統合失調症寛解か①

noteを始める時、自身が統合失調症であることを公開するかどうかは迷いました。
一年前、ピア活動をしていて、その時にリカバリーストーリーという発表会があった。多くの支援と今までやってこれたことへの感謝を込めて。団体、個人名は割愛しました。
同じような症状や苦しみを抱えている方と共に、また、日々支えてくださってる人への気持ちを当たり前だと思わないためにも。

私のリカバリーストーリー 「統合失調症との歩み」

 私が、統合失調症と向き合って生きることになったのは、二十一歳頃です。当時、付き合っていた女性とうまくいかなくなり、そのまま理不尽な就職活動を迎えた時です。その時には、思考がおかしくなっていて、大泣きをしたり、何日も寝たきりになったりと、とても情緒不安定でした。当時の私は、物事は、自分の思い通りに行くと自然と思っていたらしく、おそらく大きな挫折も味わったのだと思います。なんとか内定をいただいても、もう卒論までには間に合わず、ストレスによる耳鳴りや、ものすごい幻聴や幻覚に襲われていました。この場では話すことは控えますが、大きなことがあり、訳もわからず、とても閉鎖的な精神病院へ連れていかれ、そこで三ヶ月を過ごしました。
 毎日、出してくれと、公衆電話で家族へ泣きながら連絡したり、薬漬けで歩けないほどになってしまい、退院する時にはほとんど歩けない状態でした。そこから、家族の支えで少しずつ散歩や外出などのリハビリもしました。大学は、留年し、人と接しられない状態でしたので、本当に人と会うのが怖く、時には兄がもぐりで講義を一緒に受けてくれたり、何とか大学は卒業できました。大学側からも大きな支援をしていただきました。
 それからが闘いの日々でした。アルバイトで始めたラーメン屋の接客は、ちょっとしたことでつまづいてしまい、一か月も経たずに辞めてしまいました。しかし、店長さんには、事情を話していたので、本当に親身になってくださり、「人生はやり直せる」ぐらいの言葉を何度もかけていただいたのを覚えています。友人が、働いていたラーメン屋まで食べに来てくれたり、休みの日にキャッチボールをしてくれたり、人の温かさに触れることで症状も回復していったのだと思います。その後は、正社員として働けるまで頑張ってしまいましたが、何度も会社を辞めたりを繰り返しました。その時も、病気を再発してしまいました。
 いつまでも続く不安症状と、人が話す噂話や陰口などが、まるで自分を責めているように感じて、それが、幻聴となって聴こえてきたりもし、その症状が続くときは、本当に苦しく、逃げ場のない苦痛が続きました。幻覚も、見える世界が、まるで夢の中にいるかような感覚になったり、ありもしない現象が見えたりして、頭の中が操作されているかのようでした。
 そんな時に、連絡を取り続けていた小学校からの友人に電話し、静岡の浜松まで行き、ありのままの自分の状態を受け入れてもらえました。自分も苦しかったですが、側にいた友人も大変な思いで受け止めてくれたと思うと、とても相手の立場だったら支えきれないなと思いました。今でも、何よりもその友人とのやりとりが私をつなぎ止めている大切な存在です。
 話は戻しますが、働くということは諦めませんでした。時には、家族が退職願いを出しに行くなど、身を切るような恥ずかしい思いをしたりもしました。しかし、それは失敗から得る経験で、仕事の事に関しては、家族を頼らないという決心がつき、自分で最後まで責任を取るというふうに変わっていきました。その後も、入院は何度かしましたが、薬をきちんと飲むことや、少しの異変など、つつみ隠さず、正直に、主治医に話すことによって適切な診療を受けられるようになりました。また、友人と話をしていくうちに、調子を崩す場面や、起きた出来事など、何でも話をしていくうちに、知恵がついてきて、事前に体調を崩すことを回避することを覚えました。
 入院生活を経験する中で、働く職員の姿を見て、施設等で働くことができるのではないかと思うようになりました。また、人生につまずいていた時に祖父母の家で、過ごさせてもらって、自然のままの生活や経験を踏まえた上での会話などをしたことで、介護という仕事に興味を持ち、強い思いで介護の資格を取りました。
 三十代を迎える前に介護の仕事を始め、「就職しては辞める」というサイクルが、介護の仕事だと一番少なくなりました。職業柄、「障害の認識もされやすい」というのもあったと思います。それまでは解答があるかのような仕事をしていたような気がします。何が正解かはわからない、介護に正解はないという言葉を最初の高齢者デイサービスで責任者から聞いた時、これは自分の中では革命でした。今までは優秀になるためにはどうすべきかでしたが、食事、入浴、排泄などの人の役に立つ仕事をすることによって、言葉でありがとうと言ってもらったり、そういう気持ちを持っている利用者さんも多く、心が温まる事も多くありました。もちろん、職員からも気にかけていただいたり、時には利用者さんの出来事で様々な話をして、一緒に考えたりと、とてもやりがいのある仕事だなと思いました。
現在は、障害者雇用で主に身体の障害のある方の介護補助をしたり、事務作業のお手伝いをしています。障害のある人と接する際に、ただ言うことを聞けばいいのではなく、時には説得したり、甘やかすだけの介護では現場は回っていかない、もしくは本人のためにもならないことなども学びました。私も障害を負っていますが、甘いことだらけではその人間の機能は落ちていくし、かと言ってドライになりすぎても、良いやりとりとは言えないので、信念を持って働くにはまだまだ時間がかかるのかなと思っています。時には話を聞くことも大事ですし、もめている時にはしっかり仲裁に入るなど、対応のあり方を学んでいると思います。職員が十やらなければならないことのうち、二つ、三つ、手伝えれば職場の社員の人は助かるという言葉を受け、私の仕事の在り方もまだまだこれからです。
 利用者さんと職員との、抗いが、絶妙にシンクロし、現場もとても笑いに満ちていたり、摩訶不思議な現象が起こったりと、ケアをしているようで、ケアされているのではないかという関係性の仕事がだんだんと面白くなってきました。最近読んだ本で、医学書院のシンクロと自由という本はおすすめです。私の言葉では語れない、介護の面白さを絶妙に描きだしています。興味のある方はぜひ、おすすめします。
 障害を抱える方同士での支えあい。また、症状の過程で、「引きこもり」にならざるを得なかった時期もあり、社会に一歩出る大変さも身をもって経験しています。、形はどうであっても、そういった経験を生かせる事をしていきたいとも考えています。
 働くことについてはこれからも考え続けるとは思いますが、一つ、私の中で、働く中で思ったことがあります。会社というのは、「会う」という漢字の通り、まずは、「人に会いにいこう」と人間関係で悩んだ時に、ハードルを下げて考えるようにしていました。人と会うという事は必ずしも悪いことばかりではない、ふとしたことで元気が出たり、笑いが生まれたりもします。怖がらずに一歩外に出てみようと、考えられるようになりました。
~リカバリーサブストーリー~
たまたま100分de名著という番組で統合失調症の第一人者である中井久夫の特集をやっていました。本を読むのは私の趣味の一つですが、今年の目標として、中井さんにまつわる書籍を読んでいこうとも思っています。その導入部分で、人の心のやわらかな部分である、心の生ぶ毛を大切にすると言っていました。心の生ぶ毛は心にある自分にしかみえない特別な思いや考えだったり、小さな心の動きだったりすると思います。それが摩耗してしまえば心は疲弊するし、その小さなものを大事にすることがこの病気には必要なんだろうと思います。私は、これからも心の生ぶ毛をしっかり守っていこうと思います。うまくこの症状と付き合っていきたいと考えています。


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