日本最強のプロゲーマー

あぁ、困ったことになった。まったくもって、俺の手に負えない緊急事態だ。

「どうか、教えてください」

俺の前に座る高校生。あまりに純粋で堂々とした双眸が、逃げ場を奪っていく。夕方の喫茶店、本来そこにある筈の控えめな喧噪もよもや耳には届かない。

「ううん、そうだな…」

肘をつき、頬に手を当て、考え込むふりをする。その実ポーズだけで、内心はいかにこの状況を切り抜けるかでいっぱいだ。

「お前、真面目過ぎるって叱られたことない?」

ガラスの向こうを見ながら聞いてみる。
どこもかしこも人、人、人。上京したての頃には興奮したものだが、もう慣れた。

「はい、何度かあります。でも、真面目な分結果も出てましたから、怒られたことはありません」

やっぱりな。口では笑えるが、どうも本心から笑えない。
この後のことを考えると憂鬱で仕方ない。お悩み相談なんて俺のガラじゃないのだ。

「あー、うん、そうだよな。まぁ、なんだ、これは俺のおごりだから、是非味わってくれ」

言いつつ、彼のコーヒーの容器を少し押す。彼は遠慮がちに一口、それを飲む。残念ながら俺には一息つく余裕もない。

「僕、実はコーヒー苦手なんですよ」

ならば、お前の嫌いなコーヒーを無理に飲ます先輩もどうか一緒に嫌ってくれやしないだろうか。

「そりゃあ、おぉ。わりいわりい。これも大人になるための試練ってことで」

時刻は午後五時過ぎ。客足はまばらで夏の日はまだ高い。どうも逃げ口上は作れない。

そもそも、だ。

「なぁ、そんなことをどうして俺に聞くんだ?同じチームの奴らにも聞いてみたのか?」

「いえ、まだしていません。僕は、けんとらるさんの姿にあこがれてこの世界に来たんです。だからこそ、聞いてみたかったんです」

俺の名前はけんとらる。この名をインターネットで調べれば、俺の顔写真とSNSが途端にあふれ出す。日本最強の男と書かれた記事もでてくるだろう。

昔は笑われ叩かれ散々だったが、それも今では良い経験だったと笑える。俺はれっきとした、一流のプロゲーマーだ。

「へぇ、そうなんだ。嬉しいな」

そう、嬉しい。こんな俺を慕ってくれる人がいるものなのか。応援されるたびに、自分自身の評価と他者からの評価の差をひしひしと感じる。

「じゃあお前は、俺の敵であると同時に…俺のファンってことだな?」

「はい、そうです」

だとすれば俺が彼を無下に扱うなどあってはならないことだ。しかし、どうにもこれが難しい。そもそも俺は人に何か人生の教訓を教えられるほど生きていない。

「お前、俺のどんなところが好きなんだ?」

「まず、笑われるのを承知で日本でプロゲーマーを名乗ったことです。そして大事な場面で結果を…優勝には至りませんでしたが、当時の日本からすれば快挙でした。その後もずっと日本のeスポーツを牽引してきて…。そういう、第一人者になって、恥を恐れず戦う姿が本当にかっこいいと思っています」

少しは戸惑ったり、考えたりしてくれたらいいものを。ますます俺には逃げ場がなくなってしまった。
あぁどうか、その濁りのない羨望のまなざしをこちらに向けないでくれ。

「はじめは、僕なんかやっぱりダメかと思いました。将来のこととかがあって、そんなに我が儘言っちゃいけないのかなって。それに、そんな生半可な気持ちじゃだめだよな、って。でも、けんとらるさんのインタビューを聞いて、一年だけ。この一年だけでも、やってみたいと思ったんです」

こんなにも純粋に悩める若者に俺が指し示すことのできる道など。果たして、あるのか。

「なぁ、俺の昔話を.…あんま昔じゃないけど、聞いてくれ」

分からないけど、俺は向き合わなければならない。なぜなら、俺が、プロゲーマーだから。



中学での俺は、大した取り柄もなくてつまらない奴だった。何人かの同類とつるんで、あまり目立たない体育祭の競技に仲良く立候補するようなタイプだ。或いは合唱祭で基本口パクをしつつ小声で歌うような。或いは部活をしているけど、スタメンではなく熱意もほどほどのような。そんな中学時代だった。

高校は、普通科高校に通った。進学校ではない。そこでもやることは変わらない。同類とつるんで、とにかく目立たず、穏便な学校生活を。たまに、修学旅行やイベントで目立ちたくもなったけど、いつも妄想で終わった。

でも、そんな生活だったけど、結構幸せだったんだ。


「お前にはあんまりわからないかな?」

「いえ、分かりますよ。僕はちょっと人より勉強が出来ただけです。それも両親のおかげで、僕の力じゃないですよ」


ある日、たまたまスマホのアプリストアであのゲームと出会った。当時は暇つぶしに入れただけだった。

これがどうして、面白かった。勝ったり負けたり、試行錯誤を繰り返すのが楽しくて、考えに考えて勝った時がたまらなく気持ちいい。SNSでゲームを通じて知り合いが出来て、それが新鮮で、なんだか新しい居場所を見つけた気がした。

漠然と、自分の現状に不満があった。何か偉大なことを成し遂げたい…とまではいかずとも、満たされないものがあるのを感じていた。勉強もできない。運動もできない。高校行って大学行って就職して。結婚して子供が出来たら万々歳だ。でも、そんな人生に自信がなかった。それでいいと思えなかった。

それが怖くて、いつしか、誰よりも強くなりたいと思うようになった。この世界でなら、俺は何者かになれると思った。情熱を注げると思ったんだ。


「お前はさっき俺に二つ聞いたよな。どうしてプロゲーマーになれたのか、そして最強になるにはどうすればいいのか、って」

「はい」

「俺も、最強を目指してこの世界に来たんだ。案外似てるのかもな」


そっからは、我武者羅に強くなろうとした。一日何時間もぶっ通しでプレイして、休日には15時間とかしたかな。部活もやめた。

俺にはこれしかない。必死だった。

その結果、俺は日本人にしてゲーム内で世界トップレベルに上りつめて、海外の大会に出場して好成績を収めたんだ。


「その頃の俺のことは知らないんだよな?」

「はい、それは二年前のことで、僕は一年くらい前からこのゲームを始めたので…。あ、でも、当時の動画は見ました。それを見て、eスポーツってすごいな、って思ったんです」

「最近は、そういってくれるファンの方がめっちゃいるんだよ。ほんと、ありがたいことだ。でも、あの頃の俺はいわば、まだ挑戦者側だった。ただ闇雲に結果を求め、強さを求めていたんだ」

ちょうど、今のお前みたいに


親との関係は最悪だった。勉強しないからテストの順位はひどかったし、部活まで辞めてるんだからな。当時はムカついてたけど、今となっちゃ頭が上がらない。

でも、俺が結果を残したことを伝えると喜んでくれた。ゲームなんてまるで知らない両親が喜んでくれたのは、素直にうれしかった。

でも、俺がプロゲーマーになりたいって切り出した時にはものすごい反発をされた。そんなもので食っていけるわけがない。いつまでもやっていけるはずはないし、そのあとはどうするのか。家に居続けてすねをかじるのか。

よもや己の子どもがそんな道をたどるとは夢にも思ってなかったらしい。そりゃそうだ。俺だって思ってなかった。

でも、憧れたんだ。それに、その時はただ、誰よりも強くなりたかった。なにより世界一になることで周りを納得させられるような気がした。自分が、何者かになれて、認められるような気がした。


「プロゲーマーって言葉の響きはいいよな。なんだか、ロマンがあって、楽しそうだ」

「そうですね」

「でもそれがただの現実逃避で、都合のいいように解釈してるだけなんだって、心のどこかで分かってたんだ。だからこそ、悩んだ。これが本当に自分のしたいことなのか。やりたいことだけやって生きていけるのか」

「そう…ですね」

「お前は世間から見たら、もうプロゲーマーだ。なのにどうして俺に、プロゲーマーになれたのかを聞いたんだ?お前の思うプロゲーマーっていったい、どんなやつだ?」

「僕の思うプロゲーマーは……。強くて、しっかりしていて、……ゲームが好きな人?」


それでも親の反対を振り切って俺はプロゲーマーになった。こんな俺と契約してくれるっていう人が居たんだ。もう二度と、こんなチャンスはないと思った。逃したらもったいない。そんな、ある意味なめ腐った想いで俺はプロになった。

プロになったからと言って、俺という人間の人生が一変することはなかった。今では公式の大会に出場するために必要な肩書でも、当時はそんな大会はなかったからだ。

何をすればいいのだろう。有り余る時間の中で考えてみた。強くならなきゃいけないというのは分かった。でも、プロになったからにはそれ以上の何かが必要なんだと思った。動画を配信してみたり、他のプロゲーマーに会ったり、積極的に活動した。

当時は高卒ニートだといって結構叩かれもした。アンチコメントよりも応援コメントの方がずっと多かったのに、寝る前に思い出すのはアンチの言葉ばかりだった。


「お前も叩かれたり、してるの?」

「いえ、僕はほとんどそんなことありません。やっぱり、けんとらるさんがそうやって第一人者になってくださったから…」

「俺は、そんな大層なことしてないよ。必死だっただけだ。自分を正当化するのに」


最強になれば。世界一になれば。そうすれば認められると思って、練習した。でも、プロの世界で負けないというのは難しすぎた。何度も負け、何度も叩かれ、自分のふがいなさを嘆いた。弱音を吐きそうな自分の脆弱な意思を呪い続けた。

負ける度に、睡眠時間が減った。負けるほどに、ゲームが嫌いになった。いつしか、飯の時間が嫌になった。母の作るご飯が喉を通るたび、罪悪感に蝕まれた。

それでもか細い糸をつなぎとめられたのは、間違いなく応援してくれる人、スポンサードしてくれる人たちのおかげだった。


「最強になれない俺を、それでも応援してくれる人が居た。それは、強さ以外の何かを求められているからなんだと思ったんだ。だから、応援してくれる人を後悔させたくないって思った」

「はい」

「俺は多分、その時初めてプロゲーマーになれたと思うんだ」


今でも覚えている。アメリカで行われる大規模な非公式大会の決勝トーナメント。日本でもリアルタイムで日本語解説が行われ、ベスト8が確定し優勝を狙う俺のために、深夜にもかかわらず4000人の人が見てくれた。

一回戦を勝ったとき、嬉しさよりも安堵の方が大きかった。期待を裏切るわけにはいかないと思ってた。


「あの時はめっちゃ緊張してて、SNSでも、やれるだけやって楽しみます、とか言ってたんだ。負けてもいいようにな」

「はい、知ってます。僕、その時にはもうリアルタイムで見てたんですよ」

「一回戦勝って、結構自信になったんだよ。それで、次の相手が当時世界最強と言われていた男。その時、俺はプロゲーマーならこんな時、なんて言えばいいのか考えたんだ」

「その想いから、あの伝説の発言が生まれたんですね」

ーー俺が世界最強ってことを、証明してきます。


正直絶好調だった。それでも負けそうになって、でも、意地でも勝たなきゃいけないと思った。ここで負けたら日本に帰れねえ。そんなことをつぶやいて自己暗示をかけながら戦った。今じゃ、本当にプロなのかってくらいダサい発言だ。

勝った時、嬉しさはすぐに感じなかった。一瞬、自分がどこにいるのかとか、さっきまでの緊張とか全部吹き飛んで、目の前が真っ白になった。観客席を見たら、みんな叫んでた。そこでやっと、俺も実感した。勝ったんだって。

そして、ヘッドフォンを外して会場の誰よりも叫んだ。観客全員の絶叫よりもっとでかい叫びだったと思う。ずっと叫んでたら、スタッフの人に止められた。


「そのあと、決勝で負けたんだけどな」

「それでも、あの日のけんとらるさんは間違いなく英雄でした」

「最強の男が敗れ、最強を破った男が敗れ。最強っていったい何なのか、って思ったよ」


あの日以来、俺は日本最強の男と呼ばれるようになった。一か月後に公式リーグが開幕した時も、最強の男がいるチームとして俺のチームは持て囃された。それ自体悪い気はしなかったし、プロゲーマーという存在への肯定的な見方も増えていた。

俺はそこでも何度も負けた。でも、最後にはリーグ優勝を果たすことが出来た。そこまでたどり着けたのは、間違いなく応援してくれた人、支えてくれた人たちのおかげだった。


「俺はプロゲーマーってのは、代表者だと思うんだよ。たくさんの想いを背負う人間。自分のやりたいことをするのは間違いないけど、その夢を一緒に追ってくれる人がいなければそれは、ただゲームが上手い奴ってだけだ」

「どうすれば、そうなれるんですか…?」

「それはお前、やってみなきゃわかんないだろ。自分で必死になって、何回も苦しんで、でも決して弱音を吐かず、弱みを見せない。そうやってあがいた先に、きっとお前のことを見てくれていた人が待っているさ」


気付けばもう六時を過ぎていた。周りの客の姿もすっかり変わっていた。外は明るいままだが、確実に日は傾いている。

俺のコーヒーはぬるくなっていて、なのに半分以上残っている。彼の容器は空だ。すっかり話し込んでしまったらしい。

「すまん、退屈だったか?」

苦手なコーヒーを飲んでまで俺の昔話につき合わせてしまったのだとしたらそんなに悲惨な話はない。

「いえ、すごく有意義なお話でした。面白かったです。ただ…」

彼はバツが悪そうな顔をしながら、俺の顔と容器を交互に見る。どうも、第二ラウンドの始まる予感がした。今日は金曜日。彼の家も近いし、何よりもう高校生だ。

「今のうちに、悩みは吐いておいた方がいい。リーグが本格的に始まれば、もう俺とお前は敵同士なんだからな」

彼はしばし唸った後に、告白した。

「実は、プロゲーマーを辞めた方がいいんじゃないかって思うんです」

あぁ、やっぱり。薄々そういう類の話だとは思っていた。

なんせ彼は日本有数の進学校に通い、そこでもトップレベルの学力を誇るエリートなのだから。

「初めてお前の話を聞いた時、正直俺は思っちまったよ。どうしてお前みたいなやつがここにいるんだ、ってな」

「はい、チームメイトにも言われました」

寂しげな彼の瞳は少年の色を帯びていた。俺の話を聞いている間、ずっとその目をこちらに向けている。真面目で、素直な子だ。だからこそ、悩み苦しむ顔を見るといたたまれない。

「その…一応、母とも話はつけてたんです。ただ、最後まで納得はしてもらえなくて、僕がほとんど無理やり、勝手にプロになったんです」

「今、お母さんから辞めろって言われてるのか?」

「いえ、そうは言われてないんですが…その…。いろいろ、皮肉的というか…」

親の気持ちは正直俺にも分からない。俺もまだまだ未熟で、高校生の頃なんて反抗してばっかりだった。

だからこの子の力にはなれないと思ったんだ。でも、俺は彼よりも大人で、プロゲーマーで、あこがれの存在なのだ。

「成績が落ちたのか?」

「いえ、そんなに変わりません。もともとプロになる前からゲームは結構してたので」

「今度はお前の話を聞かせてくれよ。なんであのゲーム、始めたんだ?」


僕がこのゲームを始めたのは、友人に誘われたからでした。その時はちょっと話を合わせる程度のつもりだったんですが、気付いたら夢中になってて。ずっとやってました。


「自分で言うのもなんですが、僕割と器用な方なんです。それから、かなり負けず嫌いで」

「あぁ、そうだろうな。プロゲーマーになれるなんて、よっぽどの負けず嫌いか自己研鑽好きか…本当の天才だけだよ」

「それで、負けるほどに辞められなくなっていって、気付いたら日本でもそこそこ有名に…」

「俺、その頃のお前に負けたの今でも覚えてるぜ。こいつ何者なんだよ、って思ったわ」


正直、僕はかなり恵まれている自覚がありました。両親から叱られることなんてなかったし、何事も不自由なく暮らしてきました。

ただ、やっぱり思う時もありました。こうやって娯楽に浸ったりしつつも、そのうち受験勉強になって、いい大学に入って、いい職について、って。こんなこと言うときっと怒られるんですが、勉強なんてできない方が、もっと貧乏な家に生まれたら、なんて。


「なんだか、レールを辿るだけのような気がして。本当にやりたいことなんてさっぱりわからなかったんです」

「じゃあ、俺と一緒だな」

「はい」


ゲームの通知で、けんとらるさんが世界の舞台で戦っているのを知りました。海外の大会を見て学んだりもしていましたが、日本から出場している人を見るのは初めてでした。

そして、画面の向こうで叫ぶ英雄の姿を見ました。僕にはあなたが、この世の誰よりもカッコよく見えた。体の奥底から、興奮なのか何なのか分からない感情があふれてきて、涙が出るんです。

その時から、このゲームはただの娯楽じゃない。そう思うようになりました。あの興奮をまた味わいたい。かなうなら、自分があそこに立ちたい。

でも、その世界がそんなに簡単に行ける場所じゃないことを理解していました。強くなるだけじゃだめだと思って、でも他の方法が思いつかなくて、その時に、世界で一番強くなればいいんじゃないか、って安直に思ったんです。


「確かに安直だな。でも、ある意味何より正しい」

「はい。だから、今こうしてけんとらるさんと話せているんです」

「そうか」


母も父も、僕には惜しみなく投資してくれました。良い学校に行かせ、良い塾に行かせ、良い教材を与え、良い体験を与え。

両親には本当に感謝しています。僕が我が儘を言ってプロになるのも、納得はしていなくても、最後にはいかせてくれた。だから、こうやって裏切ると申し訳ない気持ちになるんです。両親が僕に求めるものは、プロゲーマーになることじゃないんです。


「お前は偉いよ。俺なんてろくに言うことも聞かないで迷惑かけてただけなんだからさ。両親に感謝できるって素敵だぜ」

「はい…」

「もし世界一になれたら、それが最強か?」

「一敗もしなかったら、文句なしの最強ですよね」

「最強を倒しても、倒した奴は最強じゃない。負けたら最強じゃない。なんか、最強なんてこの世にいないんじゃないかって思うよな」


プロになれるって聞いたときに、すごくうれしかったです。何が何でもこのチャンスを逃しちゃいけないって。

でもその時に、こうも思ったんです。こんな気持ちでプロになっていいのか、って。誰より強くなろうとして、いろんな人からプロになっておかしくない、って言われて。応援されて。

この応援に応えなきゃ、って思うけど、自分なんかが、とも思いました。


「プロゲーマーになるのは実力と努力とちょっとした運があればきっとなれる。でも問題は、自分がプロゲーマーになれるのか、だと思うんだよな」

「自分が、ですか…?」

「自他ともに認める、っていうだろ。他人から認められるには肩書で十分なんだ。でも、自分で自分を認めるには、肩書じゃダメなんだ。肩書に頼るんじゃ、言い訳してるのと同じなんだよ」

「じゃあ、誰よりも努力をして、本番で勝てばいいんですか?」

「そんなんじゃプロゲーマーなんてこの世に一人しかいなくなっちまう。誰よりも努力するなんてほぼ不可能だ」


時刻は7時を回った。またもや店の風景が変わっていて、外もうっすら夕暮れだ。

「どうする?晩飯に行くか?」

「はい」

俺は容器を掴み、立ち上がった。まだそこそこ残っている。

「え、持って帰るんですね」

「欲しいか?」

「いらないです。でも、よくコーヒーなんて飲めますね」

「高校時代は飲めなかったよ。でも、もう大人になったからなのかな。あんま好きではないけど、無性に飲みたくなる時があるんだよ」

雑踏を歩きながら考えた。彼のために俺が出来るアドバイスとは何か。ここでプロを辞めるなと言えば、彼はプロを辞めないだろう。でもそれでは、やはりダメな気がした。

あぁ、難しい。せめて弱音は吐かないでおこう。ここで逃げるのは、きっとプロゲーマーじゃない。


「やっぱ、肉だよな。肉はうまい」

「はい、ありがとうございます。ごちそうになってしまって」

「あぁ、いいさ。なんせ俺はお前の憧れだからな。こんなところで渋る男に憧れさせるわけにはいかない」

夜のとばりが落ち、天の塗装が終わっている。東京の夜は明るい。人の通りもひっきりなしだ。

「おし、じゃあ延長戦と行こうか。お前の悩みに答えを出そう」

そうして向かったのは、俺の住んでいるマンションの部屋だった。


「ここ、動画で見たことあります…!これ、あの大会の準優勝トロフィーですか?」

「あぁ、そうだ。そっちがリーグ制覇のトロフィー。あ、足元気をつけろよ」

憧れの男の部屋は残念ながら非常に散らかっていた。幻滅されたらショックだが、どうもそうではないらしい。トロフィー群を見て興奮中だ。いい後輩である。

ソファの荷物を全部どけて、座らせた。ゲーム画面を向けて、笑ってみせる。

「どうだ、一戦しないか?」

「ぜひ!」


恐ろしい上手さだった。絶対に口には出さないが、正直純粋なゲームの上手さでは、彼は俺に優っている。

「いやぁ、してやられたよ」

「欲を言えば、本番で勝ちたかったです」

「そりゃ、お前…。プロ辞めたら、二度とかなわねえ夢だな」

もちろん、プロであっても負けるつもりなど毛頭ないが。

「楽しいよな。ゲームして生きていけたら、よっぽど楽だよな」

「はい、そうですね」

「でも、厳しい道だ。プロゲーマーなのに、ゲームしてるだけじゃダメなんだ」

彼の顔が、再び悩める少年の顔へ変わる。どうだろう。俺もあの頃、こんなにも純粋に悩めたろうか。

「俺とお前って、似てるよな。俺は勉強とか全然だめだったから正反対っぽいけど、このゲームしかない、って思ったところとか」

「僕も、そう思います」

「お前ならわかると思うけど、プロゲーマーなんて案外みんな似てるんだ。どんな経緯でこの舞台に至ったかはみんな違うけど、みんなどこかでこのチャンスを逃しちゃいけない、って思ってこの世界に突っ込んでくるんだ」

俺は自信が満たされなかったから。彼は心が満たされなかったから。みんな、何かが満たされなくて、ここにいる。何かを求め、ここに来る。

「プロゲーマーになっても周りの目が変わるばっかで、自分が大きく変わることはない。生活も変わるしゲームのプレイ時間も増えるのにな」

俺たちは満たされない。プロゲーマーになることで満たそうとした想いが、今度は別の渇望を生む。

「そんな自分を満足させるために、俺たちは最強を目指す。最強でありたいと願う。そうすれば、満たされると信じる」

「最強を目指しているうちは、最強じゃないってことですか?」

「そういう話じゃないな。プロゲーマーが最強である必要も、そもそもないとさえ俺は思うよ。もちろん最も強くあろうとするのは大事だけど」

指を二つ立てた。

「お前が俺に聞いたのは二つ。一つは、どうしてプロゲーマーになれたのか。そして、どうやったら最強になれるのか」

「はい」

「俺が本当のプロゲーマーになれたのは、応援に応えたいって心の底から思えた時だ。

 そして俺が最強になれた理由は、俺が、応援してもらえたからだよ。

 負けたら最強じゃない、ってわけじゃない。失敗したら最強じゃない、ってわけでもない。でも、応援してくれる人から目を背けたら最強にはなれない。それは、応援してくれる人の数とかじゃない。ただただ、自分との闘いだ。自分勝手なやつは、いくら勝っても、いくら上手くても、最強じゃない」

俺の言葉は正しいのだろうか。間違ったことを、彼に教えてはいないだろうか。もっといい言葉が、伝え方があるかもしれない。

俺はそんなに賢くないのだ。でも、いや、だからこそ、ここで思うこと全部ぶつけずして何がプロゲーマーか。

「プロゲーマーになったのは、お前の我が儘だって言ってたけどさ。じゃあお前、応援されてないのか?」

「応援、されてます」

「多分、お前がプロゲーマーを辞めたって応援してくれる人はいるはずだ。もちろんボロカスに叩かれるだろうけどな。

 でも、お前がここで応援から逃げたら、お前は最強じゃなくなる。失敗も、悔しさも、全部超えて、お前を応援しない人とも向き合って、そして、お前を応援してくれる人たちにも向き合う。そしたら多分、お前は自分をプロゲーマーだと思える。そして、きっと最強になれる」

大層なことを言って、俺はそれが出来ているだろうか。いや、それが分からないから彼と向き合ったんだ。

「どうだ?」

「僕は…」

彼がこちらを、じっと見た。

「僕は、プロゲーマー、続けます」

「そうか」

きっと初めから、彼の中で答えは決まっていただろう。その背中を上手く押せていたら、よいのだが。

夜も更けだした。お悩み相談は終わりだ。

「もう遅いな。余計な話が多かった、申し訳ない。そろそろ、帰りな」

「はい。ありがとうございました」

彼はそう言って立ち上がった。飾られたトロフィーを一瞥して、振り返る。

「けんとらるさんは日本最強ですけど、本番でも、勝ちますよ。僕が最強だって証明しますから」

やっと少年らしい顔をする。やはり、悩む顔より笑顔が一番だと思う。

「応援してるぜ」



俺は何者かになりたかった。今は、プロゲーマーになりたいと思っている。プロゲーマーは憧れられる職業だ。だからこそ、それを名乗るには憧れられる責任と覚悟が必要だ。

彼にとって俺は、プロゲーマーだったろうか。負けてしまったけれど、最強だったろうか。

ファンからの声援には応えなければ。ぬるいコーヒーからはやはり、大人の味がした。

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