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ミュージカル『アナスタシア』の感想

別に誰に望まれているわけでもなく、自分がもっと早く『アナスタシア』の感想をまとめておきたいという気持ちはあったわけですが…なんか本来9月10月に終わってたはずの仕事が永遠に終わらず、『アナスタシア』の感想も書けないまま12月になったという…。

つまりそれだけ9月10月は『アナスタシア』(あとヒプステ)に心を奪われ、奪われたがために、たいした感想を書く時間もないほど生活がめちゃくちゃになるということがありました……楽しすぎる舞台はやばいです。


『アナスタシア』のすばらしさ

今回『アナスタシア』を観て、改めて「自分の好きな作品とは」みたいなことを考えたんですけど、なんで舞台行くかというと、個人的には「物語が好き」の延長にある感覚で、その対象は漫画でも小説でもアニメでもドラマでも映画でもいい。ただ、あらゆる物語の中でも特に「歌って踊るステージで表されるものが好き」なので、行くことが多い。

だからとにかく「物語構成がよくできている」ことは自分にとって重要ポイントだなと改めて思ったのです。けっこうミュージカル好きな人でも、いろいろ優先順位違うんだろうなとは思ってますので、あくまでも私の基準なんですが。ただテニミュのように、振り切って「トンチキでやる!!」という気概を感じるのは逆に好きということもあります。極端な志があればそれはいいかなと思う。

あとは「登場人物が自由を求めている」「演出のテンポが速い」「無駄な場面がない」などがポイントなんですけど、『アナスタシア』ってすべてを満たしている…!!

ちなみに「歌ってる人の周りで心情を表すコンテンポラリーダンスを踊るダンサーがいる」はマイナスポイントになります。なんか古いから……(伝統芸能的な作品なら許す…あと宝塚でやってるのはむしろ好きです)。『アナスタシア』はそれもない!!というか、私が今までモヤってた、ステージの空白を埋めんがための、安易な「歌ってる人の周りで心情を表すコンテンポラリーダンスを踊るダンサーがいる」演出を、『アナスタシア』では、バレエ鑑賞シーンでバレエと歌を組み合わせて表すことによって物語に意味のある形で昇華していて!!感動でした。

私とアナスタシア

ミュージカル『アナスタシア』再演なわけで、3年前は1回だけ観に行った思い出があります。その頃は2019年の相葉アンジョを見て改めて「相葉アンジョ、好きだ!!」と思ってた時だったんですが、別に『アナスタシア』のチケットを取ってはいなかった。でもガンガンいろんな舞台が中止になる中で、結構ギリギリまで上演してた覚えがあります。だからこそ「今やってる『アナスタシア』を観に行かないと!」という気持ちで急遽オーブまで行きまして。今となっては検温もサーモグラフィも「あ~はいはい」(ピッ)て感じだし、ここにきてそれすらもなくなったけど、あの時はオーブに設置されたものものしい検温装置にびびって、「この場所に来たことが原因で死ぬ可能性もあるかもしれない…でもどうせ死ぬなら現場行こう」と覚悟しながら観劇した。大袈裟かもしれませんが、当時それくらいの気持ちでした。

もともとのアニメ『アナスタシア』は悠久の昔…たぶん中学生とかの時に観たことがあって、改めて観たらこんなちゃんと歌ってたっけ!!ってとこからびっくりしました。ちなみになんで観たかといったら、中2病くらいの時に読んでた小説に出てきたからなんですけども。あまりにもネタバレすぎるからリンクだけ貼っときます。アナスタシアあの後これのあれになったら…と思うと、アーニャ……わっはっは!になりますわ。今もアナスタシアといったらFGOとも聞きますから、オタクはアナスタシア好きですね。

ロシアについて

中止になった時から「絶対に再演されるだろ」と確信しつつ、ロシアとウクライナがこうなって難しいんじゃないかなとも思ってたんです。でも改めて観てみたら、これはしがらみを捨てていく話だからむしろよかったのかも、と。まあそこの肝がわからないくらい、たぶん3年前は『アナスタシア』で描かれてることがピンと来てなかった!!!良くも悪くも、この数年で急に現実感がめちゃくちゃ伴ってしまったというか、解像度が上がってしまったというか…。こういうことがあるから、何の作品も侮れないよ、ほんと。むしろこんな事態になってなかったら、『アナスタシア』のことをただのプリンセス物語だと思ってたのかもしれません。

特にイポリトフ伯爵の「Stay, I Pray You」は、本当に初演時の記憶も何もない(すいません)のに、今年の再演で観たら急に「わかる!!!」になった…。ほんとに「イポリトフ伯爵なんてキャラいたっけ???」と思ってた時と解像度が段違いです。とはいえあの列車に乗ってるのは、みんな相当お金持ちだとか思うので、本当にもし何かあった時に自分が亡命とかしたかったら、なんのつてもないし、日本語以外しゃべれないし、あんなふうに亡命を試みること自体が無理だろうなあと考えてしまう。

どうして3人が国を出ようとするかというと、アーニャは「詳細は覚えてないがパリに行きたい」、ディミトリ&ヴラドはそもそも指名手配(この設定が最新で生きてるのかわからない)とか、詐欺の手段としてパリまで行く必要があるとかだとは思うんですけど、そこにイポリトフ伯爵の存在を入れてくるのが、もうね…。「貴族であるだけでなく知識層でもある」みたいなセリフありましたけど、やっぱ全体主義の独裁政権は知識層を排除しようとする…という前提が入ってる脚本で、そういうことが過去にもたくさんあったし(文革とかポル・ポトとか)、現在進行形で世界の各地で起こってると思うとうわーーって気持ちになる。わかんない、日本だって数十年前はそんな社会で、いつか未来にそうなる可能性も全然あるわけですし…。

『アナスタシア』、別にロマノフ王朝を善にしないバランスの良さもありますよね。プリンセス物語なのに「決して善なわけではなく一枚岩でもないロマノフ王朝(最終的にアーニャは継がない)」「ボリシェヴィキ(というかもうソ連)に忠実だが個人の愛情をとってしまったグレブ」とか、それぞれの立場の中での人間みを描いている。それでディミトリの父親がアナーキストで、本人も父親に誇りを持っているわけで、ブロードウェイ的思想というならそうなんだろうけど、本当に王道のプリンセス物語と思いきや、いろいろなことがすっと差し込まれているのがすごいなあと思います。観れば観るほど感心してしまいました。

余談ですけど、『アナスタシア』と脚本・歌詞・音楽が一緒だから観たい!という理由で『ラグタイム』観て、ある意味『ラグタイム』を観たから安心して『アナスタシア』を推せる…みたいなところがありました。やっぱり物語の作り手の価値観と合うかは大事だよな…という。だからこそ同じテレンス・マクナリー脚本の『蜘蛛女のキス』のバレンティンって、どういう気持ちで原作改変したの!?って改めて気になりました。教えてマクナリー。やっぱ観客に「おいバレンティン!」ってつっこませたかったの?

『アナスタシア』ほんとに演出がおしゃれ

葵わかなさんもアフタートークで「演出がおしゃれ!」言っていて、わかるわかる!!『アナスタシア』って、ほんとに、洗練された演出だ!!と毎回感動してました。梅芸さんはLEDパネルを推したそうで、まあまあそれもいいんですけど、やっぱ私が一番グッときたのは音楽の使い方です。てか全ての演出において、音楽の使い方が昭和感/令和感をわけるのでは…とも思ってしまう。プロでないので何もうまく言えませんが、とにかくイケてた…!!場面の繋ぎにこそ時代が出るのかもしれない…。最近この『ミュージカルの歴史 なぜ突然歌いだすのか』という本を読んで、ミュージカルが観客を没入させるために目指す形を「統合」という理論がしっくりきて、『アナスタシア』はそれがめちゃくちゃ上手いなと思いました。

冒頭のロマノフ王朝の栄華と転落を表すシーンとかも、言葉がないまま華やかなのに不穏な空気を示してて、観るたびにしびれてました。写真パシャッパシャッパシャッからのパリーン(暴動)とかほんとあまりにも滑らかな場面運びで…。これが終盤のナナとアーニャ2人で写真撮られてる時のわくわくする感じと対比になってるのもいいし、あそこの場面転換が音楽の使い方も盆の使い方もおしゃれすぎて最高でしたね…。盆って使い方によってはすごく古く見えてしまうよな〜と思ってたけど、アナスタシアはとにかくおしゃだったな…。

『アナスタシア』RTA

よくできたお話なんですけど、よくできすぎてて「1個間違えたら詰むだろ!」という場面がちょいちょい出てくるのはおもしろポイントでした。大きな選択肢としては3つかなと思ってて、「ディミトリがボリシェヴィキからヴラドを助ける」「アーニャがグレブの通る道で掃除する」「ディミトリが報奨金を断る」で、これ間違えたらトゥルーエンドに辿り着けないわけですね(実況)。ディミトリは「つい助けちゃったんだよ」とか言ってたけど、ヴラドいなかったらリリーに会えずパリで詰む!ディミトリ、助けた人が的確すぎる。まあ、ヴラドがリリーと知己だったからこそアナスタシア計画いけるぞ!とよりやる気になったのかもしれませんけども。

「アーニャがグレブの通る道で掃除する」は、ほんとにこのイベなかったら最後アーニャ死ぬしかないぜ…と思って謎に毎回ひやひやする。いやもう物語は決まってるし外すことは絶対にないのですが。あともうちょっと言うと「アーニャ追う人がグレブじゃなかったら詰んでる」もありますが、グレブがアーニャ捜索に駆り出される描写はわりと丁寧なので、個人的にはそこのツッコミはノーカン的な気持ち。ただ最後の場面も、アーニャ強気すぎて!すでにディミトリのとこ行く気になってるから「いやもうアナスタシア名乗らないでアーニャとして市井で生きてくんで、見逃してクレメンス…」と言ったらいいのにと思うところもある。でもアーニャがグレブに対して「自分はアナスタシアである」というところを誤魔化さないから、グレブもちゃんと自分と向き合うわけで、すごい話運びだなと思います。

ディミトリも、フランス語もわからないのに異国で生きてくんだから、絶対お金貰っといた方がいいよ…と毎回思ってたんですけど、ここで貰わないことによって皇太后の好感度を上げられてトゥルーエンドにつながるわけでね(皇太后攻略)。いやわかってるのです、アーニャとの思い出を金に換えたくないということは。それでもお金ほしいでしょ!?まあそもそもどんな環境でも生きていけるという自信があったのかもだけど、選択間違わないからすごいです。

あとまじで途中でバレエのチケット落とす展開が、結局チケットどうなったのか気になりすぎました。私はマチソワ間違えるとか、うっかりチケットを捨てて主催に泣きつくとか、たいていのチケット関連のやらかしを経験しているのですが、特に今年ケースごとチケットなくしたのがトラウマだったので、勝手に拾ったチケで席に座ってるグレブにおい!!てめえ!!!となりましたわよ。落としたチケットはヴラドの自チケなのかリリーに渡すものなのかというところもありますが、さすがに皇太后は「行きます」と言ったら席が用意されるだろうから、やっぱり自チケを落として買い直したのでは!?という気がします。上演してるのがディアギレフバレエ団かわからないけど、相当のツテがあるんだろうか。

相葉ディミトリの感想

そんで相葉裕樹ディミトリですけど…本当にあの〜かっこよくて……最高でした。でもところどころで「こいつ…」と思わされる感じが塩梅としてちょうどよかったところもあり、「あんたがハンサムじゃなかったらチクってるよディミトリ!」というセリフにめちゃくちゃ頷いていた。他ディミトリの方々はたぶんもうちょっと堅実だったんじゃないかと思うのですが、相葉ディミトリは「こいつ…ハンサムだから許されてやがる」というところがけっこうあって、しかしとにかくそこがたまらんので……みたいなところがありました。余談ですけど、「あんたがハンサムじゃなかったらチクってるよ!」と許されてたのに、ディミトリがアーニャという特別な女を選んだら速攻チクられてたの、流出の解像度が高すぎるだろと思っておもしろかったです。「チクらないって言ってたじゃん!」じゃなくて、「そうなったらチクるんだな〜!」と納得がいった。

相葉さんがどこまで考えて作っていたのかはわかりませんし、もちろん演出家の意向も強いと思いますが、ある種令和で受ける誠実な男性像でもなく、少女漫画やん!というディミトリ像でさ、そのギリギリの攻め方が「くっ…抗えない!」て感じでよかったんです。なのに実年齢36歳とは思えないほどの瑞々しさもあって。だからこそ絶対評論家受けしないわ!と思ってわろたとこでもあったんですが。このうえなく、D系野良プリンスとして正しかったな〜と。相葉さんのフリン・ライダーもニック・ワイルドも見てえ…見てえよ……になりましたもんね。野良プリンス枠いいよね。

時々検索すると、「〇〇は〇〇なディミトリ」みたいな言説、見事にみんなバラバラでなんかよくわかんなすぎるだろ!!と思ったのも面白かったです。単純に「詐欺してそう/あんまりしてなそう」とか「品がいい/悪い」とかでも、同じ日に観てる人が真逆の感想言ってたりして、不思議だね〜と思いました。私の印象としては、割と初期相葉ディミトリは品が良くて瑞々しくて…てイメージだったんですけど、回を重ねるごとにアーニャや列車の同乗人をおちょくったりするうさんくささが出てきたかも。列車シーンはご本人も言ってましたけど、どんどん自由になっていってて面白かったですよ。子供のあやとりに乱入したり、乱入したまま笑顔であやとり持ってこうとしたり、警備兵に目をごしごしして無実アピールしたり、警棒をつかんで怒られたり愉快野郎でした。

個人的には特に笑顔であやとり持ったまま去ろうとしてた相葉ディミトリが忘れられず、こうやって生き残ってきたんだろうなと想像も膨らみました。相葉ディミトリは「ニコってしたら相手が許してくれるからそのまま去ればいいんだよ」とか言って、仲間から「それでうまくいくのはお前だけだよ」と思われてそうなところがある。(あやとり強奪は失敗してましたが)

歌も本当に良くて、響きも素敵でした。好きなところをあげるとキリがなく、「A Rumor in St. Petersburg」の「嘘から誠へ〜♪」とか、「Learn to Do It」の最後の「やればできるさ〜〜(上ハモ)」とか「My Petersburg」の「生きた〜〜〜なんで〜もできるお前次第♪」とか、「In a Crowd of Thousands」の「あの日の〜パレード〜♪」とか、「Everything to Win」の「わからな〜〜い♪」とか。でもほんと95%最高なのに、例のあの箇所だけ毎回手に汗握ってしまい、あれが安定したら最高なのに…て、本当に1音だけなのに、その1音が1番大事だから。頑張ってると思うけど、そこでやきもきしたくないので……という厳しい気持ちになるところもありました。ま〜「次はもっとよくなるかも」という気持ちでチケットを足すみたいな販促効果もあったのですが。結果、足した回が1番よかったということもあるんだなこれが。ほんとに95パーよかったから、あと5パーを出し切ってほし。

でもとにかく95パーは最高だったから、「Rumor〜」とか「Learn to〜」とか楽しくてかわいくて最後の方は終わるのが悲しくて涙が出てきたよ…。「Learn to〜」でアーニャと距離が近づいて動きがゆっくりになって…からの引き離されてハッとなるところあまりにもアニメの動き!「In a Crowd of Thousands」でキス寸前まで言ってハッとなって跪くところもあまりにもアニメ…。アニメの動きを求めているわけではないのですが、なんか観てて「うわ〜〜〜!!!!」と高揚するものがあるんです。理屈じゃないんだ。

とにかく相葉ディミトリは本当に最高でしたし、何より物語が最高だったので、こんな素晴らしいミュージカルに通える私はきっと特別な存在なのだと感じました。今では私がおじいさん。孫にすすめるのはもちろんミュージカル『アナスタシア』。なぜなら彼もまた特別な存在だからです。そんな気持ちで感想を終えます(完)

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