ゼロ戦は堀越二郎だけではありません。

 ゼロ戦の設計者は堀越二郎で、彼は名設計者であることは間違いありません。しかし、ゼロ戦が名機であった功績は堀越二郎の功績だけではありません。一般的に飛行機の性能は機体の設計だけで決まるものではありません。空気抵抗が少なく出力の高いエンジンがあってこそはじめて機体の設計ができるわけで優秀なエンジンなくしては名機は誕生しないのです。
 例えば、イギリスのスピットファイア、アメリカのムスタングはともに最高のエンジンと言われたマリーンを使用しています。スピットファイヤーの設計者は名設計者と言われたミッチェルですが、ムスタングはそれほど知られた設計者ではありません。また、ドイツのホッケウルフもBMWの水冷エンジンを使用し名戦闘機と言われました。
 ゼロ戦のケースでは、機体を製造する三菱重工が製造するエンジンでは必要な出力を出すには形状が大きすぎライバル会社の中島飛行機の栄エンジンを使用しました。栄エンジンを設計したのは中川良一という名設計者でのちに紫電改や疾風といったゼロ戦の次世代の戦闘機に使用された誉というエンジンを設計しています。そして、中川良一は戦後は日産自動車に入りスカイラインのエンジンを設計しています。
 無論、堀越二郎は名設計者であることは間違いありません。しかしながら、栄エンジンを設計した中川良一の名前はほとんど知られていないことが非常に残念に思います。
 昨今日本の技術力の低下嘆かれていますが、かつてはゼロ戦のような名機の設計者だけでなく、名エンジンの設計者がいたことを知ってほしいと思います。

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