二つの違和と現実化への触媒|「引き寄せの法則」研究所
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「引き寄せの法則」について研究を行い、その現実的な解釈について記してきました。
しかし実のところ、二つの大きな違和を感じています。
ここまで読んでくれた人にそれを告げることをしないのは、不誠実なようにも思いますので、記しておきましょう。
違和感の一つめは、願望の変容についての話です。
「引き寄せの法則」が掲げる「願望実現の方法」という看板を見れば、現時点で自分がそれと思っている願望が実現されるのだと思うことでしょう。
実際、そのとおりに実現されることもしばしばです。
それほどまでに、「引き寄せの法則」の方法は強力である訳です。
けれども、実践を続けていくと、もともと持っていた願望は形を変えていくように思われます。
そもそも一般的な願望の多くは、利己的なものです。
しかし、「引き寄せの法則」の実践の先にあるのは、おそらく利他的な願望であることでしょう。
では、なぜ抱く願望が利他的に変わってしまうのでしょうか。
それは、エス(無意識)についての物語と深く関係しています。
自分自身の喜びは、エスがどう反応するかに掛かっています。
なぜなら、エスこそが感情の源泉であるからです。
そのため、普段から自分自身だと考えているエゴ(意識)の方では、その声を聞いてやるしかありません。
言ってみれば、エゴは「エスの子守役」である訳です。
この構造がすでに、利他性を孕んでいます。
もちろん、エスもエゴも、どちらも自分自身です。
しかし、様々なことを意識し考えているエゴからすれば、エスはどんな答えを返してくるか分からないような「他者」である訳です。
エゴはエスの声に耳を傾け、面倒を見てやる必要がということになります。
日頃から意識し、だから自分自身だと考えているエゴから見れば、これは完全に利他的なあり方となっています。
同時に、エスのことを見ようと決めたエゴは、利他的である場合により多くの喜びを感じるエスを見出すことになります。
つまり、エゴは自分のために動きたいと望みますが、エスは人のためになる方が大きな喜びが得られることを知っている訳です。
結果としてエゴは、二重に利他性へと牽引されていくことになります。
まずは、エスの面倒を見るという立場を取ることによって。
次に、その喜びのあり方をよく観察してやることによって。
以上のようにして、エゴがエスによって利他性の方へ引き摺られることにより、願望が変容していくのは避けられないように思われます。
ならば、初めに思い描いていた願望は実現されないかと言えば、そういう訳でもありません。
それは多くの場合、利他的な願望を実現する過程において、言ってみれば副産物として実現するのです。
しかし、なぜそうなるのでしょうか。
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