ビールケース

1日の授業が全て終わって、今日もサークル棟へ向かう。軽音サークルの部屋の前では、今日もサークルメンバーが数人たむろしている。雨ざらしにされてボロボロになったデスクチェア、ひっくり返した瓶ビールのケース、機材運搬用の台車。何人かがそこに座っていて、他は地べたにあぐらをかいている。

「おつかれさまです。」

私も鞄を肩から降ろして、地べたに座る。おつかれ、と数人が返してくれる。輪の中には煙が漂っている。

「Tさん、喫煙者でしたっけ。」

彼がタバコを吸っているところを初めて見たので、驚いて尋ねた。

「最近ね、吸い始めたんよ。Mにはやめとけって言われてるんだけど。」

「なんで?Mも吸うときは吸ってるじゃんね。」

と、隣のSさんが口を挟む。

「たぶん、俺がボーカルだから、喉大事にしろってことだろ。」

Tさんは、私と同じくギターボーカルをやっている。普段はへこへこしていたり、酔っ払っていたりするのだけれど、ステージの上ではクールでアツい演奏をする。ほんとうに普段とは別人のようになる。

「私も最近吸いたくなってきたんですよね。」

「お前は絶対タバコ似合うだろうな。」

Tさんは、たぶん、私のことを後輩として気に入ってくれている。よく私のライブを褒めてくれる。他の先輩たちとは、あまりうまく付き合えていない私なのに。それからしばらく他愛のない話をしてから、Tさんはギターを背負って帰っていった。灰皿がわりの一斗缶の底に、彼のシケモクがくすぶっていた。

サークルの部屋でだらだらして、1時間ほど練習もして、今日もけっこう疲れた。ゆらゆらと、学校から駅までの坂を下る。駅の東口のところに、タバコ屋さんがある。おばちゃんに向かって、セブンスターください、と声をかける自分を想像してみる。税金があがってから、一箱いくらくらいするのかさえも知らない。

Tさんは、少し前に彼女と別れた。Tさんの方から、フッたらしい。そのことと、タバコをはじめたことは、何か関係があるんだろうか。たぶん、Tさんは寂しがり屋だ。寂しいから、なんとなくで恋人を作ってしまうような、そんなタイプだと思う。そしてTさんは、優しい人だから、なんとなくで作ってしまった恋人のことも、結構大切にするのかもしれない。大切にしていても、やっぱり“なんとなく”はなんとなくのものでしかないから、どこかでズレが生じてしまって、さよならしてしまう。そうしてまた、寂しくなる。きっとそんな感じなんだろう。

私は、そんなTさんだって、タバコが似合っていると思う。なんとなく吸って、なんとなく煙を吐いて、なんとなく、捨てる。彼はそうやって暮らしているのだ。私も、大好きな人にさよならを言った日には、タバコを吸ってみようかと思う。サークル棟そばの、伏せたビールケースに腰かけて。

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