、ご自身の頭の中のテンプレート(型紙)と比較して一致していることがお見つけになられたとき、もしくは新しいテンプレートをお作りになられた時が「わかる」とのこと。テンプレートは認知心理学のスキーマのようなものでございましょうか。
そして再現しようと仮にお作りになられたモデルに何かしらの刺激をお与えになって、その結果お生まれになった現象を手掛かりにお直しされていかれるようです。

学校教育がお分かりになりやすいかと存じますが、日本では大事な知識の骨組みだけをそのまま覚えることが大切とされておりました。背景や身近な例がおざなりでございましたので、勉強をお嫌いになったり、わずかに違うことにもお生かしになることが難しゅうございます。

直観でご理解されるのが望ましいのですが、そのためには過去に徹底的にそのことについてお考えになり、演習をして答え合わせをされる経験がお要りなるようです。この飛躍思考でないと、逐次お調べにならなくて。何も根拠がなく直感をお使いになられる方は偽ベテランでございますの。

「わかりやすさ」をお求めになられるために、、それまでにお持ちになった考えを、そのまま形式的に目の前の事象に当てはめようとされる時に落とし穴がございます。狭い部分でしか成り立たない論理をあたかも全体で成り立つようにお話になられます。
条件によってご様子が変わられるはずなのにそれを誤魔化される詭弁の論理もお気に留めてくださいませ。
形式論理は公理でございませんので「あなたさまのおっしゃることが成り立つ範囲はどこからどこまででございますの?」「あなたさまのおっしゃる前提条件は何ですの?」とご確認くださいませ。
占い師の方も同じやり方をお使いになられますが、踏ん切りをお付けになったり、元気におなりなるためにはよろしいことかと。

受験産業がお盛んなためか丸暗記されることが多いのですが、課題設定から始めてご創造されることが日本にはたいせつでございます。

前もって身につけておかれた方がよろしいこともございます。数と親しまれること。ご自身の行いやお身体や身の周りにございますものをよくご覧になって数として把握されること。日頃の生活のなかで数量の裏付けとなる体感を覚えておかれて。
それらをもとに「わからない」ことがございましても、お調べになるのではなく、お持ちの経験や知識で新しい知見をお生みになること。フェルミ推定のようなものでございましょうか。

仮設立証されたり、法則をお見つけになったり、課題をお決めになる稽古をあそばせ。

面白いお話をされる方は、お話が立体的でございます。お話の種同士の関連を意識されているの。
お聞きになる方をご覧になって、お求めになることをその形でお与えになるの。

聞き上手な方は、お話される方を導いて、お話を構造化するお手伝いをされております。お話される方は「わかってもらえた」というより、「自分の話していることが自分でわかるようになった」とすっきりされるのでございます。
深読みされることで、お話される方も深まることもございます。

絵と文章で補完的に説明されるのがよろしいです。

現地、現物、現人とご自身で実際に、何かしらの目的意識をお持ちになって、何かをお感じたりなったり、主体的にお考えになることが大事でございます。
直にご覧になられている部分だけに注目されるのではなく、関連するものとの繋がりでご覧になる見方と、結果から原因を探る逆演算の思考が観察の要でございます。

おわかりになられたことを確かなものとされるために、記録を残されること。対象を要素や構造に分けて覚えてくださいませ。「頭の中できちんとつくりあげていないものは表出してはいけない」とお考えになるのは間違いでございます。もやもやした状態でも一度お出しになって。

創造とは日々の実際の活動の中からしかお生まれになりませんの。

「正解だからわかるべき」でなく、ご自身の頭でお考えになることはたいせつでございます。


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